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2010年 07月 25日

  北斎の浪裏

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葛飾北斎の富嶽三十六景の一枚、『神奈川沖 浪裏』を仔細に眺めたのは、先日の『相州  江之嶌』のついででした。
眺めていて何処から描いたのかが気になりだした。
江戸時代に神奈川と呼ぶのは、東海道線・横浜駅のひとつ手前、現在の東神奈川駅辺りに置かれていた神奈川(湊)宿を指す地名のようです。
頭に神奈川県の地図描いて「ウム~、横浜近郊であんな風に富士山が見える地形はあるかな~?」
まあ、沖に出れば問題はないのですけど・・・・・。

波に飲み込まれそうな三艘の和船は大正七年(一九一八年)に鉄道が開通するまで、房総の幸を江戸まで運送していた『押送船』(おしょくりぶね)だと言います。
交代の漕ぎ手を乗せた八丁櫓、二枚帆の和船を操り、献上ビワなどを日本橋まで運んでいた船、内房線・富浦駅には明治時代の写真はめ込んだ『押送船』の記念碑が立てられている。
所要時間は追っ手の風に恵まれれば八時間で日本橋に横付けだったといいます。
日本で一番の快速船
房総男子のオトコ意気は、北斎が画に取り込むほど有名だったのでしょう。
三艘の漕ぎ手、少し意地悪に、縮込まって描かれていますけど・・・・・。
「舳先が富浦向いてるから、これは将軍への献上ビワを運び終わった戻り船に違いない。大役果たして気が緩めばこんな感じになっちゃうか~」

一度、『押送船』のコースたどって、お台場まで帆走クルーズをしたことがある。
現代のヨットが要した時間七時間、ほとんど変わらない速さで漕いでいたことになる。
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by molamola-manbow | 2010-07-25 07:56 | 潜り・磯釣り・海


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