2016年 12月 10日

  ドライフルーツの王様  

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                                   「吊るし柿の喰い頃判断は難しい~」と思いつつ試食した。
d0007653_11513575.jpg甲斐路でゲットした『甲州百目』、皮剥きに三日を要したので干し時間にも三日間の時差がある。
試食した一個が吊るして十日目なのか、七日目なのかの違い。

喰い頃は中心部分に残る縦長の白い線が消滅した辺りだろうと判断しましたが、トロリ感は次第に失われて行くでしょうし、オイラの様に水分が抜けきった堅いのを干し柿の神髄だと判断する御仁だっておいででしょう。
コチラ(⇦ ⇦)は少々干し過ぎましたが、何処でストップをかけるのかも難しいね。
トロリ好きのベスト、乾燥派の喰い頃の判定を、何処を見て付ければよろしいのか?

とは言え今回もまた、そんな難しいことなどは考えずに、日々食らい続けて行くでしょう。
ルールは一日一個に留めること。
何個喰らっても旨さが続くドライフルーツの王様なので、ルール作りは大切なのです。
5、6個程度は「旨い、うまい」ですぐにお腹に入っちゃうもの。
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# by molamola-manbow | 2016-12-10 11:47 | 酒・宴会・料理 | Trackback | Comments(0)
2016年 12月 09日

  X ' m a s 商戦

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世の中、 X ' m a s 商戦が始まって、街中に電飾飾りが取り付けられで華やいできました。
無縁なのはコノ通り、バス停の名前が示す様にかつては小田原のメインストリートだったのですよ。
国道 1 号線と直角に交わう通り、真っ直ぐ進めば市役所や警察署に通じますので車はタ~クサン走るのに、シャッター商店街の典型になっている。
小田原駅から 4 0 0 メートルほどの近場なのに・・・・・。
そういえば「深く地下に根を張って、長く繁栄してほしい」と願って、『 H a L u N e 小田原』と名付けた小田原駅の地下街にも、撤退しちゃうお店が現れました。

コチラはカマボコ屋さんの老舗・『籠清』のショーウインドー(⇩ ⇩)です。
V a l e n t i n e ’ s D a y にも H a l l o w e e n にも、横文字の催しには色目を使わずに、一年を和で押し通すココロに「偉い!」と感じるのですが、デザイナーが変わって関心の度合いは少々薄れて来た。
横文字排除の X ' m a s 商戦用の窓への模様替えは秒読み態勢です。
「どの様な和で窓を飾るのか?」は関心が薄れたとはいえ大層気になる。
そんな訳で、同じ窓を今回もアップした。
「コイツからどの様に変わるか」は注目だもの。
たった一度しか買い物経験のないオイラの関心度なんか、お店にとっては痛くも痒くもないことでしょうけど・・・・・。
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# by molamola-manbow | 2016-12-09 10:52 | 今度は地元真鶴 | Trackback | Comments(0)
2016年 12月 08日

  騙された~ッ

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「こんな本作りがまかり通っていいのかよ?」が最初の読後感でした。
旧の住まい、世田谷区経堂の目抜き通りに店を構える古本屋さん『遠藤書店』で買い求めたコイツの事、『宮本常一とクジラ』(小島正之著=雄山閣)です。
本棚から抜き出したそもそもは、民俗学者・宮本常一の名前でしたので、同じ動機で買い求めた読者は相当な数だろうと想像しちゃう。
目次には①宮本常一の生誕地から捕鯨をみる②宮本常一が見た捕鯨と、民俗学者の名を冠した二項目を建てていて体裁は整っております。
脇にメモ帖を置いて『正』の字を書き綴った訳じゃあありませんが、文中には宮本常一の名前がそれはもう随所に散乱もしておりましたし・・・・・。
例えて①に曰く
  宮本常一の著作を見ると、捕鯨を行った地域も訪れているが、捕鯨やクジラを目的に定めて調査した形跡は、窺うことはできない。
「じゃあ、何のために書名に宮本常一の名を冠したんだよ」の記述でしょ。
他の箇所でも
  クジラの種類について記述したところは、私の知る限りほとんどみられない・・・・・などと。

