2013年 02月 04日

難解、わらべ歌

去年の夏の終盤あたりまでだったでしょうか。
TV から長崎のわらべ歌が盛んに流れていました。
奇妙奇天烈な言葉の羅列だけど、至って耳には心地よい『デンデラデン』の歌。
わらべ歌って、総じて難解なことばが続きます。
その最たるモノ、コレじゃあないかと思ってる。
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    ずいずい ずっころばし ごまみそずい
    茶壷に 追われてド(ト)ッピンシャン
    ぬけたら ドンドコしょ
    たわらの ねずみが米くってチュー
    チュー チュー チュー
    おとさんが 呼んでも おかさんが呼んでも
    いきっこなしよ
    井戸のまわりで お茶碗かいたの だ~あれ

理解不能の内容、神奈川県の西の外れに引っ越してきて、小田原城の不思議な名前・『お茶坪曲輪』の意味を調べるうちに、ほんの少し、理解するに至った。
訳が判らぬまま『ドッピンシャン』と歌ってた二行目、『戸をピッシャン』だったのですね~。

薩摩の殿様の大名行列の前を横切って英人が切り殺された生麦事件に端を発した薩英戦争。
切捨て御免の行列は、参勤交代のお殿様以外に、もうひとつあった。
三代将軍・家光の時代から二百五十年余り続いたお茶坪道中です。
江戸から宇治まで、将軍用のお茶を求めて茶壷を乗せた籠が下った。
行きは空の壷です。
その空壷にも、ひれ伏さなければならなかったらしい。

で、茶壷の行列が来たら、子供達は鬼に追われるようにして家に逃げ帰り、『戸をピッシャン』と言う訳です。
通り抜けて行ったら、また『ドンドコ(大騒ぎ)』しょうね~。
家の中で息を潜めていたら、ネズミのかじる音とか、何処かのお家で茶碗を割る音とか・・・・・。
そんな内容のわらべ歌だった。

小田原場内のお茶壷曲輪は、その茶壷を留め置くために作った白壁造りの蔵があった場所、これが名前の由来なんだと。
茶壷が小田原に到着した夜は、必ず雨になったといいます。
小田原藩献上の茶壷が、昔を思い出して泣くんだとか、別れた対の壷が恋しくて泣くんだとか・・・・・。
                      帰途のコースは中山道、長野・奈良井宿では再現してる(↓ ↓)
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by molamola-manbow | 2013-02-04 09:58 | 今度は地元真鶴 | Trackback | Comments(0)
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