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2014年 05月 09日

  式根島の昔

東海汽船が発着する島北部の野伏港とは真逆の位置に、使われなくなって久しい式根島港が口を開けている。
どちらも美しい風景が周辺を飾り、「喧噪を離れて来た甲斐」を感じさせる伊豆七島一のたたずまいを持つ港だ。
島の中心部は未だにこちら式根港側にあって、な~にもない無い野伏港側と違って商店、民宿が集中している。

波かよふ 門をもちたる岩ありぬ 式根無人の 嶋なりしかばと与謝野晶子が詠んだ岩の門、「コイツを眺めつつの歌かな~」みたいな岩石も聳え立っている。
d0007653_7264955.jpg
物忘れが進んで女将さんに時折り叱られたりしている定宿の大女将、「何処をほっついていたの、早く朝食を食べちゃって下さいよ」の女将さんの言葉を無視する形で、しばらく我々と話し込みました。
お世話になったおばあちゃんです。
磯への送り迎え、毎年、車を運転してくれたし、天候の変化を風の変わる時刻まで、ピタリピタリと当てるんです。
「今日の風は〇〇時に変わるよ、しばらくここで我慢して釣ってなさい」とか。
「潮は〇〇時に逆に動き出す」とか。
おばあちゃんからその日の気象情報を仕入れて磯に出れば、間違いのないものだったのです。

四半世紀近く、お世話になってきたおばあちゃんなのですけどね。
毎年お世話になっている我々の顔は覚えてくれていない。
d0007653_822113.jpg御年八十五だという、品が良くて、若い頃はさぞやを感じさせるそのおばあちゃんが、いきなり昔話をし始めました。
「十八の時、来なさったと」
「何がです?、誰がです?」
「アノ晶子先生よ、与謝野晶子先生」
式根島に立つ碑には昭和13 年(1938 年)来島の際に詠んだとあるから、指折り数えると七十六年前のことになる。
となると、おばあちゃんの年齢は八十五じゃあ、数が十も少な過ぎです。
十八と言う年齢はおばあちゃんが嫁いだ年でして、この年の記憶はとっても鮮明なんです。
「先生の後にくっついて緊張しながら歩いた」とか、「一言も聞き漏らすまいと、何時も耳をそばだてた」とか。
我々を乗せた車を運転し、磯への送り迎えをしてくれた記憶はないのに・・・・・。

「与謝野晶子じゃあなくて、何故に樋口一葉なのでしょう?」
お札の肖像のことを持ち出しますと、我が意を得たりとばかりに、「あれは晶子先生、晶子先生じゃなければ」。
おばあちゃんには使えないお札になって、タンス預金がギッシリになったに違いありません。
草葉の陰の与謝野晶子先生、一度の出会いを大切な思い出にしている大ファンが島においでです。
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by molamola-manbow | 2014-05-09 10:40 | 潜り・磯釣り・海 | Trackback | Comments(0)
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