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2014年 06月 13日

  多摩川最下流の堰とウナギ

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小田急線の車窓から眺めた多摩川最下流の堰、名前は『宿河原』あるいは『二ケ領』堰と呼ばれている。
川崎市の稲作地帯に用水を供給するための堰、前身は関ヶ原の戦い前にまで遡れるんだと言います。
昭和49 年(1974 年)の秋口、コノ堰が決壊した。
堰の付け根部分から堤防が崩れ、家が濁流に飲み込まれて行くシーンは、災害をTV カメラがリアルタイムで流した最初であったような・・・・・。
左手、東京の狛江市側が決壊しました。
今度の豪雨注意報、出されっ放しだったし、雨の六月一か月間の雨量を超える降雨
増水はしておりましたが、余裕の川幅と穏やかな流れ。
思いはすぐに絶滅危惧種のレッドカードを貰ったウナギに代わりました。

堰の下流側は小学生の遊び場、魚道の壁などに座って流れに足など浸しておりますと、指の間をすり抜けて遡上して行く半透明な細いヤツ、シラスウナギがひっきりなしだった時代があるのです。
鹿児島は川内川の上流、大口町(現伊佐市)から世田谷区立小学校の五年に編入した年だったのか、その翌年だったのか、昭和の20 年代後半です。
同級生に誘われて、初めて多摩川で遊んだGW、「都会の餓鬼共はな~にも知らね~んだな~」でしたね。
ハヤとウグイが見分けられないし、シラスウナギも知らない・・・・・。
「何だ、コレ?」を、「捕まえて飲み込むと泳ぎが上手くなるんだ」などと。
鹿児島の餓鬼のおまじないを教えて、掬ったシラスウナギを飲み込ませた。
そうなんです。
クネクネと身をくねらせつつ遡上する半透明は、小学生が手のひらで掬えられるほど次から次でした。

d0007653_10221329.jpgコチラは葉山の御用邸(⇨ ⇨)。
右が母家で左が離れ?の間を流れ下って、一色の浜に落ちるコノ細流でもウナギは掛かった。
上流に親友の家があって、大学の四年間は入り浸って夏をすごしていた。
捌くのが面倒な魚ですので、夜間にウナギ針を仕掛けたのは一度だけ。
そのたった一度に掛かったのだから、日本の川はウナギだらけだったに違いない。

マリアナ海溝周辺でウナギの卵が見つかったのは、2000 年代に入ってから。
生態はまだナゾだらけの生き物で、卵から孵ってシラスウナギ程度に成長するまでの間、何を喰らって生きているのかさえ分かっていないんだと言います。
先般の絶滅危惧種指定は鰻屋さんならずとも気になります。
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by molamola-manbow | 2014-06-13 09:12 | 犬・猫・蛙に動植物


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