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カテゴリ:長崎・HINANO( 42 )


2014年 10月 08日

  西海の島々クルーズ 番外

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一番上のショットを見て、「ンンッ?」と首をひねったりしません?
ラットを握る岡元船長の後方でV サインなど出してる若い二人、今回のクルー(⇦ ⇦)には居ませんでしたよ。
最前列にもヤングはおいでで、クルーが随分若返ってます。
夕焼け空に向かってGO! 
西海クルーズの前日に先乗り組二人が連れて行かれたその先は・・・・・。
大村湾の入り口近く、ハウステンボスでドカン、ドカンと二万発です。

d0007653_843223.jpg九州最大の花火大会、『世界花火師競技会決勝戦』の海上からの観覧でした。
「これで打ち止めか~」と考えて、カメラを仕舞い込んじゃったのが失敗です。
しばらく間をおいて、超の字付きの巨大なヤツが何発も何発もドツカ~ン
豪華絢爛、見たこともないのが打ちあがりました。
花火の世界のNO1、日本だとばり思っておりましたが・・・・・。
出発当日に長崎入りした本隊には羨ましがられました~。
フレームに入り切らないんです。
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by molamola-manbow | 2014-10-08 08:49 | 長崎・HINANO | Trackback | Comments(0)
2014年 10月 07日

  西海の島々クルーズ⑧

長崎半島に落ちる夕日、島原半島の突端部・口之津からの眺めです。
日々、美しい夕日、一年分を眺めて過ごしたクルーズでした。
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西海に浮かぶ半島に島々、出航から帰港まで、何処もかしこも(⇩ ⇩)でした。
海に森が迫って、樹木の影が海に落ちます。
トータルログ293ml の全てが『魚付き林』なのです。
プランクトンを森の栄養が育て、海に落ちる樹木の影がお魚さんたちに憩いを与える。
海の生物には天国の様な海域の広がりだと見ました。
手製の骨角釣り針には一匹もヒットしませんでしたが・・・・・。 
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d0007653_10485118.jpg三世紀に中国で書かれた魏志倭人伝曰くの倭人の暮らし。
その一項に『山海沿いに四千余りの家が建っていて、住民は魚介類を好み、男も女も潜ってアワビを採って過ごしている』みたいな記述があります。
魏志倭人伝の著者が描写した『末盧国』(まつらこく)の光景の中を、クルーズして行った一週間であっただろうと思ってる。
前も後ろも、サイドに写る光景も、海に樹木が迫っていて、再び海へと樹木は帰ろうとしているみたいです。
そんなニッポンの原風景の中を往きました。

「見たよ、さっき岬を回ったところで」と釣り吉ケンちゃん に指摘された。
何がって、定置網のことです。
オイラは気付かずに通り過ぎちゃいましたが、七日間のクルーズ中に定置網と遭遇したのはこの一か所だけ。

d0007653_1151816.jpg岬を回る度に、そして漁港の入り口には必ず、と言うのが関東のそこら中定置網だらけの海です。
回遊魚も根魚も、大小を問わずに獲っちゃう。
網もろくろく掃除しないで置きっ放しだから、貝殻で網目は小さくなっちゃって、大きく育つ前に掛かってしまう。
そんな小魚もゼ~ンブ水揚げして、毎回生じる風呂桶ン杯分の売り物にならない小魚は海に捨てます。
海の生物だけでは消化できないほどの量を毎回。
こうした光景を観てきましたから、七日間でたった一つの定置網は嬉しい吃驚でした。
全国津々浦々、海はこうだったんですよね~。

ひと夏に数匹は裸電燈の灯りへと舞い込んでいたタマムシ、ガキ時代以来のゴタイメ~ンです。
これも嬉しい一匹で御座います。
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by molamola-manbow | 2014-10-07 10:45 | 長崎・HINANO | Trackback | Comments(0)
2014年 10月 06日

