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2005年 03月 18日

  孀 婦 岩 ( そ う ふ い わ )

空と海が交ぐ合う、遥か彼方の水平線上に、気がつくと、それはひっそりと姿を現していた。
東京から真南に下ること 6 6 0 k m 。團伊玖磨が『九つの空』に記し、開高健が『完本私の釣魚大全』に書いている[孀婦岩]は、空と海が曖昧模糊となって溶け合うハザマの中に霞んでたたずみ、懸命に凝視していると現れ、目を離せば消える、モロくて危なげな幻であった。
地図を開くと八丈島の先に小島と岩礁の連なりがある。
北から順に青ヶ島、べヨネーズ列岩、明神礁、須美寿島、そして無人島となって久しい鳥島。
孀婦岩(北緯294738 秒、東経1402007 秒)は更にその先に位置するのだから、絶海のど真ん中である。
周囲は伊豆・小笠原海溝と駿河トラフのに挟まれた世界でも有数の深海。
その水深 2 , 0 0 0 m の海底から、垂直にグググーンと立ち上がって、頂上部分の 9 9 m を海面からのぞかせている奇岩、それが嫂婦岩だ。
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                                              [撮影/久我耕一]

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開高健は「突如として水平線上に小さな感嘆符がついているのを目撃することとなる」と記した。
氏のランドホールの瞬間は、こんな光景( ⇦ ⇦ )だったのだろうか。
4 2 f t のセーリングクルーザーHinano(久我耕一オーナー)を駆り、我々総勢 8 人が、はるばるここまでやってきた目的は、 3 人のロッククライマーを送り込み、奇岩への初登頂を目指すことにあった。
d0007653_031562.jpgつまり、ウミ屋とヤマ屋が手を組んだセールとザイルのコラボレーションだ。
2 0 0 3 4 2 1 日に油壺を出発して帰港したのが 5 2 日。
トータルログ 8 1 1 海里( 1 ,4 7 6 k m )の遠征でした。

 
高さ 9 9 m のポセイドンのオベリスク、その頂きへの初登頂
成否のカギを握るのはゴムテンダーで岩礁に取り付く渡礁作戦に懸かっていて、ヒーブツー(風の力を二枚の帆の操作で相殺し船を留め置く技術)で2日間、天候(うねり)の回復を待った。
飽きることなく周囲を回り、渡礁ポイントを探す。
東西 8 4 m 、南北 5 6 m の岩塊は、垂直に切り立つ西側など、何処も取り付くことは不可能なように見えた。
伊豆の下田から漁船をチャーターしてここまで来ると 2 0 0 万円也。
竿を出さない手はないと、大物仕掛けで糸もたらした。
だが、釣れてくるのは 1 m 強のサメばかり。
そういえば名人・開高健の釣果もサワラ一匹。
大きさは記していないから、リリースサイズだっに違いない。
ウフッである。

d0007653_0341317.jpg画面の中央、やや左に橙色の荷物が見える。
この小さなテラスが渡礁地点となった。
うねりの底と頂上の落差を、現地では 4~ 5 m と推視したが、写真で測るとその倍はあったようだ。
K A Z I 誌( 2 0 0 3 1 0 月号)に掲載された拙文を引用すると、渡礁作戦はこうだ。
うねりの頂点が磯際に近づく間合いを計ってテンダーを寄せ、引き波と同時に磯から逃げる。
跳び移るのは、打ち寄せるうねりの頂点にテンダーが乗り、なおかつ磯際まで寄った瞬間でなければならない。

ハッと思ったときに、ナンチャン(トップザイルの南裏健康)はテンダーの中にいなかった。
猿(マシラ)のような素早さだ。
1 回の動作で跳び移る~駆け上がるをやってのけ、孀婦岩の裾にスックと立つと、腰に巻いていたロープを手繰り寄せ始めてるではないか。

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コブシ大のフジツボでビッシリとガードされた磯は、ゴムのテンダーにとって天敵のようなものだ。
乗り上げれば ① ひっくり返る ② 空気が抜けて沈するーーの二者選択しかない。
3 人のクライマーと登頂機材一式を陸揚げする渡礁作戦は、 4 2 8 日の早朝 5 3 0 分から開始され、ハラハラドキドキの 1 時間 1 0 分となった(登頂記録は山と渓谷誌の 2 0 0 3 8 月号に掲載された)。
クルー 5 人の見守る中でのクライミング・ショーは、 3 時間 1 0 分でトップザイルのナンちゃんが頂上へ。
その 4 0 分後には全員が頂上に立ち、正午過ぎには無事下山、 1 5 時には全員帰艇して完了した。

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「国内に残された唯一の未踏峰の征服ダーッ!!」
である筈だったのですがね~。
頂上には錆びついてボロボロになったハーケンの残留物です。
後で調査したところ、早稲田の探検部が八丈島で漁船をチャーターして挑戦し、登頂していたことが判明した。
1 9 7 2 年であったと言います。

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孀婦岩頂上から持ち帰ったお土産の破岩。
コンクリートブロックのかけらに類似していて石としての魅了は無いが、極微細なガラス質が含まれていて、光にかざすとキラキラ光ります。

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山と渓谷の見出しは 絶海の孤島「孀婦岩」の登頂に成功!(孀婦岩洋上登山隊)
K A Z I 誌は セールとザイルのコラボレーション(ひなのの孀婦岩登頂クルージング)
それぞれ 4 ページを割いて掲載してくれた。
         ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
双方の紙面で触れられていなかったことを一つ記すなら、頂上に生えていたイネ科植物のことだろう。
どのような経路で運ばれて根付いたのか・・・。
 ▼登 頂 隊  キャップ・藤原 一考 トップザイル・南裏 健康 ムービーカメラ・井納 吉一
 ▼支援クルー  スキッパー・久我 耕一 クルー 久我 通世 清水 勝彦 峰島 新太 末冨 鞆音
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by molamola-manbow | 2005-03-18 18:28 | ヨット


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