2017年 02月 19日
「どうお?」の誘いに乗って小田急線祖師ヶ谷大蔵の『魚店(いおだな)きなり』に着いたのは開店の 1 0 分前辺り。 禁煙居酒屋ですので、お店の前の喫煙所で一本吸ってから中に入った。 「ハヤッ」が入り混じった表情で従業員が出迎えてくれたのは 1 6 : 5 5 分と言ったところだったでしょう。 陽が伸びて、夕焼け空さえもがまだ先の時刻からの飲み始め。 神奈川県の西の端っこに引っ越してから、呑むのは何時もコノ時間から。 鈍行しか停車しない駅ですので特急、急行への乗り換えをプラスすると、揺られること 2 時間に二度の乗り換え。 そんなこんなで飲み始めは何時もコノ時間から。 サラリーマンは休日をつぶして付き合ってくれなければなりません。 窓から差し込む昼間の日光とダ~レモお客さんの居ないカウンターの端っこで、口開けの客は飲み始めました。 誘ってくれた張本人の到着、口開け m a n b o w から数えて五番目の客であったような・・・・・。 もう一人、「到着は 6 時頃」と打電してきた男が加わるまでの一時間程の間のこと。 入り口のドアが細目に開いて「アラ、空いてる」の女性の声がしてマスターと交渉を始めたお客さんがいらっしゃった。 直ぐに何をしにやって来た客であるかが判っちゃうましたね。 障子で仕切られた小別間じゃあ御座いませんが、降り口の横に目の高さを板壁で隠した小部屋が有って、掘りごたつ式の細長いテーブルを囲んで十数人が一緒に飲める場所があるのです。 そこに六人ほどの団体客が入りました。 入ると同時に漏れてくるのは場違いな若い嬌声です。 どれほど若い声なのか、小、中学生の"ツマミ"選びの声なのですよ。 「わたし〇〇」とか、「僕〇×」などと。 屋台を含めた居酒屋さんの定義、詳しいことは存じ上げませんが、手軽にお酒が飲めてついでに食事もできるところとして江戸時代に定着したようです。 呑み助の独占場となったのは昭和もかなり下ってから。 それまではファーストフード店の様に子連れで訪れるケースも多かったらしい。 忙しくって夕食を作る暇がなかった時などに、夜泣き蕎麦的居酒屋で食事を済ませてオヤジは一杯やって帰る。 コノお店、カウンターでお寿司を握ってもらうこともできるから、お茶と握りだけで呑み助の相手をすることだって可能なのです。 そんな訳で子連れ客はよく見掛けます。 大勢で訪れて"目隠し小部屋"を占拠しちゃったこともあるけど、あそこは遠慮しなきゃあならない専用部屋だね。 魚店・きなりのご主人(⇩ ⇩)です。
by molamola-manbow
| 2017-02-19 09:57
| 酒・宴会・料理
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