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2010年 02月 26日

  ①縄文文化を新大陸に伝えた古代人

                      昨年来日したハワイの航海カヌー・HOKULE'A
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太平洋に突き出した南アメリカ大陸の肩の部分、エクアドル南海岸のバルディビア遺跡から、文様や形が後期縄文時代の日本土器と良く似た土器片(放射性炭素測定年齢三千年~)が出土するのだという。
周囲の遺跡からは何処からも見つかっていない形と文様を持つ土器片です。
土器発達の前史とか過程に当る幼稚な土器は出土せずに、いきなり縄文後期の洗練された土器ばかりが出てくる。
d0007653_7454526.jpg発見した同国のアマチュア考古学者エミリオ・エストラーダは、すぐに米国・スミソニアン博物館の少壮学者クリフォード・エバンス(後年館長を勤めた。故人)に連絡した。
若い二人、三十代のエバンスとエストラーダは太平洋のあっちとこっちを飛び回ることになります。
そして、二人の研究はスミソニアン博物館から、連名による学術報告として一九六五年に世界に向けて発信された。
太平洋を渡り、エクアドルに伝わった縄文文化の道を説く『エクアドル沿岸部の早期形成時代』~バルディビアとチャマル期の文化~です。
「アホなこと言い出すんじゃね~
学会も、ジャーナリズムも完全無視の学説だったと言います。
新大陸が発見されるのは十五世紀のコロンブス、バイキングによるカナダ北部遠征へと溯っても六世紀の出来事。
新大陸に古代人が渡るのは、陸続きのベーリング海峡越えの陸路、というのが学会の定説です。
「古代人に海が越えられるかよう」と笑われて終わりの奇想天外説だったことになる。

新説発表からしばし、思いがけぬところから海を越えて新大陸に渡った『日本の縄文文化』は援軍を得ます。
南米北中部のミイラから見つかったお腹の中の糞の化石、そこから見つかる回虫は、アジア、特に日本で数多く見つかる寒さに弱い種類であり、ベーリング海峡越えでは死滅すること。
日本列島の太平洋岸、沖縄から和歌山にかけての住民と、南米北中部の原住民の持っているウイルスが一致すること。
陸伝いだけが新大陸に入った人類の移動ルートじゃなくて、「別ルートもあったようだ」と、発表からおよそ半世紀、いまスポットが当てられ始めている。

ポリネシアンが太平洋にカヌーを乗り出したのは紀元前三千年辺り。
「ウム~」と、腕組んじゃいます。
d0007653_727239.jpg太平洋を東から西に向かって流れる赤道海流に逆らって拡散して行くより、北に向かう黒潮に乗った方が楽だから、彼らの一派、キット日本にも来てるな~と想像しちゃうのです。
日本列島に定住せずに、また黒潮に船だせば、偏西風に帆はふくらんで、船は北アメリカ沿岸へと運ばれて行く。
しかも沿岸には南向いて流れるカリフォルニア寒流があるから、南アメリカ大陸へも渡れます。
ポリネシアンは赤道流に逆らってイースター島、そして南米まで行けた民族です。
古代のポリネシアンは日本経由でも拡散して、十七世紀にスペイン・ガレオン船がフィリピン~アカプルコ(メキシコ)間に定期船を走らせた大圏航路と同じルートを使っていたに違いない。
太平洋はロマンの宝庫に見える。

中国の歴史書・三国志の一部、紀元前三世紀に書かれた『魏志倭人伝』の一節にも女王・卑弥呼の国を説明したあと、「船行一年にして到達」する『裸国黒歯国(らこく・こくしこく)』の記述がある。
エクアドルには歯を黒く染める民族の一団が居たんだそうです。
黒歯国がバルディビア土器のエクアドルではなかったとしても、船行一年の地に行ったきりではなくまた帰ってきて、異国の文化を日本列島に伝えた人が居ないと、この記述は書けません。
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 ▼一九六二年 堀江 謙一 三カ月と一日(西宮~ロス)
 ▼一九六九年 午島 龍介 二ヶ月と二十日(博多~サンフラ
              ンシスコ)
 ▼一九八七年 鹿島 郁夫 三ヶ月と十日(ロス~横浜)

古代人はどんな船を使ったのでしょう。
ハワイアンカヌーHokule'a みたいな双胴カヌーの舟までは発展しなかったとしても、古代の日本には巨大な樹木がワンサと生えていたハズです。
日本近海の何処かに、アウトリガーを付けた巨大な丸木船の化石、眠っていませんかね~。 
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by molamola-manbow | 2010-02-26 09:14 | ヨット


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