著者は国際捕鯨委員会( I W C )の日本代表代理などを務めた農水省の元高級官僚、クジラに関した著書をタ~クサン出しておいでの方ですが、今回は何を書くかの内容に屈して宮本常一を引き回し役にしようと思い立ったに違いないと、推測した。
そんな文章に終始してるんだもの。
I W C 総会後のインタビューに応えて「スナメリは海のゴキブリ」発言をして、捕鯨調査船に対するシーシエパードの威力妨害行為を増幅させた張本人だったような記憶もある。
事なかれ主義の官僚の中での異端児、左遷されたのもゴキブリ発言だったと思っていますので、もっと骨のあるヤツだと考えていたのに・・・・・。

「宮本常一さんほど日本の国土を隅から隅まで歩き回まり、見て回った日本人はいない」とたたえたのは司馬遼太郎だったと記憶する。
学者と官僚、どこもかしこも違いすぎ。
題名と内容が少しも嚙み合わないんだもの。







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# by molamola-manbow | 2016-12-08 10:55 | 読書 | Trackback | Comments(0)
2016年 12月 06日

  ビジネス街のど真ん中を貫く路

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この路、前方に真っ直ぐ歩むと帝国劇場の裏を通り、ペニンシュラホテルの横を抜けて晴海通りにぶつかります。
X ' m a s が近づけば、電飾目当ての人々もそぞろ歩くのでしょうが、周辺は就業時間の終りとともに人通りの絶える大手町~丸の内のビジネス街です。
その閑散とした通りの電飾・・・・・。
驚いたことに通りにはお茶が飲めるし、小腹も満たせる軽食さんが店開きしておりました。
それも複数軒、かつては無機質な石の壁が延々と続いていた通りにです。

仕事場はこの辺りにありました。
お茶を飲むにも苦労したし、夜間は老夫婦が引いてくる屋台のおでん屋さんが唯一の骨休めの場所でした。
そんな郷愁めいた気持ちも働いたのでしょう。
閑散としたこの電飾通りが痛く気に入った。
地下鉄経由の帰り道、ビル風の吹き抜ける地上ルートをあえて選んで、一番近いお店に飛び込んでやろう、な~んて気になったんだもの。
木枯らしの季節まで、電飾をほどこしているかどうか?
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# by molamola-manbow | 2016-12-06 10:20 | Trackback | Comments(0)
2016年 12月 05日

  今度は成形しなくては

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八ヶ岳の向こうっ側で一か月前に仕入れた渋柿です。
人様に差し上げるには躊躇するでしょ。
頂いた方だって口にしたくない気持ちが先に来る面容でしょ。
喰らうのを先延ばしすると、表面はますます硬くなって旬を外しちゃう時期に差し掛かっております。
「こんなになっても旨いんだよな~」と思いつつも、今度の甲州百目には吊るし柿の段階で成形をほどこすひと手間を加える事を思い立った。
放置しちゃうと同じような醜い面容の出現となるので、柿の先っぽに向かって指で軽く揉んでやるひと手間を加えようと。
こちらは『枯露(ころ)柿』(⇩ ⇩)と名付けられた甲州百目の箱詰め。
コイツと同じ様に、見た目も旨そうに仕上げねば。
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# by molamola-manbow | 2016-12-05 10:12 | ホビー | Trackback | Comments(0)
2016年 12月 04日

  甲斐路の旅の締め括り チンプンカンプン

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d0007653_10103527.jpg山小屋・ V u n v a l l e y から眺める光景の中で、一番の興味は垂直のナガ~イ岩石断崖の連なりでしたね。
雪化粧した八ヶ岳連峰の緩やかな裾野をいきなり切断しちゃう崖線の事です。
垂直に落ち込む岩肌むき出しの、コチラ(⇨ ⇨)の様な崖がです。
中央本線は崖上の緩やかな八ヶ岳の裾野を走って、崖下には静岡に入って名前を富士川と変える釜無川が流れております。
南北に延々と続く崖ですので、まずは生い立ち、「どうしてコンナ崖ができたの?」みたいな興味でした。
韮崎駅で降りて、甲府盆地を過ぎって白州郷への路線バスの旅は、コノ崖線に沿って釜無川を遡上しますもので、およそ 5 0 キロも。
バスの車高は崖観察にピッタリでしたので・・・・・。

