2006年 05月 15日
先週末は梅雨のはしりのような天候が続きましたので、暇つぶしに読書でもしようと読み物をあさっておりましたところ、書棚の隅でコイツを(→)を見つけました。 箱から引っ張り出してみると、背表紙付きの本の形こそしているものの、表と裏の表紙の裏に(紛らわしい言い方だなあ)ポケットを付けた、布張り装丁の立派な地図入れでした。 日本地図選集 『武蔵野国全図 増訂 伊豆七島全図』(人文社蔵版)、親父の蔵書です。 不思議なことに発行年月日が何処にもない! ポケットから興味のある方(伊豆七島全図)を出してみると、タタミ二畳ほどの和紙に刷られた地図が出てきた。 なんと、『KENNOSUKE CUP』(27日、油壺沖ー伊東)のレース海域(↓)が網羅されている地図じゃあ~りませんか! 解説によると、江戸末期、天保十三年(1842年)に五百部だけ刷ったモノだとか(もちろん復刻版です)。 KENNOSUKE CUPのフィニッシュ間際、レース艇の行く手を阻んで立ちはだかる初島の南東沖に、もう一つシマ(田次島)があったなんて、知ってました? 真鶴(真名鶴)沖にも笠島、鴨島とふたつ。千葉・館山沖の、いまでは埋め立てられて地続きになっている沖の島の北にも島がひとつ(高島)あったらしい。 伊豆七島の新島と式根島の間にもふたつの島が描かれている。 現在も残るのは地内島だけ。もうひとつは何処に消えたんだ~! 小松の左京さんはこの地図を見たに違いない!な~んちゃってね。 こちらの地図は小笠原全図(→)。八丈島・八重湊へ九百八十里とある。 余白には「全島無人」とあるから、この頃は無人島だったんですね~。 地図が刷られた天保十三年という年は、下田開港の二年前である。 こんなことを知っているのは、下田開港百五十年祝賀のKENNOSUKE CUPが、一昨年下田で開かれたからにほかならないのだけど、ひとつ疑問が浮かびました。 無人島の小笠原をアメリカは捕鯨基地として使っていて、この捕鯨がらみでアメリカは開国を迫ってきた訳ですよね。 領有権って、基本は何なんでしょうね。 アメリカは何故小笠原の領有権を主張しなかったんだろう? 誰か教えて!
by molamola-manbow
| 2006-05-15 12:43
| ヨット
|
アバウト
カレンダー
カテゴリ
以前の記事
タグ
長崎・HINANO(65)
Hinano(53) カエル(27) 魚店・きなり(21) カラス(21) 燻 製(19) 干し柿(18) 古代カヌー(15) ワン公(14) t's Bar(9) 零余子(9) vunvalley(8) ジェシカ(7) Vunvalley(7) マンボウ(5) ザクロ(5) 鯛の餌(5) ロック バランシング(4) HINANO(3) フォロー中のブログ
最新のトラックバック
検索
その他のジャンル
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
ファン申請 |
||