2008年 01月 06日
真っ直ぐに伸びる長~い鉄路から次第次第に鋭い光は消えて行きます。 真っ赤に染まった太陽が姿を消してしまうと、薄暮から闇への交代は想像以上にはやい。 そんな薄暗がりのなかで、言葉少なに「じゃあね」と左右に分かれたのは、ここからすぐのところでした。 端まで歩いて数葉をパシャリ。 見る見るウチの落陽と鉄路の輝きは、小学校の五年生にまで時間を溯らせます。 この先六駅目、『和泉多摩川駅』で降りると、当時はまだ水泳の出来た清流の流れ、多摩川にぶつかる。 夏休みには連れ立って数人で、ここまで遊びに遠征したものでした。 駅から少し上流へと川沿いに歩むと、松林の生い茂る一角があって、そこから川原に降りる。 服を脱ぎ捨て、二眼の水中メガネを額にのっけると先を争ってワ~ッ! 中には几帳面なヤツもいて、きちんとたたんで適当な大きさの平たい石をその上にチョコン。 そんなガキどものポケットを探り、お金を盗んで去るオトナ、いたんですね~。 復路の電車賃と、帰りしなのアンパン一個とかアイスキャンデー、この程度の買えるお金ですから、多くて十円玉三個、ソイツを盗んで回るんです。 一度、三人で歩いて帰らされました。 鹿児島の山野を跳び回って過していた野生児・manbowの上京は、この年の春ですから、軟弱な都会のガキん子とは違います。 「おかあちゃ~ん」と泣き出す母さん子をなだめ、「帰れない~」を連呼するモヤシっ子を「線路に沿って歩けば家だ」と諭す。 季節は真逆の夏真っ盛りの出来事ですが、西日に光って真っ直ぐ伸びる小田急線の鉄路を眺めると、小学校五年の夏休みの一日が目蓋に浮かぶのです。 多摩川と住まいする経堂の中間に、当時は駅舎を線路の上に設けていた『成城学園前駅』があった。 道端にたたずむ家の表札から、住所が船橋~経堂に変わり、ガキ三人が言葉少なに左右に分かれた時、振り返るとはるか西の線路の上、薄暮の残る空に『成城学園前』の駅舎は黒い塊で認めることができた。 その時の黒い駅舎と鈍く光る鉄路は、今とは違う野原、畑の広がりの中で鮮やかに浮かびます。 今、線路は高架化し、成城学園駅は地下に潜った。 直線で川までおよそ六キロ、調べてみた距離です。
by molamola-manbow
| 2008-01-06 17:21
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