新潟・糸魚川河口に始まって、静岡・富士川河口で終わる『糸静構造線断層帯』の、一番ハッキリした隆起の跡だと知っただけで、人間はすべてを理解したようになっちゃう不思議な生き物ですね~。
地理や地層に興味など沸かず、プレートテクトニクス理論とか、フォッサマグマなどは言葉だけを知っているに過ぎないのに、「そうなんだ~」と。
「巨大な力で地球を隆起させた副産物、そいつが糸魚川流域の翡翠に違いない」と、日本海にまで広がりましたもの。
最後には地震学にまで及びます。
「この様なパワーが再び動き出したら、どうしよう!」
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# by molamola-manbow | 2016-12-04 12:11 | カテゴリー外 | Trackback | Comments(0)
2016年 12月 03日

  甲斐路の旅 番外②

釣鐘型をした大型種の渋柿『甲州百目』を買い求めて甲斐の国・白州郷から帰った。
「フルーツの王様」はオイラの中では柿でして、夕日に輝く晩秋の山野の柿色の美しさも、ドライフルーツになってからもすべて大好き。
南半球に移植されて、ニュージーランドから入って来る様になった時など、「夏に柿が食えるとは!」と、大歓迎したものね。
d0007653_9181418.jpg下から石をぶつけて柿ノレンから喰い頃となった熟し柿を落として喰らう。
小学校の四年までを過ごしたガキ時代のコンナ思い出にもつながります。
「いっど(行くぞ)」と誘われて、小学校の隣にあった「いっど」家の庭に忍び込み、口煩いおばあちゃんの目を盗みつつコレをやる。
お昼休みのスリルの加算で、この時の柿が一番旨かった記憶です。

そんなこんなで、吊るし柿用の三つ編みロープまでを事前に用意する、万全を期した買い物だったのに、新調ロープが旨く働いてくれませんでした。
干し柿作りに便利な様にと、渋柿はヘタを T 字に残して呉れている。
コノ T 字を三つ編みロープの綯い目に等間隔で差し込んで行けば、横一列に干しても、縦にぶら下げても、見事な柿ノレンの完成なのです。
しかし、新調ロープの綯い目が固くって、T 字を差し込む隙間を空けるのに一苦労でした。
10 個もぶら下げないうちにヤ~メタとなって、柿の実二つを紐で結んで吊り下げる方法に変えた。
干し柿作りにはコレだって十分だけど、見た目の美しさが違う。
何たって趣味の干し柿作りですので、見た目の美しさを大切にしなければなりません。
周辺に誰一人知人がいなくても、見せるのが目的じゃなくともです。
晩秋の干し柿作り、今では完全な趣味だもの。
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# by molamola-manbow | 2016-12-03 07:06 | Trackback | Comments(0)
2016年 12月 02日

  甲斐路の旅 番外①  

d0007653_9273623.jpg江戸時代初期の俳人・山口素堂の句(⇦ ⇦)です。
「何んちゅう句だ」との集中砲火を浴びたことのある俳句だということを知ったのは中学時代でした。
批判の集中砲火は、青葉も、ホトトギスも、初カツオも、み~んな春の季語だというところ。
「俳句では季語の重複を嫌う」授業の中で、例に出た句であったと記憶している。
先生の結論は「だがね」の後に、なんたら、こうたらのナガ~イ打消し講義が御座いましたが、コチラの内容は覚えていない。
「季語の重複は良くない」のが、授業の柱だったのですもの。

その季語重複だらけの句と今回の甲斐路の旅で出合いました。
石碑に曰く、白州町上教来石(かみきょうらいいし)の出だとあった。
勝手な思い込みなのですが、最後の春の季語、初カツオだけが先走っちゃって、「海辺の街で育ったのだろう」と想像してた。
親しい俳句仲間であった松尾芭蕉の生まれ在所は伊賀の上野です。
奥の細道を歩き回って、俳句をひねりだしておられたのだから、山口素堂翁だって行く先々で句を詠んだに違いないのにね。

思い込みとは怖い。


       
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# by molamola-manbow | 2016-12-02 09:38 | カテゴリー外 | Trackback | Comments(0)
2016年 12月 01日

  忘年会の F i r s t  H o m e ?

