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カテゴリ:読書( 73 )


2017年 04月 18日

  文 字 を 持 た な い 民 『 モ ン の 民 話 』

d0007653_1095453.gifラオスの北部に住まう山と森の民・モン族に伝わる民話を集めた本を読んだ。
N G O の『シャンティ国際ボランティア』スタッフの一員としてラオスに赴き、モン族の子供たちのための図書館作りに携わる安井清子さんが収録した民話 1 1 編が内容です。

両親を亡くした子供を引き取った兄夫婦は意地悪で、田圃を作りたいから種が欲しいと申し出た弟の子供に焼き米を与える。
その焼き米の中に一粒、生のトウモロコシが混ざっていて、たわわに実をつける所から物語は始まります。
トウモロコシを荒らしに出てくるのはお猿さん。
がっかりしてしまったのか、やる気をなくしてしまったのか・・・・・?
トウモロコシの傍らでふて寝をしておりますと、お猿さん達は死んだのだろうと葬儀をしてくれて何処からか金、銀を運んできてお葬式が始まる。
その後のお話は『瘤取り爺さん』とか、『花咲か爺さん』と同じ。
真似をした兄夫婦は崖から落とされて死んじゃう。

一夫多妻制の民で、意地悪するのは第二の妻、ヒキガエルが実は立派な王子だったり、チョウチョになって天国で幸せな暮らしをすることになったり・・・・・。
タ~クサンの虎が生息していて脅威にさらされていたための裏返しでしょう。
トコトン間抜けでドジな生き物として虎は扱われてる。

モン族-----出自は紀元前1500年前に中国東北部に到着したオーストラロイドの一派で、中國北東部では苗族(ミャオ)と呼ばれている。
東南アジアへと南下したのはその一派でベトナム、タイ。ミャンマー等の山岳地方で暮らす山の民、文字を持っていなかったらしい。
そうした民族の民話の中に、『 徐福伝説 』そっくりの話しが伝わっている事を何処かで読んでる。
始皇帝に命じられて、不死の薬を取りに東方に船出したまま戻らなかったというのが徐福物語。

モウ族の徐福物語は・・・・・・
中国の王様に大層気に入られたリーハーというモウの若者が主人公。
王様の家来はそれが気に入らない。
そのねたみから海の向こうに不老不死の妙薬が有ることを王様に吹き込んで、リーハーに取りにいかせるよう仕向けます。
リーハーは鶏や豚の家畜、様々な職工に男女の家来を従えて太平洋に船出する。
そうやってたどり着いたのが日本で、リーハーは不老不死の妙薬にはたどり着けなかったものの、家来と共に日本人の先祖となったというお話でした。

安井清子女史が収録した民話の中身、"文字を持たない民の歴史書"とまでは行きませんでしたが、よく似た民話の数々から、「 ヒョットすると祖先はモウ !? 」と己の祖先に想いが飛ぶ。
朝鮮半島経由じゃなくて、黒潮に乗って東南アジアから直接船で !!
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by molamola-manbow | 2017-04-18 10:10 | 読書
2017年 03月 23日

  1 0 0 m じ ゃ あ な く て 2 , 0 0 0 m も!

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日いずる国の片隅から昇る太陽を眺めつつ、「コノ海原が陸地であった時代」を考えた。
房総半島とを分かっていたのは深い渓谷を刻む古東京川で、半島の先端部は島であったかも知れないなどと。
まだ 3 / 1 程度しか読んでいない『駿河湾のなぞ』(星野通平著、静岡新聞刊)、本題の謎まで行き着いていないのに様々な謎の虜になっちゃって右往左往の最中です。
d0007653_1023775.jpgその一つが『海水面は現在よりも 2 , 0 0 0 m も低かった』って~ヤツ。
1万年ほど前に終わったウルム氷河時代の海水面は 1 0 0 m も低くって、大陸からナウマン象や人が日本列島に渡って来たお話とか、5,000年ほど前の縄文時代前期には逆に 2 ~ 3 mほど海水面が高まって、その現象を縄文海進と呼んでいることなどはイロイロ読んでおりました。
でも、桁が違うお話しです。
2 , 0 0 0 m 越え の山を持つ都道府県は、富士山の様な山を静岡と山梨で二つに分けても 47/ 1 6 でしかない。
海で 2 , 0 0 0 m 越えの水深を持つのは駿河湾だけ。
そのフカ~イ駿河湾が水たまり状態でしかなかった時代があったなんて、にわかには信じられないでしょ。

