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Hey! Manbow

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2011年 10月 25日

水中考古学

鎌倉中期、北条時宗の時代に二度に渡って北九州西部への侵略を試みたモンゴル・高麗の連合艦隊、日本史の授業で教わった『元寇』の二回目は、4,500隻もの大群の来襲だったと云われてる。
まだ鉄砲も大砲も実用化されてはいなかった時代ですが、火薬を使った手投げ弾などは現れて、対馬、五島列島、壱岐島は一日で陥落した。
長崎、佐賀、福岡沖を埋め尽くしていたその大艦隊、たった一夜で掻き消えてしまう・・・・・。
弘安の役(一二八五一年)、大艦隊を撃退したのは『神風が吹いた』とされてる台風でした。
水中考古学_d0007653_19382591.jpg
先週末からテレビ、新聞紙上をにぎわしてる琉球大・池田栄史教授の『蒙古の軍船発見』、manbowの感覚からすると「遅いよ~、もっと早く見つけ出さんかい」ですね。
発見場所は深々と切れ込んだ伊万里湾の入口に浮かぶ鷹島沖、水深20メートルほどの海底です。
むき出しで海底に横たわっていた訳じゃありません。
ヘドロの中に眠ってた訳だけど、水深20メートルと云えば趣味の範囲を出ないmanbowでさえ素潜りで入って行ける。
内湾に等しい波静かな海底20メートル、そこに四千隻もの船が沈んだんだ。
今まで見つけられなかった方がおかしいと思っちゃいます。

宇宙開発には予算を付けるけど、考古学、中でも水中考古学には自由民主党も文部科学省も見向きもしませんでした。
ヘドロに覆われた無酸素状態の海中、保存環境は地中よりもベターだとさえ考えられているのだから、日本中の海には各地にタ~クサンの過去が埋まってるはずなんですよね~。
東北大震災が一段落したら予算つけて発掘調査に乗り出してもらいたいね。
古代から海の道として使われた瀬戸内海と日本海、貴重な発見は予算さえ付けばあちこちで発見され、歴史が変わるかも知れないんだ。
日本の水中考古学、門の前にようやく立ち止まったぐらいで、まだ扉をノックしてもいない段階ですね。

蒙古来襲図、フランスじゃあなくてアメリカに学んだ明治の画家、矢田一嘯(やだいっせい=1858~1913)の作です。
映画の看板画家的な評価しか受けていませんが、明治期にこんな油絵の描けた画家、居たんですね~。

by molamola-manbow | 2011-10-25 08:49 | 潜り・磯釣り・海


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