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2012年 01月 30日
![]() 昨夜は北京から里帰り中の女性も来月一日が誕生日だと知って、三人合同の宴など開いた。 己の誕生日以外は忘れているが、「今度はワタシよ~」などと、それぞれが主張して年に四回ほど同じ顔触れでHappy-birthdayをやる。 かれこれ四半世紀も続いてる会、新宿に飲み屋の拠点が無くなったいまは、揃って顔を合わせられる貴重な機会、今後も続いて行くに違いない。 年初めの一回目は幡ヶ谷の『名彩舘』が会場、暮れに上海蟹を食らいに訪れた際は広東料理のコックさんでした。 こんどは上海の流れを汲む掲州料理のコックさんに代わってました。 経営者は上海料理では著名なコック、厨房にたちたがらないからコックさんが変わる度にメニューは微妙に変わって行く。 あまりいいことだとは思わないが、違いのわからないmanbowにはイロイロ食えてうれしい。 揚州料理の目玉は揚州チャーハンと肉マン、その両方まで行き着かないまま満腹です。 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 2012年 01月 29日
![]() 梁一郎がまた遊びにきてくれた。暮れに初めて顔を見せにきた時はお母さんだけだったが、今度はお父さんも一緒、「また行こうよ~」と言い出したのは梁太郎であったらしい。 嬉しいじゃあないですか。 でも、二十人ほどが集まってた暮れと違って、今度は他にだ~れも居ない。 おろそかにしてた訳じゃあないけど、遊んでくれる相手がいなくて当てが外れたらしい。 しばらくすると言い出した。 「オトウタ~ン、帰ろうヨ~」 無視されると、今度は「オカアタ~ン、帰ろうヨ~」 両親は揃って変わり者、梁一郎を生みに大分の実家に里帰りした際、こんな写mail (⇒ ⇒)を送りつけてきたほどだから、母親の変わり様はよ~くお解りいただけるでしょう。 アメリカ留学中にアトランタ五輪があって、某新聞社の通訳など務めてたのに、帰国後は靴職人の世界に目覚め、今も鋭意修行中です。 木製の自転車を造って世界をアット言わせた佐野末四郎さんってご存知でしょうか? 本職は木製ヨットを作らせたら日本一のヨットビルダー。 すべてが木の自転車まで造って、『Sano-Magic』の名を世界に定着させちゃった木の職人です。 梁太郎のお父さん、彼に師事して木製ディンギー作りに精を出したのが人生の分かれ目でしたね。 趣味で始めたヨットだったのに、木肌に目覚めて四十ン才から大工修行です。 七年もの年期奉公を行い、ようやく棟梁の下を離れるのを許された。 「棟梁として仕事をするのはまだまだ先、今は助っ人で食いつないでる」が、手作りディンギーの進水式に付き合って細部にもこだわる性質はヨ~クわかってる。 素敵な大工さんになるでしょうね。 問題は木造住宅の需要なんだけど・・・・・。 六月で満四歳になる梁一郎、秋にはお兄ちゃんになるんだ。 2012年 01月 28日
さり気無く置かれてるけど、このテーブル、『イペ』(IPE)とか『イッペ』と呼ばれてるアマゾンの樹木ですよ。船材に最適だと云われてるチーク材以上に目が込んでて、水密性が高い上に何故か虫達が穴を開けるのを嫌う。 すぐにフジツボなんかがビッシリと住み着く船底などに、この特性を生かして使われた木材、木目が美しいから好んで高級家具にも用いられてもきた。 最近は新たに、癌細胞を攻撃する『X 』が含まれてることが判って、医療の分野でも研究が始まった樹木、インディオはナスカの時代から薬として使ってた。 テーブルの端にプレートが打ち込んだままですから、前身はクルーザーのキャビンだったのかも知れません。 イエイエ、知れませんじゃなくて、キットそうですね。 床材も壁もすべて廃材利用、主に流木などを拾ってきて己の木工場の前に一人で建てちゃった掘立小屋だから! ![]() 飾られてる全て、ご主人が作った。 店構えはこんな。 前を通ったとしても敬遠しちゃうかも知れませんが、お店の隣りの手作りのショールームも、とっても潮っぽくて一度入っちゃうと出られなくなる。場所と住所は房総・館山のひとつ手前、崖観音の真下(館山市船形838=0470-27-2119)。 館山までの高速道の開通で、海沿いを走る内房なぎさラインの利用者はガク~ンと減った。 街道(302号線)には何一つ看板を出していないお店だから、通行量は気にしない店ですが、何時も勿体無いと思ってしまう。 ![]()
2012年 01月 27日
