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2005年 12月 30日

新春早々漫画の主人公???

ラグビーが大好きで、専門誌にコラムまで持っておいでの漫画家くじらいいく子さんからmailを頂いた。
生駒おろしがビュービュー吹きすさぶ東大阪市の花園ラグビー場で高校ラグビーを取材し、たった今帰って来たばかりだと言い、お住まいのある湘南・鵠沼海岸を、「とっても暖かく感じます」とあった。
d0007653_1213453.jpg更に読み進んで、思わず携帯電話を落としそうになったのが次の個所。
『近代麻雀オリジナル』(竹書房)での新連載がスタート(来年一月七日発売)します。
で・・・・・・
そこで、雀荘の常連客で、manbowさんを描かせていただきました。
そうとうデフォルメして、お名前は少し変えてあります。
事後報告で申し訳ありませんが、どうぞ宜しくお願いします。

ナナナナ、ナニーッ、て、感じである。
下手な麻雀打ちとして書いてあったら、承知しないぞーッ、とか
評判になって、菅野美穂ちゃん主演の『守ってあげたい』の様に、映画化の話が持ち上がり、出演要請がきたらどうしよう、とか・・・・・・・。
うーん、新春早々の発売日が楽しみになってきた。
来年はいいことがあるかも!!
役者デビューとか・・・・・
みなさんも、素敵な年になりますように。
そして、書店で立ち読みとか、して下さ~い!!
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by molamola-manbow | 2005-12-30 12:01 | ラグビー | Trackback | Comments(0)
2005年 12月 28日

三十年の歴史を刻んで

d0007653_7485956.jpg日本一の繁華街・新宿の呑み助たちのラグビークラブが三十周年記念誌(クラブ史)を完成させた。
ゴールデン街の小さなスナック・モッサンのカウンターの片隅で生まれ、三丁目の居酒屋・池林房で育った『ガッデムズ』の三十年史である。
メンバーがたむろする池林房は、本の雑誌社の編集者や、作家の椎名誠さん、イラストレーターの沢野ひとしさんらが編集室代わりに使っていたところだからだろうか。
文章でつづると、とかく硬くなりがちなクラブの歴史を、エピソードを散りばめた座談会と沢山の写真、歴代キャプテンに語らせて処理し、とても読み易くする編集の工夫がされてる。
d0007653_7485923.jpg当時、モッサンの雇われマスターをしていた太田篤哉(現ガッデムズ・オーナー) が、二人の常連客と花園神社の境内でパスの練習をしたのがそもそもの始まりだ、な~んて泣かせます。
『ガッデムズ』に寄せるクラブ員の熱い想い。
編纂に携わった五十男が編集後記で述べています。
もしガッデムズがなかったらと考えてみた。
行かなかっただろう場所のこと、呑まなかっただろう酒のこと、戦わなかっただろうチームのこと、組まなかっただろうスクラムのこと、流さなかっただろう汗のこと、過ごさなかっただろう時間のこと、出会わなかっただろう人たちのこと・・・・・震えてくる。
――――と。

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by molamola-manbow | 2005-12-28 07:48 | ラグビー | Trackback | Comments(0)
2005年 12月 27日

『Hinano』のすす払い

d0007653_14133493.jpgお世話になったことし一年間の感謝を捧げ、年明け早々の初詣セーリング(新春8~9日を予定)で始まる"新年度も宜しく"お願い!!
26日はセーリングクルーザー『Hinano』のすす払いで過ごした。
参加メンバーはお隣に引っ越してきて日が浅く、まだ一度も『Hinano』には乗船したことのない『インフィニティー』のトドちゃんを含め、耕ちゃん、通世さん、一之瀬さん、峰さん、松ちゃん、そしてmanbowの総勢七人。
キャビンの内と外の二班に分かれ、床、壁、天井、甲板をピカピカになるまで磨き、拭き、そしてニス塗りと、忙しく立ち働く一日でした。

①←デッキ掃除のセニョール・峰

d0007653_14141338.jpg掃除というものが大嫌いで、我が家では散らかしっ放しが気にならないmanbowが、デッキブラシでゴシゴシ、ゴシゴシ。
からだがポカポカして来るにつれ、セーターを脱ぎ、腕まくりをして、またゴシゴシ、ゴシゴシ・・・・・。
その行為が、少しも苦にならないのですから、人間の不思議を感じます。