海面から空気中に蒸発した水分は雲➞雪➞氷となって地上に留まり、ふたたび海に還らなくなったのが氷河期です。
氷河の総量はどの位になるものなのか、そいつを今よりも海水面を 2 , 0 0 0 m も下げた時代氷河の総量なんて・・・・・?
星野説は科学的に証明されているモノでも、有力な学説でもないようなのですが、海水面を 1 0 0 m 以上下げたウルム氷河期の河川の跡は海中にも刻まれていて、川筋は遥か沖まで伸びているらしい。
その川筋の延長、半端な長さじゃあなくて大陸棚が尽きて深海へと落ち込むところまで伸びているんだそうだ。
世界中の河川がです。
河川が山野を削り、タ~クサンの土砂を海に流し去ることは黄河、アマゾンの流れの色を見ただけでも分かるし、砂州、三角州が河川の口に広がる現象からも理解している。
水が流れてこそ土地は削られる。
その河川の海中の延長線の境目が海の底 2 , 0 0 0 m の深さまで続いていることに注目したのが星野説です。
世界の河川の海中がミ~ンナ同じ様に長いので、「海面は今より 2 , 0 0 0 m も深かった」説は説得力があるのです。
『駿河湾のなぞ』は、そんなこんなで読み進むのが途中で止まっちゃっております。

            近場にあるのが箱根・入生田の『生命の星 地球博物館』(⇩ ⇩)、出掛けてこなければと思っている。
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by molamola-manbow | 2017-03-23 11:43 | 読書
2017年 01月 24日

    醉 々 独 歩  

地下の飲み屋さんへと降りる狭い階段の途中ですれ違った時であったと記憶している。
連れの飲み友達が「小西さんじゃあないですか」と呼び止めて立ち話を始めた。
「同じ飲み屋さんに通ってたとは・・・・・」であったのか、「今度はご一緒しましょう」だったのか?
そんなことが複数回続きましたが、何時も目礼を交わす程度、会話は一度もない。

真鶴まで帰れなくなって一夜の宿を求めた飲み仲間の本棚からくすねて来た『 昭和の歌 1 0 0 』の著者・小西良太郎さんとは、そんな微々たる繋がりでしかない。
サイン入りの著書を頂いた飲み友だって、当時はスポーツ紙のペイペイの 1 写真記者でした。
比べて小西さんはそのスポーツ紙の編集局長であったのか、常務取り締まりであったのか?
気安く声など掛けられない、掛けてはならない遠い存在であったはずなのに、そうした上下関係には無頓着で、顔を知ってりゃミ~ンナ知人の輪の中に入れちゃう男、著書が出版されたのを知って、「私にも下さいよ」と、何のためらいもなく言い放ってせしめたのだろうと想像してる。
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ご存知でしょうか?、著者の小西良太郎さん?
高校卒業後にスポーツニッポン新聞に入社した音楽担当の"ボーヤ出身記者"。
ボーヤとは編集部内でお茶汲みなどをやらされる雑用係り。
そこから這い上がってスクープ連発の音楽記者となり、"芸能のスポニチ"と呼ばれる看板記者になって晩年は常務取締役へ。
退職後の今は音楽プロデューサー、役者として活躍しておいで。
彼の世話にならないミュージシャンを探すことの方が難しいほどの活躍を続けています。
「カウンター席のお隣りに座れたら、素敵な一日になるだろうな~」と思わずにはいられないオジン( 8 0 歳)、凄腕は風貌からは微塵も感じられません。

