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2013年 05月 24日

西伊豆・安良里へ、その3

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『あうん』の母港・安良里(あらり)湾の入り口(↑ ↑)は、ここまで近寄っても進入口が判り辛かった。
スターポートサイド側に舵を切ると、加山雄三さんのモータークルーザー『光進丸』が舫ってあったり、三十艇近いヨットが沖留まりしていたりとフトコロが広がる。
奥の深い湾は四方を山に囲まれていて、細い細い水路を抜けるのでとっても静かです。
d0007653_63019.jpg乗りに行くには遠いんですが、船にはまたとない環境、夏魚・イサキも大漁でしたし・・・・・。

『あうん』のオーナー・スキッパーとKENNOSUKE CUP の主・ヨットデザイナー林賢之輔さんとの仲は半世紀にも渡る。
同じ高校の先輩・後輩と言う間柄だけじゃあなくて、上下関係の厳しい運動部(ラグビー)も一緒でした。
もちろん、先輩は林先生の方、ヨットも厳しい薫陶を受けてます。

東京湾口の西・小網代沖のスタートは年の暮れです。
海上で初日の出を拝むことになって伊豆七島沿いに南下を続け、小笠原諸島、硫黄島を横目に更に南下してゴールはグアム。
1999年を最後に途切れてしまっていますが、かつて日本にも1,330マイルを突っ走る本格的な外洋レースが存在していました。
二艇が遭難して14人ものクルーが亡くなる事故(1991年)の裁判が長引いたり、参加艇が集まらなくなったり・・・・・。
その最後のグアム・レースが特訓の場でした。
HAYASHI42original 艇・『HINANO』のクルーとして参戦したのが設計者の林賢之輔さんであり、HAYASHI990・『あうん』を駆るオーナースキッパーのヤツちゃんなのです。
ゴールまでの残距離・200キロ(マイルだったかな?)を切る時点まで、『HINANO』はトップを走っていたんですよ。
そのトップのままリタイア申請を行ってエンジンを掛けた。

スタートして二日目、参加艇は依然として大島近海をうろついていなければならなかった。
そんな無風、弱風状態が延々と続いて、『Hinano』クルーの半数を占めた四人の休暇期限が迫ってきます。
リタイア申請はとっても無念なことだったでしょうが、当時の日本経済、バブルが崩壊して厳しくも辛い時代に入ってた。
頭を下げて頂いた長期休暇を更に伸ばす。
サラリーマン・クルーにとってはクビになりかねません。
世間はヨットを贅沢極まりない遊びとしか見ていませんもの。

小さな島国でありながら、経済水域は世界第六位、広大な海を持つ海洋国の割りに、海への関心は爪の垢ほどでしかないのが日本です。
ヨット界も耐航性が低くて軽いレース艇によるインショアレースが圧倒的となり、外洋レースは鳥羽から江ノ島沖までのパールレースだけ。
グアムレースの事故がトラウマ化し、長距離レースには二の足を踏む状態が続いています。
仙台からKENNOSUKE CUP に参戦した『雪風』、沖縄までシングルハンドで出掛けちゃう『あうん』などなど、林賢之輔さんの設計艇は扱い易く、堅牢かつ安全性に富んだ外洋クルーズ向けのヨット、活躍の場がないんですよね~。
                    仙台に帰る『雪風』(左)と初めて石廊崎を越えて清水から参戦の『CALYPSO』、ともに林艇・Trekker34です

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by molamola-manbow | 2013-05-24 08:29 | ヨット


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