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2010年 03月 01日

  ④太平洋ハイウェイのガレオン船

d0007653_23543358.jpgマゼラン海峡の発見(一五一二年)は、ヨーロッパから南アメリカ大陸回りの船を太平洋に次々と引き寄せた。
でも、入ってきたはいいけど出るのに苦労することになります。
ひと足先にバスコ・ダ・ガマがインドに達した(一四九九年)アフリカ南端・喜望峰周りじゃなければ太平洋から抜け出せない。
北半球は世界一強烈な黒潮へとつながる北太平洋還流、南半球も同じように東から西に向かって流れる南太平洋還流が船の帰りをとうせんぼしちゃって、Uターンができない。
縄文時代のポリネシアンが西から東へ、東から西へと、わが家の庭とまでは言わないまでも、Wofanu』口ずさみながら、『wayfaindingで行き来した海で、十六世紀の欧州勢、スペインのアンドレス・ウルダネータが大圏航路を発見(一五六五年)するまで、新大陸に戻れなかった。

太平洋戦争末期、日本軍は気付くと全島民がカヌーで逃げ出していて、もぬけの殻の中に取り残される経験をしている。
更なる現代(一九六三年)、アメリカの巡視艇が大海原に漂う二人乗りのカヌーを発見した。
漂流したのだろうとカヌーもろとも船に上げ、近くの島まで送り付けた翌日だ。
また大海原で同じ二人に出会うことになった。
「懲りないヤロウだな~、また遭難かァ?」 
「そうじゃないよ、ウチに帰るところだ」
ウソつくな、昨日助け上げたばかりじゃないか、自殺でもする気なのか
    Hokule'aの船首像
d0007653_23553779.jpg「イイと言うのに無理やりしつこく乗れと言う。                          
丁度煙草を切らしたことに気付いたので、ついでに煙草買いに行くのもいいかなあと、乗ってやったまでだ。格別急いで帰る理由もなかったんで」
ミクロネシアのポナペであった本当の話。
ちょっと遠出のサイクリング感覚で、太平洋を行く民族の航海術、スクリュー付けるまで西洋人は敵わなかったんですね~。

黒潮と偏西風に乗る大圏航路が見つかって、スペインのフィリピン~アカプルコ(メキシコ太平洋岸)間をガレオン船が走り始めると、日本近海での遭難がはじまる。
一五八九年天草・崎津、一五九六年土佐・浦戸、一六〇九年上総・御宿沖・・・・。
上総沖で遭難したサンフランシスコ号の際は家康が百二十トンの和製ガレオン船を貸与、二十人の日本人を付けて乗員をアカプルコまで送り届けた。
伊達政宗がアカプルコ経由で欧州に送った一六一三年の使者(支倉常長)も、乗船は和製のガレオン船だった。
その経由地・アカプルコに、日本人二十人が居住していた確かな記録があるんだそうだ。
鎖国令(一六三九年)が出るおよそ三十年前のできごと。
太平洋の向こうに日本人街を作った人達、考えられる渡航手段は、マニラ経由のガレオン船便乗だけど、祖先・ラピタの血が騒いで大海に船出した冒険屋ヤロウも居たのかも知れない。
                                                  ガレオン船


                                                                                                            
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by molamola-manbow | 2010-03-01 10:11 | ヨット | Trackback | Comments(0)
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