  西海の島々クルーズ⑦

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HINANO 』が西国長崎に嫁いで五年の月日が流れました。
今ではすっかり九州っ子になって、流暢な長崎弁で会話をします。
「こん地はゴッツ島が多かバッテン、クルージングは楽しか~」とか。
「ウチん船長、モジョカーって言いもして、何時もワイを撫で回しもす。ゴッツ、可愛がって呉れると」などと。
真っ白い船体は飽くまで白く、艇名『HINANO 』は輝く赤に、横に流れる青いラインもクッキリと浮き上がって
旧のクルーは居心地悪く感じちゃいます。
公の場にサボっていたブラシ掛けを晒された様な、罪悪感でしょう。
足を踏ん張る舷側のフットライン、真っ黒で何も見えなかったのに、今では木目もクッキリです。
コックピットに長く座って居ても、お尻が真っ黒になりません。
今回のクルーズには土砂降りの日も有ったのに、オイラの黄色いオイルスキンは真っ黄色のままでした。
d0007653_828351.jpg船長はブラシ掛けを欠かさず、「ゴッツ、可愛がっておいで」なのです。
’96年の進水艇が新艇と見紛わんばかりの白さでしょ
かつての『HINANO 』は、岸壁にぶら下がる黒いタイヤと擦り合って、両舷に跡が付いていたり、船体も黄ばんでいたり・・・・・。

ただちに変化を感じた方もおいででしょう。
ライフラインの下段に張り巡らされたネット、小学生を体験クルーズさせている岡元船長がたった一人で編み上げました。
船体を労わるためにTシャツを着せていた係留時の必需品、フェンダーもしかり。
コンパニオンウェイを覆うドジャー、コイツも取り替えました。
厚いキャンバスを自ら裁断して、ひと針ひと針縫い上げたのです。
既成の品と違って、無骨な縫い跡がかえってウリです。
ラットもクラシックな品に取り換えてあります。
イロイロ探して麦焼酎・『壱岐』の瓶がピッタリすることを知り、コイツで船尾灯も作っちゃった。
キャビン内にベットが一つ増えています。
エンジンルームののぞき窓も巨大に穿ちました。
その他タ~クサンに変化があります。

ヨットデザイナーの大御所・林賢之輔さん設計の42フィートCutter、『HINANO 』には、関東に乗艇したヨットマンが大勢おいで。
オークランドで進水した('963月)新艇を、リレー方式で海の仲間が東京に運んでる。
最後の『グアムレース』(’99 年暮れ~)では、設計した林先生もクルーとなって『HINANO 』をグアムへとを駆りました。
毎年五月に開催される『KENNNOSUKE CUP 』の常連艇でしたから、他にもイロイロと。
                                                  窓も含めて自作のドジャー
d0007653_1053791.jpgその、いまではすっかり長崎っ子に変身の『HINANO』が、来年五月に里帰りします。
嫁入りすれば苗字を替わる様に、ヨットの世界も名前が替わるのが常識です。
ヨットを持ったら付けたい艇名、一人ひとりがお持ちですもの。
しかし、横っ腹の『HINANO』、変わっていません。
ソイツをピッカピカに輝かせての「皆さ~ん、お久し振り~」なのですよ。
五月第三週に三浦半島・城ケ島沖で開催される『KENNOSUKE CUP』、20 回目の節目のレースに、満を持しての長躯参加なのです。

総重量11 トンのグラマラス美女、微風続きの『KENNOSUKE CUP 』ではからっきしでしたが、強風にはビクともしない『HINANO』のために神風が吹くかも知れません。
乞う、ご期待であると同時に、レース後の『HINANO』の内外は、ドッと人で溢れることでしょう。
岡元船長、レース直前に台風のために沈したクルーザーを、たった一日で直して、鹿児島の火の山レースを走った人なんだ。
隣りの艇のスタンションが折れ、横っ腹に大穴を穿たれてマストトップだけを残して海中へ。
そんな自艇を引き上げて、穴をふさいでレースに出たのです。
キャビン内はビショビショで、魚が跳ねてた艇でです。
総力を挙げた支援体制を敷き、大歓迎をしなくては!!
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by molamola-manbow | 2014-10-06 10:31 | 長崎・HINANO | Trackback | Comments(0)
2014年 10月 05日

