2013年 01月 23日
幼稚園児の背の高さ程度の石にかつての町名と由来が刻まれている。 探し歩いた訳ではない。 お目当ての釣具屋さんへの道すがら、十分程度の間に『大工町』、『台宿町』、『青物町』、『一丁田町』と四つに出合った。 豊臣秀吉に攻め落とされる(1590年)まで関東一の賑わいを見せた城下町、徳川家康の江戸幕府発足後も、箱根の関所を管轄して長く栄えた。 郵便番号導入と丁目表示で町名が変わって、郷土の文化遺産、民族資料的意味合いを持った旧の町名は全国規模で消えてった。 日本橋の南西に位置する現在のCOREDO ビル、昔の白木屋デパートの裏側辺り。 現在は日本橋一丁目になっていますが、青物町、萬町と言われていたらしい。 小田原の青物町とその隣り、萬町の住人が移り住んで作った町なんだと言いますよ。 紀州・勝浦の漁師が移り住んで開いた外房の勝浦と同じです。 名前を変えちゃったのは町名だけじゃあないですね~。 かつての小田急線、駅名を簡単に、タ~クサン変えた。 『千駄ヶ谷新田』⇒『南新宿』、『西生田』⇒『よみうりランド前』、『大根(おおね)』⇒『東海大学前』、etc・・・・・。 『よみうりランド前』なんて詐欺です。 下車しても遥か遠方、一キロも先にあるんだもの。 小田原の旧町名で、ひとつ疑問が生じた。 『青物町』って、八百屋さんの集団とか、ドデカイのが一軒あったとかですよね~。 町名が発生した北条時代に八百屋さんはあったのかな~? 主に物々交換の時代、中でも野菜は一番手軽に交換し合える品ですものね。 他の町名には納得するのですが・・・・・。 それにしても、賑わいは蒲鉾屋さんが並ぶ駅の一角だけ。 小田原も全国の地方都市に右へ倣えの落ち込み様です。 スーパーとかコンビニ、便利ではあるけれ、ど町を疲弊させてます。
by molamola-manbow
| 2013-01-23 13:16
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