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カテゴリ:自転車( 21 )


2012年 06月 03日

北沢川

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月に二度、周辺の住人によって清掃されている。
日曜日と清掃日が合致したりすると、清掃はリクリエーションへと昇華してそれはそれは賑やかに、小学生からご老人までが精を出します。
東京都の唯一無二の清流、出掛ける度に「チッポケな流れなんだけどな~」、「人工の小川なんだけどな~」と思いつつ気持ちは洗われて帰ってくる。

京王線・烏山駅前に広がる都立松沢病院内の湧水(将軍池)を水源に、世田谷区内を縦断して目黒川に落ちる北沢川。
d0007653_7354222.jpgそのほんの一部、川面に蓋がかぶされて暗渠になっていたその上に、人の手でもう一度川を作った全長二キロほどのせせらぎです。
地下トンネルを遠く離れた新宿の落合浄水場まで繋いで、引き戻した浄化水をもう一度暗渠の上に流した。
元の北沢川を再現させたヒト、尊敬に値しますね。
長くて、面倒な行政との交渉には、気が遠くなるほどの時間をかけたでしょう。
たった二キロ程度のせせらぎですけど、嫌がり、面倒くさがる役人を説き伏せ、予算を計上させ、流れを再現させたのですから。
昨日は清掃日じゃありませんでしたが、イレギュラーでゴミ拾いに精をだしておいでの住民が一人、とっても大切にされていますが、ビールの空き缶を放り込んで行く馬鹿者も居る。

間もなく雨の季節が来て、すぐに猛暑へ。
すがすがしいチャリンコ・クルーズの季節はもう終わりです。
平坦な道を選んで走ったのに、汗が背中を伝いはじめた。
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by molamola-manbow | 2012-06-03 10:42 | 自転車
2011年 07月 14日

  二子玉川の二重堤防

田園都市線の二子玉川駅前にある赤煉瓦造りの狭間、昭和初期に完成した堤防の遺跡です。
防水門を通り抜け、細い道を百メートルほど進んだ突き当たりに現在の堤防は築かれていて、その下に河川敷の広がりと多摩川の流がある。
旧と新、二つの堤防を眺めて「高さは旧堤防の方に軍配が挙がるナ~」。
でも、川幅一杯に水嵩が増した場合の勢いを、こんなチャチな防水門や堤防で防げるかどうか、疑問が頭をもたげる。
小田急多摩川の堤防決壊(昭和四十九年)、TV放映されてリアルタイムで観てますから・・・・・。
旧堤と新堤、二つの堤防に挟まれた幅百メートルほどの細長い家並、「こんな町は他にもあるんだろうか?」とも思います。
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細長い街の誕生、一軒の川魚料理屋が発端だったようですよ。

旧堤防は昭和初期の完成ですから、当時のお役人は威張ってます。
「オマエの店は堤防建設の邪魔になる。即刻立ち去れ。立ち去らぬと川岸にポツ~ンと一軒、取り残されることになるぞ」
「冗談おっしゃっちゃあ困りまさ~。滔滔と流れる川を眺めてこその川魚料理屋だ。お客さんに堤防眺めさせて商売はできません。江戸からこちら、流されたらまた建てる。そうやって生きてきたんだ。大水なんざあ怖くね~、動きませんゼ!」
政治家あたりに贔屓筋が居たのかもしれませんね。
お店は例外的な営業が許されて堤防完成後も『献上鮎を食わせる店』として河川敷、いまの細長い街で営業をし続けた。
コイツが街の誕生の始まりなんだと。
題名も内容も頭から飛んでいますが、、何処かで昔読んでます。
それらしき川魚料理屋、探してみたけどいまはありません。
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by molamola-manbow | 2011-07-14 07:06 | 自転車
2010年 03月 16日

  ♪ 春の小川

テレビの『地井散歩』から聞こえてきた「小田急線・代々木八幡駅の付近」に耳が反応した。
 春の小川はサラサラ行くよ の唱歌作った人が「この辺りに住んでいた」ことを紹介して、ドギツイ原色の魚のモザイクを埋めた壁面なんかを映していた。
「歌詞のイメージにはそぐわネ~、小鮒にメダカだぞ~」な~んて思いつつ、渋谷の街を縦断する渋谷川に流れ込む宇田川が代々木八幡神社の小高い丘を取り囲んで流れているから、「フ~ン、そうだったんだ~」などと、その場はそれで終わったのですが、数日してから「待てよ」と疑問が生じた。
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先日、一面サンイエローに染まった房総の野を眺めたのがきっかけでしょう。