  西海の島々クルーズ⑥

d0007653_961549.jpgd0007653_9151622.jpg荒波によって穴を穿たれた中央の島、角度を変えると嫂婦(そうふ)岩でした。
今回のクルーの中に嫂婦岩へと登山隊を導いたメンバーが三名。
そして小笠原クルーズの帰途、″ポセイドンのオベリクス″を眺めて帰ろうと計画しながら、モヤにスッポリで確認出来なかった男がひとり。
姿、形だけの嫂婦でしたが、それぞれ感慨にふけりました。 
長崎、島の多さ日本一の県です。
 d0007653_1075482.jpg西彼杵に島原、長崎と、県そのものが半島で造られている自治体とも言えます。
その長崎をグルリ一周は歯応えのあるクルージング、同時にラットを握り通しだった岡元船長の気苦労に、改めて感謝しなければなりません。
岩と岩との間が大きく広がった海面を指さして、「この間は水深 メートルの岩礁の列」とか、広大な砂州で覆われた浅瀬の確認とか。
そうした浅瀬、岩礁をGPS でシッカリ確認しながらの七日間です。
潮流の極めて高い海域、前半の海は台風16 号からのうねりで結構騒々しく、ヒール角は高くなったし・・・・・。

港にもやった後、舷側から紐をたらして水深を確認していたのも印象的でした。
潮の干満の差がデカイ海、干潮になると景色が違っちゃうんです。
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by molamola-manbow | 2014-10-05 10:31 | 長崎・HINANO | Trackback | Comments(0)
2014年 10月 04日

  西海の島々クルーズ⑤

島原半島の突端部、口之津港に係留した際に飛来して、細いライフラインに止まった小鳥、淡い茶色の胸からツグミとみましたが確証はない。
それよりも何よりも、「何じゃコレ?」は、サイドステイに立て掛けられた黄色い梯子の方じゃあないでしょうか。
とてもじゃないけどヨットの常備品とは思えない。
こんな物を乗っけたヨット、見たことが有りませんでしたもの。
出航準備の最後に、しこたま買いこんだ食料品や缶ビールを運び込んだ際です。
コイツをサイドステイに固定している岡元船長を見て、「なんじゃあ?」でした。
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干潮時に港に入ると岸壁は見上げる様に高くなり、潮が満ちてくるまで接岸できない高低差が生じるのが西海でした。
急流瀬戸を回って、その湾奥へと更に舳先を進めた今回のクルーズでは、干潮の差が更に高まって、 メートルを優に超える岸壁ばかり。
連絡船が使用している浮桟橋の片サイドとか、漁協の前に必ず設置されている浮桟橋を使わせて頂いたために、梯子を使用する機会は一度もありませんでしたが、西国の海では大切な備品、そいつが黄色い梯子だったのです。
漁師さんに漁協の職員、そして港を散歩中のひとびと全て、とっても暖かくって、何処に停泊したら良いかを尋ねると、この上なく親切に教えて呉れるし、上手く着岸出来たかどうかを最後まで見守ってくれる。
わざわざ先回りして、「こっちこっち」と手招きしてくれたり・・・・・。
小学生がすれ違う度に挨拶して通るのも印象的でした。
こちら、関東では何処を訪れても邪魔者扱い、港は漁船専用だと思っていますもの。

『亀五郎』や『六代目百合』、美味しい芋焼酎が生まれる上甑島の里港で、貴重極まりない焼酎を放り込んでくれた御仁まで現れました。
‶嬉しいときには友に飲み 悲しい時には友に哀(な)き"・・・・・でしたか。
『旅立ち』なる芋焼酎が作られるに至るまでをボソボソッと語って帰ってしまったお父さん曰くのエピソード、焼酎の味を三倍にも四倍にも跳ね上げてくれました。
d0007653_812538.jpg島に一つしかない中学校の生徒たちは、三年生になると自らの手で薩摩芋を植え、丹精込めて収穫までの面倒をみます。
そのお芋さんから作った焼酎なんだと。
瓶詰めされた焼酎に一枚一枚、『島立ち』のレベルを貼るのも中学生です。
誰に何本贈るかは中学生一人ひとりが決めて、卒業式で「お世話になりました」と感謝を込めて手渡します。
島に高校は御座いませんから、そうやって島を旅立って行きます。
別れの日、港には島中から人々が集まって来る。
我先にと海に飛び込んで去り往く連絡船を見送るのは後輩達です。

   俺も十五で島立ちしたが 倅(せがれ)もこの春 島を立つ
    海は広いが、世間も広い デッカイ男になって来い

連絡船の発着する待合所に歌碑がありました。
卒様式を迎える中学生は、毎年十人前後に過ぎない。
とっても貴重なお酒と、胸のホンワカしてくるお話でした。
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by molamola-manbow | 2014-10-04 09:48 | 長崎・HINANO | Trackback | Comments(0)
2014年 10月 03日

