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2009年 10月 09日

  水中眼鏡、磯眼鏡、競泳ゴーグル

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弥生時代後期の日本を紹介した中国の歴史書『魏志倭人伝』に、要約「彼らはサカナ、アワビが大好きで男も女も潜って盛んにコレを獲る」などと言う箇所がある(らしい)。
「海底にはアワビやサザエがビッシリ張り付き、枝が伸びて海面にまで垂れ下がった葉っぱにまでアワビが吸い付いている豊かな国である」な~んて記述も。

弥生時代以降の漁具や漁法の伝承ルートを、ああだ、こうだと述べている本には案外苦労なくたどり着ける。
なのに、では潜水漁はどのような方法で行われていたかを調べようとすると、ただ単に「潜って貝を獲っていた」。
日本人が眼鏡を知るのは中国地方を治めていた大名・大内義弘がフランシスコ・ザビエルに贈られたヤツが最初らしい。
d0007653_23232795.jpg眼鏡は江戸時代に入っても非常に高価で庶民に手の出るモノではなかったから、有史以来潜水漁は裸眼の手探りで行われていたぐらいのことは想像できるけど、いくらアワビやサザエで海底ビッシリでも、「ウツボにガブリもあったに違いない」から、少し詳しく歴史が知りたくなるのです。
水中で眼鏡を用いるようになったのは「何時以来から」ぐらいのことは記載しておいて欲しい。

その知りたいきっかけをこの春、妙なところで得ました。
釣具メーカーのシマノが季刊で出している『Fishing Cafe』のVOL32号(今春発売)に、「沖縄・糸満の海人(うみんちゅう)は、くり抜いたナマの薩摩芋にガラスをはめ込み、両眼に貼り付けて潜っていた記録がある」とあったのです。
記事にヒントを得てあちこち調べていると、「糸満の海人・玉城保太郎さんが雑木の一種・モンパの木をくり抜いて、一八八四年(明治十七年)に両眼型の水中眼鏡(ミーヤガン)を作った」との記述を見付けた。
時代が下った明治二十年頃でも水中眼鏡一個の値段は「粟四表分もする貴重品だった」(沖縄民族館誌)。

ミャンマーの海の民『モーゲン』や、メラネシアの黒真珠採りが裸眼で潜っている様子は昭和三十年代の記録フィルムで観ている。
manbowがガキ時代を過した昭和二十年代の鹿児島でも、水中眼鏡は市販されてなくて、寸法計ってブリキや真鍮で鍛冶屋さんに作って貰うモノだった。
スイミングゴーグルが一般的になったのもメキシコ五輪(一九六八年)以降だし、潜水に一番大切な、無くてはならない眼鏡の歴史、驚くほど浅いようなのです。
玉城さんの作品が日本初の水中眼鏡なのかを確定できる資料はないものの、調べた範囲では歴史は一番古い。
潜水して獲物を求める漁、西洋にはなかった黒潮文化圏のモノだから、ひょっとすると世界最初かもです。
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by molamola-manbow | 2009-10-09 10:12 | 潜り・磯釣り・海


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