大好きなお酒を傍に、心地よいリズムを耳に昭和を歩んだ小西さんが、その曲の誕生に至る裏話やエピソードを歌い手を軸に綴った歌謡史、「そうだったのだ~」の連続です。
役者としての小西さんも見て見たくなります。










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by molamola-manbow | 2017-01-24 09:07 | 読書
2016年 12月 08日

  騙された~ッ

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「こんな本作りがまかり通っていいのかよ?」が最初の読後感でした。
旧の住まい、世田谷区経堂の目抜き通りに店を構える古本屋さん『遠藤書店』で買い求めたコイツの事、『宮本常一とクジラ』(小島正之著=雄山閣)です。
本棚から抜き出したそもそもは、民俗学者・宮本常一の名前でしたので、同じ動機で買い求めた読者は相当な数だろうと想像しちゃう。
目次には①宮本常一の生誕地から捕鯨をみる②宮本常一が見た捕鯨と、民俗学者の名を冠した二項目を建てていて体裁は整っております。
脇にメモ帖を置いて『正』の字を書き綴った訳じゃあありませんが、文中には宮本常一の名前がそれはもう随所に散乱もしておりましたし・・・・・。
例えて①に曰く
  宮本常一の著作を見ると、捕鯨を行った地域も訪れているが、捕鯨やクジラを目的に定めて調査した形跡は、窺うことはできない。
「じゃあ、何のために書名に宮本常一の名を冠したんだよ」の記述でしょ。
他の箇所でも
  クジラの種類について記述したところは、私の知る限りほとんどみられない・・・・・などと。

著者は国際捕鯨委員会( I W C )の日本代表代理などを務めた農水省の元高級官僚、クジラに関した著書をタ~クサン出しておいでの方ですが、今回は何を書くかの内容に屈して宮本常一を引き回し役にしようと思い立ったに違いないと、推測した。
そんな文章に終始してるんだもの。
I W C 総会後のインタビューに応えて「スナメリは海のゴキブリ」発言をして、捕鯨調査船に対するシーシエパードの威力妨害行為を増幅させた張本人だったような記憶もある。
事なかれ主義の官僚の中での異端児、左遷されたのもゴキブリ発言だったと思っていますので、もっと骨のあるヤツだと考えていたのに・・・・・。

「宮本常一さんほど日本の国土を隅から隅まで歩き回まり、見て回った日本人はいない」とたたえたのは司馬遼太郎だったと記憶する。
学者と官僚、どこもかしこも違いすぎ。
題名と内容が少しも嚙み合わないんだもの。







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by molamola-manbow | 2016-12-08 10:55 | 読書
2016年 11月 24日

  又吉直樹の火花  

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新しい芥川賞(村田沙耶香)、直木賞(荻原浩)が決まって、すでに数カ月が経ちます。
「今頃かい?」になって、ようやくその前の芥川賞『火花』(又吉直樹)を読み始めたことになる。

小田急の成城学園前と田園都市線・二子玉川駅の中間辺りに、「帰宅できなくなったら来い」と、鍵を渡されている家があるのです。
酒量は減ったし、終電間際まで飲むなんてこともなくなって、お世話になることは滅多に御座いませんが、その滅多にない事が起こりまして、帰りしなに本棚からくすねてきたものでして。
未読の本ずらりの古本屋さんを眺めて、「本を読むなら古本から」と決意して、新刊本は買わなくなりましたので、受賞当初の『火花』に関してはこんな感じでとどめた。
成城学園前~箱根までの小田急線での帰途、不思議なことを気にしながら読みましたよ。
① 『花火』であることを周囲に悟られない様に、カバーを裏返して読んだこと。
② ハードカバー本は車内読書に至って不向きなこと。
③ スマホに夢中で読書中の方などに注意を向ける乗客はゼロだということ。