  西海の島々クルーズ④

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d0007653_8183150.jpg長崎空港の浮かぶ大村湾の西側をガードする西彼杵(にしそのぎ)半島の沖に浮かぶ周囲 キロほどの小島が最後の泊地(27 日)となった。
歴史を感じさせる石積の港を持った『池島』、日本中を探しても、こんな築提を持った港はココだけかも知れません。
波に洗われた真ん丸小石の石垣が美しい八丈島の港もコンクリートですもの。
海の中はきっとお魚さん達の団地になっているのだろうな~と、嬉しい想像をしちゃいました。
海岸線の池の海側を開いて、中を掘削して出来た港、島の名前もこの小池から生まれたらしい。
カエルとツクツクホウシの鳴き声で埋め尽くされていて、「池の主のカエルさん達、塩水に順応か~?」の島なんです。
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だが、しかしでした。
何処まで乗っても百円也の小さな路線バスで島の中に歩を進めたとたんにギョッ
池島港の周辺は、島の子供たちが作ったのであろうオブジェの歓迎などがあって、可愛かったのですが・・・・・。
十棟や二十棟じゃあききません。
一体何十棟あるのでしょうか?
最高で八階建ての集合住宅が、全て廃墟になってます。
小学校の体育館や校舎も放置されていて、眺めているとドドドッと歓声が校庭に溢れ出てきそうな雰囲気さえまだ残っています。
2000 年の頭までは海底炭鉱で栄えた島、その生々しさがまだ建物の各所に残っていて、却って不気味な雰囲気を感じてしまう。

海底炭鉱で有名なのは長崎港からの観光船が引っ切り無しの軍艦島(端島)ですが、池島は廃墟であってまだ廃墟じゃあない部分の残っていて、不気味さが生々しい。
そんな感覚が身体を突き抜ける。
4,000 人ほどが生活していた島の人口、現在は300 人を切ります。
九州で最後に閉山した炭鉱だと申します。

                
                        コチラ・無人の軍艦島

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by molamola-manbow | 2014-10-03 10:11 | 長崎・HINANO | Trackback | Comments(0)
2014年 10月 02日

  西海の島々クルーズ③

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d0007653_7244439.jpg「我れ、海を独占」みたいなこのショット、パルピットと呼ばれるヨットの最先端(⇧ ⇧)に座って撮りました。
ステンレスの防御柵に、チョコンと座れる板がはめ込まれていて、下にぶら下がるアンカーの爪に足を乗っけてジブセールに背中を預けると、それはもう、とっても楽ちんな椅子となる。
風を真正面から受けて、押し寄せるうねりに翻弄され始めれば、ヨットが一番跳ね上がる場所、幾らあっても命の足りない場所ですけど・・・・・。
この時点での台風16 号、台湾近海にあって、外海にはうねりが押し寄せていました。
ココもその延長線上の海、X'mas-Tree からぶら下げる靴下の様な形をした窪みの中だからこその海面です。
前進中のヨットからだと言うことすら判らない。
岡元船長のイの一番の緊急避難場所がココ、オンナ船長が操舵する九十九島遊覧船は、コノ狭い靴下の中でU ターンをしてみせる。
九十九島の最奥みたいなところにあります。
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ヨットデザイナーの大御所、林賢之輔氏設計の42 フィートCutter・『HINANO 』は、’96 年にオークランド(NZ )で進水したオリジナル艇です。
岡元船長は二代目のオーナー。
今回、お世話になった我々は旧のオーナーの元で海を愉しんだクルーですが、新と旧のクルーがこれほど仲良くお付き合いしている船、『ヨット界の七不思議』に数えられるらしい。
レース志向であったり、クルージング派であったりと、ヨットライフは船毎に異なり、オーナーの指向に合ったクルーがおのずと集まって海を楽しみます。
船名一つをとっても、ヨットを持ったらコノ名前、を一人一人が持っている。
名前は『月波』と付けよう。
「だってオイラの腕は月並みだし」と言うヨットマンがおいで。
「ウム~、オイラだったら、Don'Bulakoだ」と応じました。
おばあさんが洗濯をしていると上流からドンブラコと流れてきた桃から採ったネーミングです。
それを旧の船名のまま引き継いで、旧のクルーを毎年の様にクルージングに呼んで呉れる。
これでは不思議がられたっておかしくない。
大村には四十年ものお付き合いになる釣り吉ケンちゃんなどなど、ベテランクルーがおいでなのに・・・・・。
今度もまた甘えちゃいました。

