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2014年 05月 28日

  堀江謙一以前に太平洋を帆船で渡った先駆者 その3

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d0007653_10343216.jpg小さな帆船で海に挑んだ冒険者達の中で、冨に有名な先駆者は『スプレー号』のジョシア・スローカムでしょう。
1895 年(明治28 年) 月にボストンを出航し、三年と二か月を掛けて反時計回りで世界を一周した。
帆走漁船を改良して作った、ヨット紛いの船でした。
英国・ワイト島を一周して争ったアメリカズ・カップの始まりは1851 年(嘉永 年)、優勝艇・『アメリカ』はニューヨークからの挑戦艇でした。
大西洋を横断する漁船改良型の帆船は数多く生まれ、ヨットも造られ始めた時代です。
しかし、太平洋を最初に横断した帆船は、吉田亀三郎の『住吉丸』の前には一隻もない。
上海から日本経由でサンフランシスコ に渡った二人の英国士官の『タイ・モーシャン』は1933 年=昭和 年、日本人女性・タネ夫人を同伴し、二人のクルーと一緒に上海から長崎ー横浜経由でカリフォルニアを目指した『ハメル・ハメル』も1938 年=昭和13 年まで下ります。

その太平洋横断のイの一番の記録が海事書、歴史書の中に一行もない。
やはり密航の二文字が災いしているのでしょう。
己の意志で帆を操り、自然に打ち勝って目的地へ。
『アメリカに渡ってヒト旗挙げる』と言う密航が動機であっても、己の力で太平洋を横断した事実、これは評価されるべきでしょう。
日本とアメリカで交された当時の公文書の中とか、愛媛の郷土史には、断片的に僅かな記述があるらしい。
より詳しい記録は太平洋の向こうに有ると言うのも悔しいね。

吉田亀三郎の驚きは第一回密航の翌年、もう一度太平洋に挑んでいること。
少し大きい打瀬船・『東光丸』を手に入れて、総勢26 人と共に今度はカナダのブリテッシュ・コロンビア州へ。
二度目の密航、今度は成功して亀三郎以下24人はカナダ、米国で職に就くことになる。

驚く事は他にもある。
吉田亀三郎が企てた1902年の『住吉丸』と翌年の『東行丸』の密航だけではなくて、大正 年(1915 年)までに同じ愛媛の八幡浜一帯、宇和島海から4 隻もの密航打瀬船がアメリカを目指し、全艇が西海岸に到着していることだ(➡ ➡)。
吉田亀三郎の第二回『東行丸』以外の密航者は全員強制送還されちゃうのですが・・・・・。

総勢70人もの密航者を太平洋の向こうまで運んだ和船、打瀬船とはどの様な帆船なのでしょう?
和船の弱点、風に向かっての上り性能に欠けて、追手の風でしか動かないとか。
横波に弱くてすぐに転覆するとか。
キールが無いから直進性能に劣るとか・・・・・。
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by molamola-manbow | 2014-05-28 10:43 | ヨット | Trackback | Comments(0)
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