① に関しては他の本であっても常にそうやって持ち歩いておりますので、気にする必要はないのに、ホームのベンチでカバーを裏返しつつ思ったこと。
それは「今頃読んでることを知られるのが恥ずかしい」気持ちが働いたことだったのです。
③ の様に気にする人などいないはずなのに・・・・・。
「オオッ、遅れてる~」と感じた人がいたとしても、「それがどうだってんだ!」なのに・・・・・。








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by molamola-manbow | 2016-11-24 08:59 | 読書
2016年 05月 09日

  間もなくKENNOSUKE CUP・・・・・  

d0007653_612184.jpg住み慣れた街、小田急線・経堂の目抜き通りに店を構える古本屋さんが確保しておいてくれました(⇦ ⇦)。
著者名を告げて、「手に入ったら頼む」とお願いしたのは、氏の『きゃびん夜話』だったのですがね、コチラの方がより懐かしい。
潮っぽいエッセイスト田辺英蔵の名を知ったのはスキューバダイビングの専門誌上でした。
タンクを背負って潜る遊びが日本に入って来た黎明期に、潜り専用のヨットを造っちゃったオトコなのです。
スキューバダイバー専用ヨットねえ?
キャビンを持つクルーザータイプのヨットでさえもまだ珍しかった時代( 1 9 7 0 年代)に、潜り専用のヨットを造って、日本国中の海を盛るり始めたのです。
潜り専用のヨット・・・・・、
直ぐに想像するのは船体ごと潜れる潜水艦タイプですが、『蒼龍』と名付けたスキューバ・ヨットの特徴は、ボンベに圧縮空気を充填できるコンプレッサーを備えていたことでした。
d0007653_6134044.jpgヨット専門誌・『 K a z i 』誌上で、いま、ヨットデザイナーの大御所、林賢之輔さんの連載・『ヨットデザイナーの履歴書』が始まっている。
コイツを読むために久し振りに購入した 3 月号が田辺英蔵の名前を思い出すきっかけでした。
ソノ林御大の連載も、まだ初回( 3 月号)しか読んでいない。
本屋さんゼロの土地、小田原の本屋さんも在庫数が少ないのでしょう。
四軒も本屋さんが有るのに、何処を尋ねても何時も売り切れなのです。
『 K a j i 』 3 月号には田辺英蔵も取り上げられていまして、古い記憶の蘇りとなった。

林御大もヨット界の草分けです。
学生時代にはひと夏に海水パンツのお尻を三枚も擂り切らしちゃうほどディンギーに乗り捲くった。
その当時の面白いお話が満載のはずなのに・・・・・。

『 K E N N O S U K E   C U P 』は今週末の城ケ島沖で開催です。
御大の艇作りに対するポリシーに賛同する"林ファン"の集まりが母体となったヨットマンの集いも今回が 20 と 1 回目。
新しい歴史のスタートで御座います。
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by molamola-manbow | 2016-05-09 09:45 | 読書
2016年 04月 01日

  石ッコロ・マニアは必見だね

岩波書店の科学ライブラリー本を、連れ合いはもう一冊持ってました。
理学博士・松原聡(京大出)さんの主張は、坂本九ちゃんとは正反対です。
  曰く

  ♪ 下を向~ういて 歩~るこおおう

「地球は石だ、岩石で出来てる地面にもっと関心を持てよ!」と言うこと。
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日本海に流れ込む新潟県の糸魚川は、日本列島を南北に真っ二つしようとしている糸魚川静岡構造線に沿って流れている。
山梨県白州郷の V a n v a l l e y を訪れる際に真っ先に目に飛び込んでくるのは、コノ構造線の延長部の凄い眺めです。
グイッと持ち上がったのか、ガバッと陥没したのか・・・・・、車窓に続く巨大な崖の眺めには目を見張ります。
糸魚川河口の海岸線で翡翠が拾えるのも地球を盛り上げ、真っ二つに裂いちゃう巨大パワーの産物だな~と思っちゃう光景が続くんです。