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ヨットデザイナーの大御所林賢之輔氏の名前を冠したヨットレース『 K E N N O S U K E C U P 』に集うヨットマンの忘年会が昨日、横浜で開かれた。
「来年のレースは 5 月 13 日(土曜日)」と決まった際でした。
聞きようによっては、何とも気弱に受け止められかねない発言を御大がなさった。
「あと四回、25 回までは続けたい」などと。
7 0 歳を超えてもピンピンしておいでだし、お酒だってガブガブ呑む口ですので、心配する必要なんてないのですよ。
『KENNOSUKECUP』が始まって、まだ四回とか五回目のアフターレース・ファンクションの際でした。
会場が大爆笑の渦となったことが御座いました。
「賢チャンはもう何時死んでもいいよ。レース名の何処かに M E M O R I A L を加えれば何時までだって続けられる」
な~んて発言が飛び出した時で御座います。

「ヨットとはこうあるべきモノ」だとする林賢之輔デザイナーのポリシーに賛同するファンの集い。
結束はとてつもなく堅いんだ。
酒呑童子 Ⅱ 』を駆って単独無寄港世界一周の高齢者世界記録( 7 1 歳= 2 0 0 9 年))を記録した齋藤実翁も参加なさっておいででした。

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# by molamola-manbow | 2016-12-01 10:30 | ヨット | Trackback | Comments(0)
2016年 11月 30日

  甲斐路を行く ③

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『甲斐駒』と呼び習わす駒ヶ岳の姿(⇧ ⇧)が V u n v a l l e y 小屋のベランダから消えて久しい。
森の樹木が大きく育って、わずかに望めた頂上部さえも数年前に葉っぱの向こうに隠してしまった。
駒ヶ岳と対峙する信州の峰・八ヶ岳連峰(⇩ ⇩)はハッキリ、クッキリ見渡せますが・・・・・。
時に八万粒もを実らせるギンナンだって、貰い受けた苗木を 3 5 0 坪の敷地の周辺に植えたのが始まりです。
雄木一本と三本の雌木、 V u n v a l l e y の歴史を日々見続けてきたのは、この四本の銀杏と言うことになる。

晩秋のギンナン騒動の始まり、そもそもは何時が最初だったのでしょう?
オイラが騒動に巻き込まれたのは前日に記したコレが最初の 2 0 0 6 年。
この時すでに V u n v a l l e y に集う山派の皆さんは"ギンナンかぶれ"を起こすようになっていて、海派のオイラ達に助けを求めてきたのが最初でした。
桃・栗三年、柿八年の伝で言いますと、銀杏は芽を出して何年で実を付ける様になるのでしょう?
V u n v a l l e y の庵主殿が父君を口説き落として白州郷に 3 5 0 坪の土地を購入し、釜無川の支流から土台堅めの石を運び込みから始めて、山小屋の設計と建築を自らの手で行ったのは 1 9 7 4 年です。
大工さんの手を煩わせずに、本職・風景カメラマンのトウシロウがゼ~ンブ建てたのですよ。
小屋の完成は二年後の1976年、ギンナンの収穫一年目が何時だったのかは興味を惹かれるところです。

2008年に亡くなった山小屋の庵主殿は 42ftのヨット( H i n a n o )のオーナーでもありまして、コイツで海を楽しんでいたのが海派。
オイラはギンナン人夫として、この時期だけ白州郷を訪れる。
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# by molamola-manbow | 2016-11-30 10:44 | Trackback | Comments(0)