                           岡元オーナーと旧クルーの峰島ボースン(左)
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by molamola-manbow | 2014-10-02 10:10 | 長崎・HINANO | Trackback | Comments(0)
2014年 10月 01日

  西海の島々クルーズ②

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御嶽山の噴火を知ったのは28 日の午後、長崎空港が浮かぶ大村湾の杭出津ヨットハーバーに着岸後のことでした。
上甑島の里港を離れ、「薄く盛り上がったアノ山が桜島」だと岡元船長に教えられた時点では、ただの薄く霞む山に過ぎなかったのに、再び目をやった時(251530 分)には天高く噴煙が上がっていた(⇧ ⇧)。
海上からこんな光景が観られるなんて、唯ただ幸運でしかありません。
ステキなクルーズに感謝し、次に間近を通るのは‶火山によって起こった津波″、『島原大変、熊本迷惑』、まだ記憶に新しい火砕流でも知られた雲仙・普賢岳でしたので、不謹慎にも「ココでも噴煙が上がらないかな~」などと。

d0007653_10585894.jpg針尾の瀬を抜けた後のクルージング・コースは▼22日、九十九島(♨)~野母~牛深~▼23日、阿久根(♨)~▼24日、上甑島(♨)~▼25日、米乃津~▼26日、口之津(♨)~▼27日、池島、と渡り歩いた寄港地の大半で温泉にも浸かった。
火山に囲まれた列島故の特権ですが、怖い所に住んで居る証だということを大村着岸後に肝に銘じた次第です。

陸地と陸地によって狭められた海域を称して、様々な名称が付けられている。
津軽、関門等々の▼海峡。豊後、紀伊、尾道等々の▼水道。そして今回、数多くの潮の急流を堪能した▼瀬戸です。
分類の基準は良く判らない。
海峡はデカくって、瀬戸は規模が小さい程度の知識。
関門海峡の中で一番海が狭まっていて、潮の流れが急な地点には『早鞆の瀬』の別名が付けられておりますし・・・・・。

月の引力に引っ張られて一日に二度、潮位が上げ下げを繰り返すことは誰でも知ってる。
でも、その干満の差が地域によって異なる理由は良く判らない。
今回クルージングした各所、干潮になると御釜の底から見上げるほどに潮が引き、梯子が無いと上に登れなくなるほど高くなります。
知らずにモヤイを取ったら、ヨットは完全に宙にぶら下がる。
そんな訳でどの港も浮き桟橋、ポンツーンを持っていてこれがビジター専用?になっていた。
しかも、七日間のクルージングで宿泊代を取られたのは、観光地・九十九島のパールシーリゾートの2,050 円だけ。
関東のヨットマンには考えられないクルージング環境でした。
ヒョイと港を出れば、島、島、島の多島海です。
眼の先には五島列島、甑島、壱岐、津島とロングに最適な島も随所ですし・・・・・。

今回のトータルログ293ML のクルージングは急潮流の流れを堪能する『瀬戸巡り』でした。
玄界灘から大村湾に出入りする潮によって、ノット強の潮が渦巻く▼針尾の瀬から始まって、ほぼ毎日、段差を付けて潮同士がぶつかり合い、渦を巻いて流れる急流の上を行き来しておりました。
満潮にぶつかると船は前に進みませんから、潮止まり、あるいは動き始めて間もなくの入り潮帯を狙ったクルージング。
綿密な干潮時間を書き込んで、瀬戸への出入りの予定時刻を割り出した岡元船長のログブック、何時もお世話になりました。

                                  針尾の瀬
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                                  黒乃瀬戸
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                                 早崎の瀬戸
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by molamola-manbow | 2014-10-01 12:26 | 長崎・HINANO | Trackback | Comments(0)
2014年 09月 30日