![]() 大寒に入って一週間、ニッポンの暦って旧暦を西洋暦に無理やり突っ込んじゃってるから、余り信を置いていないんだけど、大寒と同時の寒波襲来には最敬礼です 列島、スッポリ冷蔵庫の中に入ってる。 ここは別世界のような光景が広がってますけど・・・・・。 シャッターを押したのは午後の五時近く。 陽光は東京湾に突き出した大房岬へと続く山塊の陰に落ちて、空にはぼんやりと薄い薄い鎌の様な三日月、大寒の冷気が一気に襲ってきていましたが、日中はマフラー取っ払ってポケットに仕舞い込んじゃったほどの暖かさ。 そのマフラー、仕舞い込んだままあっちだ、こっちだと夕刻に出歩いて、鼻風邪を背負い込んで帰京しちゃいましたから、油断大敵ではありましたけど・・・・・。 ![]() ♪ 菜の花畑に入日薄れ 見わたす山の端 霞ふかし 春風そよ吹く空を見れば 夕日かかりて匂い淡し 小学校唱歌にはちょっと早いと言うことです。 まだ霞はたたないし、カワズの鳴き音も聞こえなかったし・・・・・。 2012年 01月 26日
![]() 茶髪の癖っ毛を何時もモジャモジャにしてるアビのお兄ちゃん、大の恐竜小僧なんだ。 始祖鳥の羽は黒かった。 イギリスの科学誌が発表した昨日の記事を読みながら、とっさに頭をよぎったのは彼でしたね。 「どんな反応をみせただろう?」と。 少年たち、とっても頭は柔軟で、科学者も及ばぬ考えが口を飛び出しますから、示唆に富んだひとことが聞けたかもしれません。 「そうか~、カラスの祖先は始祖鳥か~」 比べてmanbow、羽が黒かったと知って頭をよぎったイの一番、カラスでしたね。 この羽が黒いってこと、鳥類にはとっても有利なんだそうですよ。天敵に見つかり難いカモフラージュのために、羽の色は様々に変化して行きますが、一番丈夫な羽はメラニン色素と何とかいう元素がくっつく黒なんだと。 そんな研究もなされてて、「鳥たちのスタートはすべからく黒い羽を持ってた」な~んて仮説まである。 中国で発見された羽を持つ恐竜『トロオドン』も、やはり黒い羽を持ってた。 始祖鳥の骨格標本、長い尾っぽを含めても全長は50センチ程度。 一億五千年前の生き物にしては、ビックリするほど小さい。 2012年 01月 25日
アタマに『ド』の字なんか付けて「ドアホウ!」などと、まだTVドラマからも聞こえるから、ののしり言葉の『阿呆』はまだ生きている。 では、同じ意味を持った『アンポンタン(安本丹)』の方は? TVゲームの普及などで路地から子供たちの黄色い歓声が消え、言い合いに発展して夕刻の別れ際なんかに「アンポンタ~ン」などと、右と左に結構遠く離れてからでも叫び合ってる光景(声は聞こえるだけだけど)には、もう、久しく接していない。 ![]() イモガイの仲間に『アンボイナ』という貝がいる。 かわいい姿をしてるのに、口先から槍を繰り出して小魚を射止める。 その毒、人をも殺せる猛毒をもつ恐ろしい狩人貝だ。 広辞苑でこの貝のことを調べたついで、お隣りの単語・『アンポンタン』を読んで、面白いことを知りました。 江戸の末期、寛政時代にはカサゴを称して『アンポンタン』と呼んだらしい。 理由まで書いてあって「美味しくないから」 「美味しい魚のNO1」には挙げないけれど、少なくとも五指には入る磯魚だから、同じ広辞苑でカサゴを引いてみると、こちらには『美味』と書いてある。江戸時代と現代、日本人の味覚が変わったとしか思えません。 もっとも、カサゴ目の魚たち、それはそれは数が多くって、フサカサゴ科だけでも三百種類を超えるし、時折竿に掛かるオニカサゴは一般の魚屋さんには出回らない高級魚。 水揚げされると同時に高級割烹などが引き取って行きます。 その反対、観賞魚としての価値しかないミノカザゴなども居るから、江戸の町に出回ったカサゴは別種だったのかもネ。 カサゴ ついでだから『新釈 魚名考』(栄川省造著)を引くと、『ツラアラワズ』(三浦半島)を筆頭に、醜さを由来にしたカサゴの方言は数限りない。 味が理由の東京(江戸)方言、『アンポンタン』は異質、著者も「不味いは誤解だろう」と述べている。 魚って、醜いほど旨い! これ、経験則、例外も存在するけど。 2012年 01月 24日