縄文人が装飾のために首からぶら下げてた勾玉、現代人は糸魚川産ほかの日本産翡翠を加工して作ったことを知っていますが、 1 9 3 9 年(昭和 1 4 年)までは「中国翡翠を使っていた」ことになっていたらしい。
糸魚川流域の住民は「この石、どう見ても翡翠だよな~」と思っていても、学会は「日本は翡翠を産しない」と信じていた。
ダイヤモンド、ルビー、エメラルド等々の宝石の本ではない。
単なる石ころの話しですが、鉱物としての新しい石は、まだまだそこら中に転がっていそうなお話がタ~クサン。

               サクラ好きの日本人、メッタヤタラと掛け合わせて 6 0 0 種もの新種の桜を生んじゃった。
                     八重であること( ⇩ ⇩ )だけは分かりますが・・・・・?
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by molamola-manbow | 2016-04-01 10:27 | 読書
2016年 03月 30日

  五億三千万年も生き続ける生物  

磯を歩けば北の果て稚内から珊瑚の海の沖縄まで、日本中の潮間帯で岩にこびりついている姿が普通に見られる。
打ち上げられた木材や雑多な浮遊物にも、クジラやタイマイ、大型魚類等の海洋生物の体にまでくっついてる。
海が職場の漁師さん、休日には白帆を上げてハーバーを出て行くヨットマンにとっては、これほど厄介な生物はない。
船底にへばりついて行き足を鈍らせるし、網目が見えなくなるほど定置網を覆ったりもする。
生物学上は貝の仲間ではなくて、蟹や海老と同じ『甲殻類』に分類され、フジツボ亜目という一つの柱を打ち立てている生物。
しかも生きた化石・シーラカンスなどは遠く及びません。
海の頂点にアノマノカリスが君臨してたカンブリア紀から命を繋いで今日まで、 5 億 3 千万年も生き続けている生物なんだと申します。
アワビの殻にへばりついているヤツ、その横で握りこぶし大に密着してるヤツ( ⇩ ⇩ )のこと。
漢字表記は『藤壺』、と思っていましたが、『富士壺』と書くのが正しいんだそうですよ。
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「こんなに面白く、生き物を解説した書が今までに有っただろうか?」と思いつつ隅から隅まで読んだ。
岩波書店の『フジツボ』、ウェールズ大の海洋生物学科卒の"フジツボ博士"が愛情をこめて綴った倉谷うらら(海洋生物研究家)の著書、『岩波科学ライブラリー』シリーズのひとつです。

真鶴半島突端の『遠藤貝類博物館』を訪れて貝の造形の美に魅せられた連れ合いの持ち物、フジツボも貝類と思って購入したのでしょうが・・・・・。

本題のフジツボ、何にでも、何処にでもくっつくモノだと思うでしょ。
でも物凄く好みには煩くって、クジラにくっつくのは六種類だけ。
ウミヘビの尻尾、イルカの歯、ウミガメの首など、種類毎に住み分けを行っている。
イソギンチャクを背負ったヤドカリの殻にしか付かないヤツとか・・・・・。
宿を貸す生物達もフジツボを上手く利用して生きているようです。
配偶者を巡るオス同士の争い、クジラはフジツボで武装した箇所を意図的にぶつけ合って勝負を決めるんだと申します。
何処にでも付着するフジツボ接着剤の威力も凄くってテフロン加工のお鍋にもくっついちゃう。
コイツを解明できれば、接着剤の世界に一大旋風が巻き起こるに違いありません。
大人も子供も楽しめる本、ページの隅にはフジツボの一生を綴ったパラパラまで付いてます。
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by molamola-manbow | 2016-03-30 10:47 | 読書
2016年 03月 13日

