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2014年 05月 27日

  堀江謙一以前に太平洋を帆船で渡った先駆者 その2

d0007653_9241614.jpg1962 年の夏(12 日)、うだる暑さの中を一隻の極小ヨットがロサンゼルス港に侵入してきた。
全長5 メートルに満たない『マーメイド』、マストには黄色い『Q 旗』を揚げていた。
コックピット上には東洋人がポツーンとひとり。
オズオズした態度が伺えるし、迷い猫の様に広い湾内をウロウロし始めたのに、だ~れも注意を払おうとはしません。
太平洋を越えて異国のヨットが侵入してくるなんて。
掲げられた『我れ、検疫を求む』のQ 旗の意味、現在以上に認識度は低かったであろうし・・・・・。
金門橋を潜って、ようやく一隻のヨットが興味を示した。
近づいてきて「where are you came from」と叫ぶ。
「ジャパ~ン、フロム オ~サカ」と叫び返した。
92 日間を掛けた堀江謙一青年の太平洋ひとりぼっちのエンディングです。
実際はお隣り兵庫の西宮からでしたが・・・・・。

質の違う大騒動が日本とアメリカで同時に起こる。
ビザ無し、パスポート無しの渡米を外務省、海上保安庁、マスコミ等は一斉に糾弾し始めた。
『早期強制帰国を』、『不法出国を糾弾』、『真似をさせないために厳重処罰を』などなどと。
ロサンゼルス市が不法入国よりも偉業の方を讃えて名誉市民号を贈り、一か月の滞在許可を認めて大歓迎を始めると、日本の糾弾姿勢はガラリと変わった。
杓子定規な国民性とフロンティア・スピリットが生きているアメリカ、日航機による帰国の際は英雄扱いとなりました。

d0007653_10292455.jpg太平洋横断の先達・吉田亀三郎、こちらは明治、大正、昭和とひどい扱いを受けて、意図的にその偉業を歴史の中に埋没させられた観があります。
生まれ故郷・愛媛の西海岸では断片的に語り継がれてきていた。
曰く『『宇和島の帆曳き船で太平洋を渡った冒険野郎』、或いは『仲間四人と語らってアメリカに渡った密航者の頭目』
この噂話を聞きおよんで、ち密な取材を続けて行ったのが海洋ジャーナリスト・小島敦夫著の『密航漁師 吉田亀三郎の生涯』(集英社、2001 年刊)です。
「そこに海があるから」太平洋に挑んだ純な堀江謙一青年の動機に比べ、密航漁師の頭目には「アメリカに渡ってヒト旗挙げる」野心があった。
しかし、1902 年と言う明治期に太平洋を帆走で越えた海事的偉業はとてつもなくでっかい。
沿海帆走オンリーでしかなかった和船の質を再評価するチャンスでもあったのです。
この資料が何処にもなかった。
日本の木造船のその性能にまで踏み込んだ石井謙治著の『和船』(法政大学出版)、この本にも一行も触れられておりません。

明治45 年(1902 年)という年は、処女航海の豪華客船・タイタニックが遭難した年です。
船は帆からスクリューの時代へと移行し始めていましたが、吉田亀三郎の『住吉丸』は全長約10メートル内海用の帆走漁船です。
五月上旬に愛媛・八幡浜を密かに出航し、外房・小湊経由で19 日頃のサンチャゴ郊外到着です。
『マーメイド』が要した三か月に比べ、『住吉丸』はほぼ一か月も早いことになる。
密航と分かって強制送還はされますが、そのスピリッツは開拓者魂の心を揺さぶって、アメリカでは恩赦運動が起こっている。
船を焼いて密航を隠したたことが判って送り返されますが、『住吉丸』で堂々と港に乗り込んでいたら・・・・・。
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by molamola-manbow | 2014-05-27 10:33 | ヨット


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