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2011年 10月 19日

  『スプレー号』、十九世紀に単独で世界を回ったヨット

両舷に水車をくっ付けたような外輪船がハドソン河に浮かぶのは1807年です。
ほぼ三十年遅れてスクリュー船の登場となる。
この両者、1850年にどちらが優れているか、綱引きやヨーイドンで性能を競い合います。
浦賀に来航した1853年(嘉永六年)の黒舟、ペリー提督率いる四隻は、外輪船とスクリュー船の混成艦隊だったこと、浮世絵を眺めると判ります。
勝海舟が船酔いという大弱点を暴露することになっちゃう咸臨丸の太平洋横断は黒船来航の七年後、外洋航海時にはプロペラを喫水線上に引き揚げる"船外機的"スクリューを付けた帆船でした。
十九世紀の海、こんな船舶が外洋を行き来してて、エンジンを持たない帆船も互角か、まだまだ帆船の方が幅をきかせて航海していた時代です。
大勢の当時の水夫の役目、三本とか四本のマストにぶら下がった帆を、揚げたり、下ろしたりが仕事でした。

そんな時代に西回りの『ALOUND ALONE』を成し遂げた男がいたんですね~。
                                                                                      スプレー号
d0007653_129899.jpg先月半ばに古本屋の棚で見つけた『スプレー号世界周航記』(草思社、1977年発行)。
この著者・ジョシア・スローカムこそが37フィートのケッチで世界最初の単独世界一周を成し遂げたヨットマンです。
知りませんでしたが著書はパブリックスクールの必読書、欧米では『キャプテン・スローカム』の名はジェームズ・クックに匹敵するほど知られているんだそうです。

単独での世界一周クルーズ達成の七年後、同じスプレー号で大西洋を南下して消息を絶つ。
スプレー号とともに忽然と海に消えるのです。
スローカムは何処に消えたのか、だ~れも知りません。

1895424日の正午過ぎ、スローカムとスプレー号はボストン港を抜錨して外洋に出る。
てらいもなければ意気込みもなしに、「気持ちのよい順風が吹いてたので」世界最初のシングルハンドの世界一周に出掛けて行く。
ボストン出航から三年後、1898620日にロードアイランドのニューポートに姿を現すまでの、四万五千マイルのクルーズは、すべてこの調子で推移する。
吼える40度線でもみくちゃになろうが、飄々と、淡淡と、何ひとつ苦労がないように操船し、状況に応じてたった一人で少なく見積もっても四枚はある帆を出したり、畳んだり・・・・・。
積荷を狙って出没する海賊との命を掛けた攻防も、巧まぬユーモアを交えて書き綴ります。
今でも船の墓場みたいに云われる南米大陸の最南端、マゼラン海峡をほぼ二度みたいな回り方するんです。
行く先々での自然、人物描写にも長けて、大冒険が大叙事詩となって広がって、単独でヨットを操り、大海を渡って行くことがどのような行為なのかをサラッとした筆で語ります。

船の性能もナビゲータ器材も格段の成長を遂げた現代でさえなお、小さなヨットを操って単独で世界を回る行為は、尊敬の一語に尽きるのだけど、スローカムは十九世紀にコレをやった。
当然のことながら何処に寄港してもスローカムはもみくちゃの大歓迎を受けるのだけど、ここら辺は隣りの港からお茶を飲みに寄っただけ、みたいに簡単に述べて流しちゃいます。
           ケッチ型
d0007653_742731.pngヨットによる世界一周クルーズ、現在は周遊よりも単独無寄航が主流になって、スピード競ったり、最年少記録の保持者になろうしたり・・・・・。
スローカムの世界一周記を読むと、こんなのがバカみたいに見えてくる。
ゆっくりと世界を回って、出来うる限りあちこちの港に立ち寄って、土地それぞれと交流を深め、見聞を広げる。
ヨットはそのためにあるんだと、ハッキリ書かれているわけじゃあないけど、行間のすべてが語ってる。
購入からほぼ一ヶ月、時間を掛けて読みました。
ヨットマンのバイブル的本です。
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by molamola-manbow | 2011-10-19 16:18 | ヨット | Trackback | Comments(0)
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