  こちらから先に読むべきだったかな~

南太平洋の環礁にて』(岩波新書)の書名から受ける印象は、ビーチパラソルの陰から珊瑚礁に打ちつける白波を眺めやる寛ぎ感だろう。
内容はまったく違う。
著者の畑中幸子女史は、『女二人のニューギニア』(有吉佐和子著)の読者ならご存知だ。
『南太平洋の環礁にて』の印税を、ゼ~ンブつぎ込んでニューギニアのジャングルに籠る事四年の女傑なのです。
本職は文化人類学を専攻する学者さん。
ニューギニアのシシミン族調査より、こちら、ポリネシアン研究の方を先にやった訳です。
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畑中女史はタヒチに入って周辺に散らばる島々を歩きますが、真のポリネシアンには会えないと悟って、 3 、4 カ月に一度の船便しか通わないプカルア環礁に渡る。
一般の地図には黒点マークさえも打たれていない、島民220人の小島がプカルア、そこに、居座り続けた四年間の成果を平ったく解説した書がこれ。
東西に長~く連なるトゥアモツ群島の東南端に位置し、その真南に位置するのが、フランスの原爆実験(1966年)で名を売ったムルロア環礁です。
第五福竜丸が死の灰を浴びた原爆実験がなかったら、畑中女史の調査はもっと続いていたでしょう。
『女二人のニューギニア』は、世に出ることはなかったね。

d0007653_10403942.jpgフィールドワーク、現地調査に重きを置く畑中女史の様な学者さんは、日本ではめずらしい存在だと思う。
民俗学、考古学、人文地理などでは必要不可欠何な仕事なのに、この地道な作業を日本の学者さんはおろそかにしてる。
日本には存在しなかったはずの石器時代を見つけちゃったのは考古学大好き・相沢忠洋さん でした。
石器時代の遺跡に石器、その後は全国各地から出るは出るは。
終戦後間もなくの出来事でした。
まだ記憶に新しいのは東北旧石器研究所副理事長・ 藤村新一の石器捏造事件だろう。
自分で埋めた石器を、自分で発掘して、「神の手を持つ考古学者」などと呼ばれます。
あちらこちらでコノ手を使って「出たぞ~、新発見だ~」。

原爆実験のために畑中女史はプカルア環礁から避難させられちゃいますが、実験がなければもっと続けていたに違いない民族研究は極めて地味です。
キリスト教が入って土着の宗教の排除、遺構の破壊が行われる。
文字を持たなかったポリネシアンの歴史を遡ることの難しさは、これでしょう。
粘土と違って空気を通す珊瑚砂は朽ちるスピードを速める。
太平洋を制覇した双胴カヌーの出土がないのはこのためだ。
援助や保護がない欧州各国の保護領宣言に、労働力として入って来た華僑の経済支配・・・・・。
そしてライ病、性病、結核、E T C の広がりによる人口減少です。
弓矢と槍と棍棒による部族間の争いはあっても、鉄器の無い戦争の破壊なんてしれている。
2 0 0 0 年もの長きを平和に暮らしたポリネシアン社会は、西洋文化が入って破壊される。
ソンナコンナを220人の島民との日常生活を通じて平ったく記している。
パプアニューギニア同様に、島民に溶け込んで行っちゃうんです。
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by molamola-manbow | 2016-03-13 10:42 | 読書
2016年 03月 11日