②デッキテーブルにニスを塗る楽しそうな一之瀬さん↑。


d0007653_14201594.jpg
③大掃除が終わったあとは、竹、松、万両(千両かな?)を使った峰さん特製の松飾を、何時ものようにラットの前に!!
これで新年は何時でも迎えられます。
d0007653_1421950.jpg
④坊主頭で最終点検中のスキッパー耕ちゃん→。
[バリカンじゃなくて、ちゃんと剃刀で剃った本物の坊主頭だぞーつ!」
と自慢するのだけれど、だ~れも興味を持ちません。
いまどき、坊主頭は流行らないし、とっても寒そうだも~ん。

d0007653_1421308.jpg
⑤少し遅めの昼食は、通世さん特製のカレーライスと熊本産の柿のデザート。
とっても美味しゅう御座いました。
そして隣組のトドちゃんには、特に「お手伝い、ご苦労さんでした」と申し上げなくては。
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by molamola-manbow | 2005-12-27 13:31 | ヨット | Trackback | Comments(0)
2005年 12月 20日

清冽烈風の海

d0007653_170399.jpgこの時期にヨットに乗りに行くなどと言うと、言い回しに多少の違いはあるけれど、十人が十人、「酔狂な」と言って、身震いしながら首をすくめる。
キャビンで一泊することを知ると、なお更である。
「身体に悪いことはやめなさい。"年寄りの冷や水"などと言うだろう」と諌めにかかる。
そんな時には「海水の温度は今頃でも17,8度はあるんだ。つまり、湯たんぽに抱かれて眠るようなものだから、思ったほどには寒くないんだよ」ということにしている。
ところが!であった。
北極直送の寒波が日本列島がスッポリと覆い、名古屋市内を30cmの積雪で埋めた日曜日(18日)夜の寒さは、やせ我慢では済まされないほど、キャビンの中も冷え込んだ。
三人(松ちゃん、峰さん、そしてわたし)の、朝の挨拶が異口同音の「眠れた?」です。
寝袋を二重にし、着込むだけ着込んで寝たのに、ウトウトするのがやっとです。
寝袋の内側が何時まで経っても温まらず、布に触るとヒンヤリするんですから、ポケットに手を入れて眠る始末でした。 d0007653_170273.jpg
そんな震える夜を経験しても、海は素敵です。
房総半島の先端部分、JRの駅の数にしてわずか三駅分でしかない富浦ー保田漁港までのクルーズでしたが、強烈な北西風と砕ける波頭が緊張感を高め、たるんだ心身を引き締めてくれた。
「強風のウイークデーじゃ、遊漁船も出ていない。
清冽の海、風を我々三人で独占!」
と叫んで保田漁港に入港すると、しばらくして『ひなの』に独占はさせませんよ、とばかりに一艇入港してきた。
対岸・久里浜のベラシスから東京湾を渡ってきた『Lady Libaty』。
海大好き!は、我々ばかりではありません。
クルー五人は我々と交代し、"氷の湯たんぽ"(ん??)を抱えて一夜を過ごすことになるでしょう。
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by molamola-manbow | 2005-12-20 17:00 | ヨット | Trackback | Comments(0)
2005年 12月 16日

  小学校四年生の通信簿

十代前半の少年期を鹿児島で一緒に過ごした『カル』につながる思い出の品を探していたら、小学校時代の通信簿が出てきました。
d0007653_14434339.jpg表紙には横書きで
       昭和二十四年度
         のびゆく姿
      大口小学校第四学年
       名前( m a n b o w )
とあり
その下に縦書きで結構難しいことが書かれている。
         めあて
とあって、箇条書きが三つ
   (一) よい子供をめざし あかるい世の中をつくるため 正しいことを愛します
   (二) すべての人をたっとび なすべきことをなしとげ よく働きます
   (三) 自分のものをもち 心身を丈夫にして よく勉強します


わたくし m a n b o w は五年生の春に上京し、世田谷区立経堂小学校に編入したから、これは鹿児島での最後のとしの記録ということになる。
学業成績が良かった年代などはわたしにはないから、通信簿に関わる思い出にはロクなものがないし、中、高校時代のモノを含め、どの様な形状をしていたのかも思い出せない。
それだけに、出てきた通信簿は隅からスミまで、とっても興味深かった。
d0007653_14442980.jpg戦後間もなくの通信簿の形状を更に説明すると、2、3ページ目が成績表で、評価は5段階に分かれ
   優   (◎印、または数字の+ 2 で表示)
   秀   (◎印の中が黒丸で、+ 1 表示)
   良   (○、または数字の 0 )
   可   (△、数字の- 1 )
   不可  (×、数字の- 2 )
で表されています。
ページをめくると学校および家庭からの通信連絡になり、担任の野尻文子先生は余白が見えないほど熱心に書き込んで呉れていますが、我が家からの通信欄は真っ白なまま。
つまり、わたしは両親から全く関心を払われていなかったことになります。
野尻先生は
何事も積極的にしたいという気持ちは充分持ってゐらっしゃるようですが、永続性がなくすぐあきる性格を持ってゐらっしゃるようです。後のしめくくりがないです。最近油断が多く指示すると必ずきき返してから発表します。
と注意を促しているのにです。

