2009年 05月 29日
中学一年の夏休みに白馬岳に登って大層苦しい思いをしたので、「二度と山なんぞには登らないぞ」と決意して、今日まで無縁で過してきた。 新宿発の夜汽車に乗り込んだ時からトイレに行きたかったのに、通路も座席の下もヒトひと人! とてもじゃないけど行き着けそうに無い状況だったので我慢した。 コイツが悪くって、頂上の山小屋に着くまで冷や汗流して苦しんだ。 「ちょっと失礼、雉撃ってくる」な~んてことが言えない年頃、クラスメートの女性もいたし・・・・・。 そんなオイラに、深田久弥の随筆『日本百名山』をもじった『日本百低山』(小林泰彦著、文芸春秋)が送られてきた。 河出書房新社から出ている"名山三部作"、『名山の日本史』、『名山の文化史』、『名山の民俗史』(これは近日発売かな?)の著者・ 高橋千劔破(ちはる)さんと雑談する機会があって、疑問をぶっつけたのがきっかけ。 ヨットの上からのんびりと、陸地を眺める機会が続いていたことを話して「名山はともかく、里山に毛の生えた程度の低山、麓から頂上までビッシリと常緑樹で覆われていて道は無い。猪や鹿でさえ分け入るのを敬遠するような山でも、未踏の頂上は存在しないんでしょうか?」と。 山国日本は今でも平地は三割ほど。 昔はもっともっと山地が民家に迫っていたに違いないから、小高い山だとしても取り付くまでだって大変なハズなのです。 しばらく腕組んで考えて答えてくれた。 「証拠が存在してる訳じゃないけど、山と名のあるモノに未踏は無いと考えて方はいいでしょう」 オジイさんは山に柴刈りに、オバアさんは・・・・・のお伽噺通りに、昔はトコトン山を利用して、そこから糧を得ていたこと。 高い低いに関係なく神様が宿ると考えて山を敬い畏れて生活していたから、神を鎮めるために石ころ程度だとしても何かを置いていたこと・・・・・。 山に対する信仰が薄れ、ゼロになったのは明治の神仏棄釈から。 国土測量のために明治政府が剣岳に調査隊を出したのは一九〇七年。 この時頂上で発見した銅の錫杖(しゃくじょう)と鉄剣、鑑定の結果は「平安前期にまで溯ることができた」といいます。 ウ~ン、頂いた『百低山』より、ページを捲ったことのない『三部作』の方を読みたい。 『日本百低山』に掲載されている山々、「登るまい」と決めてても北海道の▼裳岩山▼函館山、東京の▼高尾山、神奈川の▼金時山▼明神ヶ岳と、五つには登ってる。 高尾山は決意前の経験だけど。
by molamola-manbow
| 2009-05-29 10:21
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