2005年 03月 21日
孀婦岩(そうふいわ)
空と海が交ぐ合う、遥か彼方の水平線上に、気がつくと、それはひっそりと姿を現していた。
東京から真南に下ること660km。團伊玖磨が『九つの空』に記し、開高健が『完本私の釣魚大全』に書いている[孀婦岩]は、空と海が曖昧模糊となって溶け合うハザマの中に霞んでたたずみ、懸命に凝視していると現れ、目を離せば消える、モロくて危なげな幻であった。
地図を開くと八丈島の先に小島と岩礁の連なりがある。
北から順に青ヶ島、べヨネーズ列岩、明神礁、須美寿島、そして無人島となって久しい鳥島。
孀婦岩(北緯29度47分38秒、東経140度20分7秒)は更にその先に位置するのだから、絶海のど真ん中である。
周囲は伊豆・小笠原海溝と駿河トラフのに挟まれた世界でも有数の深海。
その水深2,000mの海底から、垂直にグググーンと立ち上がって、頂上部分の99mを海面からのぞかせている奇岩、それが嫂婦岩である。
                                       [撮影/久我耕一]

 開高健は「突如として水平線上に小さな感嘆符がついているのを目撃することとなる」と記した。氏のランドホールの瞬間は、こんな光景だったのだろうか。
42ftのセーリングクルーザー「ひなの」(久我耕一オーナー)を駆り、我々総勢8人が、はるばるここまでやってきたのは、3人のロッククライマーを送り込み、奇岩への初登頂を目指すため。
つまり、ウミ屋とヤマ屋が手を組んだセールとザイルのコラボレーションだ。
2003年4月21日に油壺を出発して帰港したのが5月2日。 トータルログ811海里(1,476km)の遠征だった。
 
高さ99mのポセイドンのオベリスク。その頂きへの初登頂!
成否のカギを握るのはゴムテンダーで岩礁に取り付く、渡礁作戦に懸かっていて、ヒーブツー(風の力を二枚の帆の操作で相殺し船を留め置く技術)で2日間、天候(うねり)の回復を待た。
飽きることなく周囲を回り、渡礁ポイントを探す。東西84m、南北56mの岩塊は、垂直に切り立つ西側など、何処も取り付くことは不可能なように見えた。
伊豆の下田から漁船をチャーターしてここまで来ると200万円。竿を出さない手はないと、大物仕掛けで糸もたらした。だが、釣れてくるのは1m強のサメばかり。そういえば名人・開高健の釣果もサワラ一匹。大きさは記していないから、リリースサイズだっに違いない。
ウフッである。






画面の中央、やや左に橙色の荷物が見える。この小さなテラスが渡礁地点となった。うねりの底と頂上の落差を、現地では4~5mと推視したが、写真で測るとその倍はあったようだ。




KAZI誌(2003年10月号)に掲載された拙文を引用すると、渡礁作戦はこうだ。
うねりの頂点が磯際に近づく間合いを計ってテンダーを寄せ、引き波と同時に磯から逃げる。跳び移るのは、打ち寄せるうねりの頂点にテンダーが乗り、なおかつ磯際まで寄った瞬間でなければならない。
ハッと思ったときに、ナンチャン(トップザイルの南裏健康)はテンダーの中にいなかった。猿(マシラ)のような素早さだ。1回の動作で跳び移る~駆け上がるをやってのけ、孀婦岩にスックと立つと、腰に巻いていたロープを手繰り寄せ始めてるではないか。

コブシ大のフジツボでビッシリとガードされた磯は、ゴムのテンダーにとって天敵のようなものだ。乗り上げれば①ひっくり返る②空気が抜けて沈するの二者選択しかない。
3人のクライマーと登頂機材一式を陸揚げする渡礁作戦は、4月28日の早朝5時30分から開始され、ハラハラドキドキの1時間10分となった(登頂記録は山と渓谷誌の2003年8月号に掲載された)。
クルー5人の見守る中でのクライミング・ショーは、3時間10分でトップザイルのナンちゃんが頂上へ。その40分後には全員が頂上に立ち、正午過ぎには無事下山、15時には全員帰艇して完了した。
 












国内に残された唯一の未踏峰の征服ダーッ!!
となる筈だったのだが、頂上には錆びついてボロボロになったハーケンの残留物。
後で調査したところ、早稲田の探検部が八丈島で漁船をチャーターして挑み、成功していたことが判明した。1972年だったと言う。


孀婦岩頂上で採取した岩の破片。コンクリートブロックのかけらに類似していて石としての魅了は無いが、極微細なガラス質が含まれていて、光にかざすとキラキラ光る。



山と渓谷の見出しは 絶海の孤島「孀婦岩」の登頂に成功!(孀婦岩洋上登山隊)
KAZI誌は セールとザイルのコラボレーション(ひなのの孀婦岩登頂クルージング)
それぞれ4ページを割いて掲載してくれた。
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
双方の紙面で触れられていなかったことを一つ記すなら、頂上に生えていたイネ科植物のことだろう。
どのような経路で運ばれて根付いたのか・・・。

▼登頂隊 キャップ・藤原一考 トップザイル・南裏健康 ムービーカメラ・井納吉一
▼支援クルー スキッパー・久我耕一 久我通世 清水勝彦 峰島新太 末冨鞆音


by molamola-manbow | 2005-03-21 00:07 | ヨット | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : http://heymanbow.exblog.jp/tb/33936
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
名前 :
URL :
非公開コメント
削除用パスワード設定 :


< 前のページ      次のページ >