  菜の花畑に 入日薄れ
   見渡す山の端 霞ふかし

『朧月夜』を思い出して、 兎追いしかの山とか、 秋の夕日に照る山紅葉とか その他イロイロ、「キミ達が一度は口ずさんだ唱歌、ほとんどはココで生まれた」と、スキー場の主人が話して呉れたことを思い出した。
その中に  春の小川はサラサラ行くよ(流る)も、あったような・・・・・。

調べてみると、正解でした。
信州・斑尾高原から流れ出る斑川で育った少年時代を懐かしみ、 春が来た春が来た なども作っている高野辰之の作。
「記念館や歌碑も斑尾にある」と述べていて、『春の小川』も『朧月夜』も作っていた。
代々木八幡に建つ歌碑にも、宇田川の支流、河骨川(こうほねがわ)の情景を謳った詩だと書いてあります。
正しいのはどっちでしょう?

小田急線の開通は昭和二年、代々木の森はNHKとか岸体育会館の方まで伸びた近衛師団の練兵場だったし、近くには古代人の住居跡(八幡神社境内)もあります。
今とは比べ物にならない環境だったのでしょうが、manbowが挙げるとしたら、軍配は斑尾だね。
ガキの時代から、宇田川はすでに暗渠だったし、河骨川は上をコンクリートの板で覆ったドブでしかなかった。
もう少しのどかな小川であって欲しいもの。

           斑 尾                          代々木八幡
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by molamola-manbow | 2010-03-16 07:24 | 自転車
2010年 02月 09日

ウクレレ・レイディー&用賀

d0007653_1423482.jpgハワイアンに、
 ウ~クレレ レイディーと唄い出す曲がある 。

「この娘、ポリネシアンじゃないな~、何処か憂い含んで、寂しそうだな~」と、レンズ向けつつ何時も思う。
お祖父さんの故郷に連れて来られたけど、寒いし、空気汚いし、「南の島が恋しいんだ」と考えちゃう。
ポリネシアンも日本人と同じ遺伝子持ったモンゴリアン、三世、四世の時代になりゃあ、日本人の顔してても、「もう、立派なポリネシアンだもんね」と、想像は飛んで、頭の中では「このレディー、ハワイの三世」。
環状八号線際、砧公園側から田園都市線の用賀駅に向かう遊歩道『いらかみち』の入口に立つウクレレ・レディー、何度かblogに登場している。

『空間制作所』(↓↓)は、前回、定休日だったっけ・・・・・。
このお店、古いモノいっぱい集めた片隅で、コーヒー飲ませて呉れたはず。
そう思って久し振りに訪れると、「そんなことやってたこと、ありませんけど・・・・・」
ガラクタに囲まれてお茶頂いた記憶があって、おいしい香りまで覚えているのだけど、キツネにつままれた気分。
何処と間違えているのだろう・・・・・?
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by molamola-manbow | 2010-02-09 08:52 | 自転車
2010年 01月 26日

チャリンコ・クルーズのルーツ

先の同窓会、中学も同じクラスだった四人が隅っこに椅子寄せ合った。
ロクな会話している訳じゃないけど盛り上がって「そういやアン時のメンバー揃ったな~」と言い出した。
忘れてました~。
中学一年の夏休みです。
「言いだしっぺはオマエだ」ということになりましたが、「自転車で軽井沢に行こう」となって総勢六人、昼休みになるとイロイロ計画を練って、夏休みと同時に飛び出したのです。
d0007653_1433658.jpg出発前日に友達の家(成城)に集合して、庭にテント張って早朝の旅立ちに備えます。
コースは飯能に出て今の299号線に道をとる。
正丸峠~秩父~十国峠を経由し、小海線にぶつかったら北上して碓氷峠とは逆方向の小諸から軽井沢へ。
そんなコース計画でした。
manbowはいいよ、スポーツサイクル乗ってたろう。オイラ婦人用のチャリンコだったんだ」と、初めて聞くような話も出た。
確かにギア付きのロード車は二台、他の四台は普通の自転車、ウチ一台はママチャリだったと言うのです。

