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2015年 03月 08日

  賑わっていたんだな~

神奈川県の西の端に引っ越して来た当初は、突然鳴り響くサイレンの音に驚ろかされた。
音が鳴り止むと、役場のアナウンス嬢がしゃべり始めます。
「コチラは防災無線です」の決まり文句に始まって、町議会の開始時間とか、インフルエンザの予防注射とか、小中学校の運動会のお知らせとか・・・・・。
サイレンをそんな事に鳴らすんじゃあね~、別のキンコンカ~ンを考えろ、四六時中サイレンを鳴らしていたら、『オオカミが来た~』になっちゃうぞ、なのですよ。
町民に呼びかけて古い写真を借り、写真展を催す試みの際にもサイレンは鳴りました。
住人になって日は浅いが、「オイラだって持ってるゾ」と考えたその写真展(町営図書館)を、昨日は覗きに行った。
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昭和31年(1956年)のブリ漁の模様(⇧ ⇧)です。
この二年前には57万本もの水揚げを記録した太平洋岸切ってのブリの産地、それが真鶴港であったらしい。
ブリの産地と言えば日本海側の氷見(富山)、太平洋岸でもこんなに獲れた時代が有ったんだ~とびっくりです。
57万本時代から半世紀、2005年の水揚げは一本、二本と数えられる年間総数たったの18本。
一体何が原因なのでしょう?
張りっ放しの定置網が元凶だと読んでます。

磯釣りにはまって石鯛を追掛けていた頃です。
石鯛竿の他にもう一本、ルアー竿を傍に置いて釣っているベテランとおぼしき釣り師と遭遇しました。
何に使うのか、見当もつかずにいましたところ、いきなり竿を持ち替えてルアー竿一閃です。
巨大なブリを釣り上げるのを目の当りにしたことがある。
まだ梅雨も明けやらぬ初夏であったような・・・・・。
目の前をトリヤマが通った様な・・・・・。
などと記憶を手繰り手繰り、磯からもブリが釣れた時代に想いを馳せる一枚となった。
57万本の時代から20年ほど下った、伊豆半島の東海岸・八幡野の地磯での事です。

一年を掛けて九州南部・奄美の海から津軽海峡を渡った噴火湾や奥尻島周辺までを回遊するブリ。
東京湾の奥でもワカシ、イナダ、ワラサ、ハマチと、成長するにつれて名前が替わる出世魚だと言うことを知っている。
美味しい魚がコンスタントに10万本、いやその半分でも水揚げ出来れば、浜の賑わいも戻るのですが・・・・・。

コチラ(⇩ ⇩)は更に時代を遡る昭和5年(1930年)の真鶴港の姿。
今は砂浜は埋め立てられて本船の着岸も可能な岩壁に変わっています。
奥の緑が真鶴半島の付け根、先端への海沿いの道路もまだ敷設されていません。
昭和初期の海水浴場、結構賑わっておりますし、質素ではあるけど豊かさを感じます。
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by molamola-manbow | 2015-03-08 09:31 | 今度は地元真鶴 | Trackback | Comments(0)
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