![]() みぞれを避けて駅前のスーパーを通り抜けた目の中に、山と積まれたリンゴ。 読むとはなしに読んだ品名が『ふじさん』じゃなくて『サンふじ』。 「ムムッ?」と首ひねって、「富士山の息子か~」と思ったのが間違いに気付くきっかけ。 富士山も、青森の名山・津軽富士(岩木山)も関係なくて、藤崎町で作られた『藤崎のリンゴ』が名前の由来だと知った。 ![]() アメリカ公使タウンゼント・ハリスが芝の増上寺に三本のリンゴの苗木を持ち込んで、「コレハ~、サムイ~トコロでも育つ果物デ~ス」などと。 ちょうどそこに居合われたのが金子三百両を寄進するために訪れてた津軽の豪商・平野清左衛門でした。ハリスの目の前で右から左へど苗木を呉れてやったとは思いませんが、清左衛門さん、コイツをもらって津軽の郷里(藤崎町のお隣り浪岡)に持ち帰った。 津軽リンゴの原木については、ほかにも東奥義塾の英語講師ジョン・イングが明治七年にアメリカから持ち込んだ三本説など、他にも二つほどあるんだけど・・・・・。 では、日本のリンゴのルーツ、アメリカのリンゴは何処からきたのか。 『欲望の植物誌』(ミッチェル・ポーラン著、西田佐知子訳)によるとイギリスから持ち込まれた苗木がルーツだとあります。 メイフラワー号(一六ニ〇年)で新大陸へと追い出されたピューリタンの一信者が持ち込んだ三本の苗木、これがアメリカをリンゴ生産量世界第二位の国へと押し上げたことになる。 そのアメリカの、青森に匹敵するリンゴ産地が五大湖の南に位置するインディアナ州、ピューリタンの三本もここで育った。 『インドリンゴ』の名は、そのインディアナリンゴのなまりらしい。 2012年 01月 23日
![]() ![]() オランダのヨット娘・デッカー(Laura・Dekker)ちゃん、たったひとりで世界を一周(二十一日ゴール)しちゃいましたね。 十六歳と四ヶ月は最年少記録、ギネスが認定しようとしなかろうと。 ポンツーンの上を歩く父親と一緒の写真は二〇一〇年夏のショットです。 ゴールの彼女と見比べると、幼さが消え、胸なんかふくらんで、別人のように見える。 演歌の世界の"オトコを磨く海"、女性も磨くんだ~。 一度blogに登場したジブラルタルからのスタート、間違ってましたね。 大西洋の西岸近く、オランダとフランスが領有するサン・マルタン島(Sint・Maartte=シント・マールテン)をスタート点に選び、ジブラルタルから大西洋を渡って再スタートを切ったらしい。 「幼すぎる」と出航差し止めを食らったり、密かに出航しようとして連れ戻されたり・・・・・。 イロイロ物議をかもしたデッカーちゃんの世界一周、キット目立たない出発場所を選んだのでしょう。 世界一周コースは、サン・マルタン島からパナマ運河を抜け、ガラパゴス~タヒチ~トンガ~フィジー~バヌアツ~豪・ダーウィンなどに寄航、喜望峰を回って大西洋に戻る西回り。 本当は無寄航の世界一周をしたかったようですが、許可がでなかった。 せっかくの世界一周、無寄航よりもできるだけ沢山の人達と接し合う。 こちらに賛成だね。 乗船は38フィートのケッチ、二本マストの真っ赤に塗られた『Guppy』です。 ほんの拾い読みですが「ワタシ、パパのケッチ(45フィート)の上で生まれ、ケッチの上で育ったの」と、公開(航海)日誌に書いていて、二本マストは扱い慣れているらしい。 映像が沢山あるのはココ(http://solozeilster.hyves.nl/) 2012年 01月 20日
![]() カーテンを開けてな~るほど。 銀世界と呼ぶにはおこがましいけど、例年に比べて十七日遅い初雪、うっすらと庭を覆ってる。 カラッカラ続き、過去最長を続けていたらしい。 世界一水資源に恵まれた国だから、『湯水のごとく浪費』などという言葉まであって、普段はとってもおろそかに扱うのに、コノお湿りはありがたい。 方丈記の書き出し部分、『行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず・・・・・』 地球上を循環してまわり、世界中を旅してるはずなのに、年間に一滴の雨も降らない場所もある。 比べて日本、歯を磨きながら水道水を出しっ放しにしたりする。 山紫水明、明鏡止水、我田引水、背水の陣、水魚の交わり、水掛け論、立て板に水、年寄りの冷や水、寝耳に水、覆水盆に返らず・・・・・。 コイツに雨に関する言葉を加えたら、きっと辞典ができる。 こんな国、日本だけでしょうね。 空気のおいしさに水のありがたさを思いつつ、「すぐ忘れちゃうんだろうな~」とも感じてる。 2012年 01月 19日
manbow-blogを読んでくれてる友人からmail が舞い込んだ。 「オメ~さんを信用しね~訳じゃあね~よ、でも、その駄本とやらを読みて~、オイラに寄越せ!」1ページ目の一行目、物語の始まりにイチャモンを付けた。 『下弦の半月が、雲をよけて東の空にあがってきた』で始まるんだ。 半月は余計だろう、『月』だけでじゅうぶんだ。 調べてみると、この時の月は欠け始め、半月とも云えね~。 それでも友人いわく、「いいから寄越せ」 鹿児島の山中で廃棄処分になった図書館の蔵書・『インディアナポリスの鮫』、遠く離れた東京で活発に遊泳し始めた。 |
アバウト
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