  国語  正確な発表をする事が少ない。書写を好まず、漢字力が劣る
  社会  我儘な態度が旺盛です
  算数  筆記を嫌うので表やグラフ作製が遅い
  理科  継続性が乏しい
  音楽  鑑賞を好む
  図工  ある一つの型にはまっている
  体育  規則を守らぬ傾向がある

  ・・・・出来の悪い子供でも、どこかに取り得が有る筈ですが、全科目が踏んだり蹴ったり。
      普通、学業が悪いと、体育の点は良い筈なんですがねえ。

面白いことに各ページの余白には格言?も書かれています。
多分これは、後に町長だか市長だかになった森田盛之助校長の趣味なのでしょう。
こんな具合です。
  折々にあそぶいとまある人の いとまなしとて文よまぬかな
  おこたらず行かば千里のはてもみん 牛のあゆみのよしおそくとも
  かわいくば二つ叱って三つほめ 五つおしえてよき人にせよ
  白がねも こがねも 玉も なにせんに まされるたから子にしかめやも
  一円をそまつになさずたねとせば こがね花さく春にあうべし
  財を失うは多少の損 名誉を失うは多大の損、勇気を失うは生涯の損

皆さんの通信簿は如何でしょう?
あらためて引っ張り出して見ると、物凄く楽しめますよ。
こうして、 b l o g まで書けますし。
連れ合いに「お前のも見せろ」と申しましたところ、「無くした」だと。
あまりにもひど過ぎて、持っていても見せられないのか、破り捨てたに違いありません。
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by molamola-manbow | 2005-12-16 12:55 | カテゴリー外 | Trackback | Comments(2)
2005年 12月 15日

『カル』というイヌの話   その完

悪い大人にさらわれないために、わたしを校門まで送り迎えしていた『カル』の姿が消えても、最初はまったく気に留めませんでした。
数日間、家を空けては真っ黒に汚れて帰ってきて、お祖母ちゃんに首根っこを掴まえられながら、井戸水をバシャバシャ掛けられているのを、何度となく目撃していましたから、「また家出癖が出た」程度にしか考えていなかったのです。
一週間経っても、十日経っても姿を見せないので、ようやく心配になりました。
最初に『カル』と出会ったのは、わたしが四歳の時です。
d0007653_16124222.jpgその時すでに、『カル』は壮年期を過ぎていましたから、相当の高齢になっています。
だから、両親は"死"を口にしましたが、そんなことは、とても認められません。
病気になって床下あたりで苦しんでいるのでは・・・・・・。
オヤジの生家は、八畳間が田の字型に並んでいて、その真ん中を一間幅のタタミ廊下が通っている部屋がありました。
襖を取り払うと四十畳の大広間に化けるんです。
こども心にも「無駄」と感じるほどだだっ広い家でしたから、床下も広大です。
その床下を隈なく探しました。
近所の人達が入るために掘られ、そのまま放置されていた傾斜地の林の中の防空壕を探し、よく遊びに行って潜り込んでいた友達の家のお寺の本堂の床下を探し、もしやと思ってわたしが溺れた水遊びの川辺を探し・・・・・。
見つかりません。
初秋の朝、わたしを小学校の校門の前まで送り届けて、そのまま掻き消えたのです。
お祖母ちゃんは「ジイチャンを追って、山にへエッタルゴザッナア(入ったようだ)」
と言いました。
『カル』とはそれきりです。
お祖母ちゃんのことばは、妙にわたしを納得させました。
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by molamola-manbow | 2005-12-15 13:02 | 犬・猫・蛙に動植物 | Trackback | Comments(0)
2005年 12月 14日