飯能から正丸峠へ。
その途中で日が暮れた第一夜のテントの中で、「どうする?、これからズ~ッと登りだぞ」。
舗装なんて名ばかりの山道を、荷物満載のママチャリはこたえます。

テントも重いズック製の時代だし、カンテラ、飯ごう、その他イロイロ、荷物は多かった。
で、衆議は「やめよう」で一致しちゃって、翌日は飯能までUターン、八高線で自転車茅ヶ崎に送っちゃって電車の中で全員眠りこけた。
茅ヶ崎の海岸ではテント張って、何処にも行かずに一週間ほど泳いで、寝て・・・・・。
遊び疲れたカンカン照りの国道1号線、チャリンコは行きと帰りの二日間だけ。

初志を貫くな~んて夢のまた夢、意志薄弱な性質はこの時に培われたんですね~。
アハハの青春時代
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by molamola-manbow | 2010-01-26 14:07 | 自転車
2009年 07月 20日

生産緑地

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都市化の波に押しつぶされそうになりながら、猫の額の面積で頑張る都会の畑の作物が熟しはじめた。
キュウリは反り上がってるし、トマトにはへたの部分に割れ筋が付いてたりするのも混ざっているのだけど、そもそも野菜はそんな姿してたんだ。
キャベツからは一匹や二匹、イモムシだって糸伝いながら落ちたりするものだったんだ。

で、畑の前の無人の売店にチャリンコ停めて、料金箱に百円入れて、「今日は何にするかな~」と品定めして、一品選んで帰る。
世田谷は結構あちこちに『生産緑地』が残っていて、これからますます野菜の種類は増えて行く。
見た目綺麗な、スーパーの粒揃いの真っ赤なトマトより、真っ直ぐ伸びたキュウリより、確実に旨いこと知ってる。
いまはトマトが応えられない
無農薬の有機栽培じゃないことも知っているんだけど・・・・・。
それにしても『生産緑地』とは、抵抗のある奇妙なネーミングだ。
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by molamola-manbow | 2009-07-20 05:46 | 自転車
2009年 07月 05日

ツール・ド・フランス開幕

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写真正面の煙突は芦花公園近くに建つ清掃工場。
道路は東急・世田谷線の松原駅前から赤堤、八幡山を貫通して環八に抜けて行く。
この道路の一部分、距離千メートル弱に色分けがなされて、自転車専用レーンが出来ていた。

有るに越したことはないけど車道も歩道もガランガランなこんなところじゃなくて、本当に必要なのは別にあるんだけど・・・・・。

オイラ、そのうち刺されるかも知れません。

携帯電話は乗って使うモノと決めてるみたいだし、雨降りゃ傘さし、信号無視だし、車道を逆走してくるし、歩道を専用レーンと間違えてるし・・・・・。
注意してもジロリとにらんで、「何だ?、このヒト」みたいな顔。

もう世界に石油は無いんだから、手軽な足はさらに増え、今に収拾がつかなくなる。
自転車に限らず、日本人には公衆道徳の免許が必要な段階になっている。
マナー違反の点数が増えちゃって、「あなたは明日から三日間外出禁止です

始まりました、『Tour de France
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by molamola-manbow | 2009-07-05 10:45 | 自転車
2009年 04月 09日

下北沢の富士塚

昔は富士山がよく見えたであろう世田谷・下北沢の街を見下ろす高台の一角に、一個の石碑を見つけた。
『補少講義 四代目先達鈴木金太郎』さんの『富士登山五十回』記念碑、文政四年(一八ニ一年)に達成したようです。
碑文を読んで、咄嗟に頭に浮かんだのは富士登山を指したことば遊び、『登らぬ阿呆に、二度登る馬鹿』(阿呆と馬鹿の使い方が逆かな・・・・・?)。
チャリンコの街乗りでさえ極力坂道を避けるオイラにとっては、「すげ~な~、五十回かよ~」と、舌巻く思い。
五合目辺りまで観光バスで行って、「じゃ~、登るかあ」じゃないんですよね。
富士講盛んなりし江戸~明治期の山登り、テクテクテクと歩いて行って、一合目に到着するまでだって大変なんだもの。
d0007653_10395395.jpg上には上がいらっしゃるようで、先達の中には四百回も登っているとか、強力の中には重い荷物千回も担ぎ上げたとか、豪の者は沢山いるらしいけど・・・・・。