  女二人のニューギニア

作家の有吉久美子さんは学童期(4~11歳)を過ごしたインドネシアへの旅行を計画中でした。
その最中に、文化人類学者・畑中幸子女史から航空便が舞い込みます。
発信地はパプアニューギニアの山中から。
1 9 6 5 年に発見された森の民・シシミン族の調査をしていて、統治国・オーストラリア政府から家を一軒建てて貰っていた。
「いい所よ~、来ない?」の誘い。
学生時代からの知り合いで、同郷(和歌山県)のよしみもあって二人は親しかった。

d0007653_8293777.jpg 1 9 6 9 年に朝日文庫から出た『女二人のニューギニア』は、ハワイかグアムに別荘を開いた友人宅へでも出掛ける気分でホイホイと行っちゃった道中記、有吉さん初の紀行文と言うことになる。
すぐ隣は学童期を過ごしたインドネシアです。
「ついでに訪ねちゃえ」の気持ちは分からないでもない。
しかし、世界で二番目に大きな島(ニューギニア島)なのに鉄路も無ければ、道路網だって整備ゼロ。
東経 14 1 度のところで西側・インドネシア、東側・パプア(当時はオーストラリアが統治していた)と真っ二つにされていても、どちらの総面積も日本よりデッカイのです。
島の中央部には標高4000~5000mクラス、富士山よりも高い山が連なるビスマーク山脈が走っていて、周囲をジャングルが囲んでいる。
鉄路無し、道路無しは現在でも同じです。
そんな秘境中の秘境へ、半世紀も前にカル~イ気持ちで踏み込んでった。
アノラックにキャラバンシューズ、そしてスリーピングバックに、特別あつらえの蚊帳と、それなりの用意はしておりますが、パプアニューギニアはその上を行ってアクシデントのオンパレードとなります。
オーストラリア政府から家を贈られた畑中女史の調査拠点への道のりは三日、もちろん徒歩( ⇨ ⇨ )じゃないと行けない。

d0007653_920765.jpgその道中に有吉さんは、『バカーラップ』しちゃう。
以後何度も出てくることになる現地語の訳は『壊れる』。
この時の有吉さんの『バカーラップ』はあまりの辛さによる気絶でした。
そんな有吉さんをどうしたか。
最初はおぶって運びましたが、険しい山をおぶり続けではムリだと考える。
深いジャングルを移動しながら生活していた森の民は、弓矢で射止めた野ブタを運んでおりました。
女性の地位は低くって、野ブタ一匹と交換されていたらしいんだ。

で、こうやってシンシン族の調査拠点へと運ばれて行く(⇦ ⇦)ことになる。
真っ白なパンツを履いていますが、超ミニスカ・サイズの葉っぱの腰蓑に、ヒョウタン製とおぼしきペニスケース姿が現地民でした。
「反対側を向いて担がれるシーンもあったのだろうな~」と想像したりしましてね、面と向かい合って・・・・・。

d0007653_1030836.jpg触ると皮膚がこっぴどくただれる人食い草に、気付くと吸い付いている山ヒルに、毒蛇に大蛇に、痒さが半端じゃない姿不明の毒虫たち。
魑魅魍魎との戦いは親指の爪を剥がしちゃったために一週間の予定が一カ月へと伸びる。
「もう一回、同じ苦労を味合わないと帰れない」帰路を考えて悩みに悩んでた某日、迷子のヘリコプターが上空を飛んで、帰途が突然開かれる。
地図作製のために飛んでいて、川筋を一本間違えて迷い込んだヘリへの便乗が許されて、三日間を 1 0 ン分に短縮して出発点に戻るのだ。
シンシン族の部落と畑中女史の研究拠点までの距離は、女史の言葉によると「ソノ丘の向こう」なのだが、実際は丸一日掛かるし、コンナ川( ⇨ ⇨ )を渡らなければならない。
有吉さんは当時 3 0 代の後半、セパレーツの水着など着てたのかな~?

前回も触れましたが、面白くって目尻に涙なしには読み進めない傑作紀行文を、半世紀をかけて読破です。
文庫本は挿絵が削除されていますので、読むなら宮田武彦画伯の挿絵が入った単行本
ニューギニアは西側のインドネシア領も面白い。
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by molamola-manbow | 2016-03-11 10:35 | 読書