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2010年 12月 01日

外洋帆走レース事始め

発酵学の権威にして東京農大の名物教授・小泉武夫先生は、数々のエピソードをお持ちです。
母校に奉職なさる前だったのか、先生に成り立ての頃だったのか。
校内で焼き肉コンパ を開くことになったけど網がない、鉄板がない。
無きゃあ、代わりを探すっきゃないと校内巡って足を止めます。
トイレの汲み取り口覆っている鉄蓋に目が光ったんですね~。
丸かったのか、長方形してたのか、兎に角、ソイツ使って盛大に焼きます。
食って、飲んで、盛り上がったんです。
キレイに洗ったし、熱を通せば細菌死滅
そんな話しじゃないと思うけど、やることなすこと豪傑なんだ。
外洋帆走レース事始め_d0007653_1356488.jpg

その小泉武夫先生の著書『酒肴奇譚』(中央公論社)を頂いて読んだ。
著者が著者です。
面白くなかろうはずのない内容だったのは言うまでもありませんが、その中から史実をひとつ。
日本最古の外洋帆走レースのお話しです

面白話しは端折って、史実だけ述べますと、およそ一世紀と十年も延々と開催され、スタートとゴールには黒山の観衆が押し寄せた外洋レースがあったんだといいます。

ヨットによる現在の日本の外洋レースは、三重県鳥羽沖をスタートして神奈川県の江の島を目指す『鳥羽パールレース』が一番距離が長い。
来春五月にはこのおよそ三倍、五百四十マイル(千キロ強)を帆走する『種子島ー東京レース』(西之表沖ー神奈川・小網代沖)がオープンしますが、約四百年も前に本格的に外洋で凌ぎを削るレースをしていたなんて、初耳でした。
その日本最古のレース、来春スタートの新設レースよりは短いけれど、『パールレース』よりは遥かに長い距離を帆走してました。

一六一九年(元和五年)から一七三十年まで続いた大型帆船の戦い。
走ってたのはひと船十五人と定められたクルーと、一枚帆か二枚帆の和船・千石船たち。
多い年には十五隻もがエントリーして三十個の酒樽を江戸に運ぶ『新酒早届けレース』(番船競争)です。
回船問屋、灘の蔵元、支援の酒屋に料亭衆・・・、誰よりも早く初カツオ食らいたいのが江戸っ子気質でしたから、
   『目には銀杏 百舌山篭り 新酒グイッ』
を待ち望んだ町民も大騒ぎしたレースだった。
走ったのは兵庫・西宮から東京・品川沖まで。
通常十日ほどかけて運ばれたようですが、七隻で争われた寛政二年(一七九十年)のファーストフォームは所要時間五日。
   (一説によると五十七時間で走破したとありますが、七ノットほどで西宮ー品川間を飛ばせる吹きっ放しの風、あるかな~)
幕末の鳥羽伏見の戦いに敗れ、海路江戸に逃げ帰った徳川慶喜将軍の鉄船、あれって八丈島辺りまで流される嵐に合いましたけど五日間を要してます。
咸臨丸とほぼ同等の機能持った蒸気船ですから、不甲斐ない遅さ、流されようです。
比べて日本最古の帆船レースの、速かったこと速かったこと。
追っ手の風でしか走れなかったのに。
生田台地から、きょう(一日)はクッキリ見えた(↓↓)。
外洋帆走レース事始め_d0007653_13562934.jpg


by molamola-manbow | 2010-12-01 13:58 | 読書


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