馬鹿な和尚さんが平にしちゃった下北沢・森厳寺の富士塚と、鈴木金太郎さんのこの碑、距離にすると千メートルは離れているけど、密接に関係してるんじゃないでしょうか。
森厳寺は家康の弟・結城秀康の位牌所だから、井伊直弼の菩提寺・豪徳寺より格は上、たたずまいも見事なのに、寺の和尚さん、重文級の価値をもってた筈の境内の富士塚を平地にしちゃったんだ。
世田谷のタウン誌『世田谷百景』で読んだ昔の記憶では「世田谷は富士講が盛んな土地で、森厳寺の富士塚も富士山まで行けない江戸市民の代替富士として大賑わい」だった時代がある。
どんなに立派な代替施設作っても歴史には勝てね~んだから、いつの日にか森厳寺は臍を噛むことになるでしょう。
                    『目先の利益に踊るバカ、古いモノ皆壊すアホ
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by molamola-manbow | 2009-04-09 10:53 | 自転車
2009年 04月 04日

  世田谷ー銀座チャリンコの旅

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 「砧公園の桜だよ~」と、写真付きの携帯mail↑↑)が入った。
オイラもすぐにシャッター押して送り返す。
「チャリンコで目黒川(↓↓)を下っている最中だよ~。
行き先は銀座の久我通世展」 

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こちら(↓↓)は世田谷を西から東に流れて、三宿の先で目黒川に落ちる北沢川のせせらぎ。

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寄り道の東大教養学部駒場キャンパス(↓↓

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銀座からの帰途、日比谷の交差点から振り返ると、『ペニンシュラ東京』(↓↓)になっていた。
オイラの時代は日活会館ビル。
一階の日活ファーマシーしか知らなかったけど・・・・・。

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                                                        【組長・manbow
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by molamola-manbow | 2009-04-04 05:43 | 自転車
2009年 03月 01日

多摩川決壊の碑

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小田急線の鉄橋から目測四百メートルほど下流でしょうか。
薄日の中に鈍く光る三角の物体が目に入って確かめるためにチャリンコを降りた。
中央線の国分寺辺りから野川に沿って、府中ー成城ー二子玉、そして田園調布の先まで、ナガ~イ崖が続いている。
古多摩川の流れが累々と土砂を運んで盛り上げた河川段丘の跡、『国分寺崖線』の名が付いている。
この崖を下って西に道を取ると、 行きはヨイヨイ帰りは怖い。
幾らギア付きのドロップハンドルでも急な坂道に苦労するので、なかなか多摩川方面には出掛けないのだけど、ナタネ梅雨のハシリみたいな不順な天候の合間に顔を出した土曜日のお日さまだ。
「ままよ」て~んで、前輪西に向けて気が付いた。
近づいて見ると、『多摩川決壊の碑』とある。
説明文読んで、「あれは七十四年のことだったか・・・・・」

両堤防一杯に川幅を広げ、滔滔とした流れを映し出すTV 画面に見入っていたその時でした。
東京側の堤防の一部がドサッと崩れ落ちると、土色した崩壊箇所はどんどんどんどん広がって、堤防近くに建つ二階建ての土台部分を削り落し始めた。
ゆっくりと傾く二階建てに固唾を飲む画面から、聞こえてくる筈のない鈍く大きな音が聞こえて、二階建ては大きな水しぶきとともに多摩川に崩れ落ちて浮かんだ。
食い入るように画面を見つめ、小さくなるまで押し流されて行く二階建てを追ったのに、屋根の色が赤だったのか、青色してたのか、はたまた別の色だったのか・・・・・。
記憶から飛んでいるんだから人間の頭は判らない。
そんなこと考えながら、「映像の伝える臨場感、迫力、説得力には、活字マスコミは逆立ちしても敵わない」とも感じていた。

あれから三十余年を経た碑は、かなり汚れ、傷なども付いている。
「一度大水で流されて、下流から拾ってきた」な~んて話も聞いた様な、聞かなかったような、極めて曖昧な話だから真偽のほどは定かではないけど、痛みは激しい。
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by molamola-manbow | 2009-03-01 10:57 | 自転車