2017年 02月 17日

  「ウ ソ つ け ~」 は正しかった

d0007653_8584949.jpg箱根湯本の町役場を訪れた時に、正面玄関横の『早雲寺近道』という小さな標識を見つけた。
小田原城の初代城主は北条早雲です。
「キット関係のあるお寺に違いない」と考えて、役場で用事を済ませて道順に従った。
階段115段(⇨ ⇨)を上らされました。
それから急坂(⇩ ⇩)の下り。
箱根登山鉄道の湯本駅から昇り始めた事を考えるとひと山越えたことになる。
片道 2 0 分弱の上り下り。

d0007653_9513883.jpg小田原駅前の路地裏・『おしゃれ横丁』にちっちゃな墓地があります。
小田原を納めて五代 1 0 0 年、というよりも関東一円を支配した武蔵・相模の国の大大名・北条家の氏康、氏政( 3 、4 代目)の墓だと看板ではうたっております。
お墓は小田原城の天守閣からの直線距離で 8 0 0 メートルほどの近距離です。
城主であればお城の庭先にだってお墓は建てられますけど~。
ココはお掘の掘削土砂を捨てた『揚土(あげつち)町』、職人が集まった『大工町』などの近場でして、「お殿様がこんな所に建てるか~?」の疑問を捨てきれません。
山越えまでした探求心には、そんな動機も潜んでおりました。

結論は墓地の奥、階段 2 0 数段を上った上座に鎮座なさっておりました。
左から早雲、氏綱、氏政、氏直、氏盛と、北条家五代の当主の墓が立っていて、墓前には真新しい花が飾られていた。
早雲寺は北条早雲が建立して北条家の菩提寺としたお寺ですが、豊臣秀吉はココ早雲寺に本陣を置いて小田原城を攻め、天正18年(1590年)の一夜城(石垣山城)完成と同時に寺を焼き払って本陣を移した。
再建されて早雲寺の名前が復活するのは徳川三代将軍家光の時代だとされますので、半世紀以上お寺も墓も荒れ放題であったらしい。
戦国時代の敗将は敗れただけでは済まなかったようです。

そんな訳で小田原駅前のお墓は、やっぱり「何なんだ?」
商店街の小知恵の利く誰かさんの発案で設けた客寄せパンダと言うことになります。
但し、どちらが幸せかどうかは判らない。
駅前墓地には観光客が引っ切り無しですので北条さんは退屈しないで過ごせそう。
本当の墓地は~、山越えをしなければ到着できません。
写真を撮って小一時間、この間ダ~レとも出会わなかった寂しい所にあるんだもの。
「こりゃ、手持ち無沙汰だわ」なのですよ。

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        苔むした萱葺き屋根の鐘楼に吊るされている梵鐘は、豊臣秀吉が小田原城を包囲した際に一夜城で使ったモノであるらしい。
                         敵も、味方も一緒の菩提寺、「ウム~、珍しい」
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             コチラは早川沿いを彩る箱根湯本のサクラ、憶えてきたはずの擬宝珠で飾られは橋の名は・・・・・?
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by molamola-manbow | 2017-02-17 07:42 | 今度は地元真鶴 | Trackback | Comments(0)
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