  西海の島々クルーズ①

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背景の橋は長崎・佐世保市と西海市を繋ぐ新(手前)と旧の西海橋、長崎空港の浮かぶ大村湾から外海に出るにはココ、西海橋の下を流れる幅200m 弱の針尾の瀬を抜ける以外に手段はありません。
ノット強の潮が急流となって流れ込み、流れ出る時間帯を避けた潮止まりの21 日午後、Hayashiー42catter 艇・『HINANO 』は、総勢 人で九州西海岸の多島帯クルーズへと出ました。
長崎直撃も予想されたこの時点での台風16 号は、台湾を縦断し、虎視眈々と沖縄、九州を狙う構え。
予断を許さぬ状況でしたので、緊急避難港を頭の隅に叩き込んでの出航です。
幸いなことに進路は中国上陸へと変わり、警戒要因はうねりだけ。
強烈な豪雨(⇩ ⇩)に襲われて24日は、オイルスキンの中までずぶ濡れになりましたが、これもクルーズです。
絶対に楽しくはありませんが、雨は飲み水の供給源、太平洋を西から東へと征服して行ったポリネシアン達が、どの位雨に救われたことか。
その挑戦は有史以前から。
当時の小さな小さな丸木舟を思えば『HINANO 』のデカイことデカイこと。
‶天下御免の晴れ男″を自認するオイラも、雨に文句を付けません。
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そのポリネシアンに想いを馳せて、と言うよりもオイラ達・狩猟採集民族のご先祖だってお世話になってる「骨角釣り針で魚を釣りたい」と、今回二本の釣り針を用意して出掛けた。
ヨットのスターンから擬餌針を流す、通称・ケンケンと呼ぶライトトローリングで回遊魚を狙う釣り。
その釣り針がコレ、象牙の端材から削り出しました(⇩ ⇩)。
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どうです、このメートル級のサワラ、ライトトローリングの成果ですよ。
合わせて二本をゲットです。
他にタチウオのチビッ子も一本。
スターンの左右から一本づつ疑似餌を流した釣果です。

でもね~、狩猟採取民族の末裔を自認するオイラの骨角釣り針にはヒットしなかった。
「誰にも内緒にしとくから、骨角釣り針に引っ掛けて写真を撮れ撮れ」などと、ヤイヤヤイヤの催促でしたが、『新宿魚業協同組合』の最高幹部、‶組長″の名に掛けてそんな不正はしたくない。
夢を不正で叶えて何が楽しい、ですものね。
コチラは釣り上げたご本人、五島は福江島から参加の釣り吉ケンちゃんこと船端研君。
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by molamola-manbow | 2014-09-30 13:05 | 長崎・HINANO | Trackback | Comments(0)
2013年 05月 08日

HINONOの近況、番外

内房線・富浦駅の改札口を出てすぐ左手に写真レリーフを埋め込んだ記念碑があります。
二枚帆、八丁櫓の手漕ぎ舟(押送船=おしょくりぶね)で献上ビワ等を江戸に運んでいた明治時代の写真、大正七年(一九一八年)に鉄路が開通するまで、日本橋のたもとにあったヤッチャ場までを八時間を掛けて運んでいたらしい。
東京都最大のマリーナは日本橋よりも更に奥の夢の島にあって、「ロング」と呼ぶクルージングは大島辺りを指すものらしい。
ほぼ一日掛かりの行程になる。
ヨットも八丁櫓の押送船も、余り変わらない船足です。
な~んてことを思い出したのは『献上ビワの里』として関東ではとみに知られた、富浦産のハウス物もビックリの早世ビワを帰りしなに頂いたから。
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『献上ビワの里』で食らったビワは六月に入ってからでした。
これでも速さに驚きましたから、長崎産は更に一ヶ月も早い
さすがはビワの生産高日本一の土地です。

車窓からの光景にも随所で色とりどりの袋掛けビワを拝見できた。
JRとビワの関係、何処かに繋がりがあるのかも知れません。
中央線の四谷駅には鈴なりの実を付けるビワの木があって、「誰が食らうのだろう?」などと思いつつ眺めてた。
その四ッ谷駅のビワと同じように、線路際のビワは全国各地で見掛けますもの。

『献上ビワ』の里から『生産高日本一』の長崎へのお嫁入り。
HINANOはビワとも繋がりがある。
秋が深まってからヒッソリと花を咲かせるビワ、その花言葉は『貴方に打ち明ける』
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by molamola-manbow | 2013-05-08 08:22 | 長崎・HINANO | Trackback | Comments(0)