『カル』というイヌの話    その5

ある筈の地球が足元から消え、パニクってしまったわたしを置き去りに、一斉に岸に這い上がったこどもたちの整列状態で固まっている姿と、飛び出してきた『カル』、そして、意を決したジャンプ・・・・・。
更には飛び込んだ『カル』が、わたしに向かって泳ぎ寄るひとコマ、ひとコマは、いまでも鮮明に頭に描くことができる。
わたしたちが遊んでいた川は、アルファベットの小文字の『b』のような形をしており、『b』の字の縦線が川の流れ、曲線の部分は小さなワンドになっていて、ワンドの中は川の流れとは逆方向に、緩やかな渦を巻いて流れていました。
溺れた場所がもう少し流れの中心に近かったら、そのまま流されて生涯を終えていたかも知れませんが、わたしはワンドの中の渦に乗って流され、『カル』に首根っこを摘み上げられる前に、自力で岸辺に辿り着けました。
精魂尽き果てた形で岸に這いずり上がり、ゲーゲーと水を吐くわたしの顔を、『カル』は千切れんばかりに尻尾を振りながら、何時までも、いつまでもべろべろ、べろべろと舐めあげました。
気が付くと消えていた音は戻っていて、周囲にはせみの声、『カル』の嬉しそうな鳴き声、そしてびっくりしたことに、何事も無かったかのように再び水遊びを始めたこどもたちの歓声が、ドッとばかりに両耳から流れ込んで来たのでした。
「大丈夫かい?」と尋ねるとか、覗き込みにくるとか、そうしたことは一切無しですから、こどもの世界は残酷というか、どうもよく判らないというか・・・・・。
判らないのは『カル』も同じです。
偶然通り掛って、わたしが溺れていることに気づいたのか、それとも何時も隠れて付いてきていたのか・・・・・。
まったく懐こうとせずに、牙を向いたこともあったわたしを、助けようとしたこともいまだに解けない謎になっています。
d0007653_1257861.jpgただ、この夏を境に、というか事件を境に、わたしに対する『カル』の姿勢は変わりました。
何処へ行くにも付いて来るようになります。
二学期が始まると、学校の校門の前まで付い来ます。
付いてきて、わたしが校門を入るのを見届けると、クルリと背を向けて帰るんです。
退け時も知っていて、校門の前で待っています。
完全にわたしの保護者ですよね。
「オレが付いていないと、アイツは生きて行けないようだ」とでも思い込んでいたに違いありません。
纏わり付いて来るような馴れ馴れしさは、依然として示しませんでしたが、何処へ行くにも一緒となりました。
小学校の三年生の初秋でした。
三つある小学校の出入り口の、何処から抜け出しても必ず嗅ぎ付けて後から付いて来ていた『カル』が、迎えに来ませんでした。
何時も付きまとう"保護者"を、結構煩く感じることもありましたから、そのときは「オヤ?」と感じただけだったのですが、一緒に通学したこの日の朝を境に、『カル』の姿は消えるのです。
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by molamola-manbow | 2005-12-14 14:19 | 犬・猫・蛙に動植物 | Trackback | Comments(0)
2005年 12月 13日

「カル』というイヌの話    その4

オヤジに泳ぎを教わってから一年が過ぎ、小学校が夏休みに入ると毎日川へ、憑かれたように川遊びに熱中しました。
前年の八月に戦争は終わっています。
ピッカピカに非らざる再入学の一年生の入学式では、校門の表札(校札?看板?)が真新しく書き換えられていて、『国民』の二字が消え、只の大口町立小学校になっていました。
(尋常から国民へ、そして只の小学校へと、二年間に三度、"肩書き"が変化したような気もするけど、これは記憶違いだろうなあ)。
校名に変化はあっても、中身が変わる訳じゃあ、ありません。
鹿児島は排他色の極めて強いお国柄です。
そこに、都会育ちが迷い込んで来たのですから、薩摩隼人は喜んだに違いありません。
しかも、しかもで御座いますヨ。
ターゲットには"落第坊主"の肩書きまで付いていたんですから。
ひょっとすると、竹ヤリ片手の首都圏防衛を放棄して故郷に逃げ帰った、オヤジの敵前逃亡罪まで背負わされていたのかも知れません。
わたしはクラス中、学年中を敵に回す四面楚歌を味わい、孤軍奮闘する毎日を一学期の半ばまで続けることになるのです。
夏休みがやってきて、ホッとしたのを覚えていますから、川遊びに熱中したのは、その反動だったのでしょう。
一向に『カル』の名前が出て来ずに、半生記を綴っているようで気が引けますが、近所のこども達ばかり十人ほどで川遊びに出掛けた時の事でした。
幅25mほどの川を楽々往復出来た私が溺れたことがあったんです。
「ここら辺りは、まだ背が立つ筈だ」
と、立ち泳ぎをしながら足の指先で地球を探って見たところ・・・・・・
足先に地球がありません。
途端に泳ぎを忘れてしまいました。
頭の中が真っ白になる、などと言いますが、パニックに陥り、泳ぎを忘れ、何かを叫び、沈み、もがき、必死で呼吸し、その度に水を飲み、手足をバチャバチャさせながらも、周囲はクッキリと見えているものだ、ということを知ります。
d0007653_18102927.jpg 川の中にいたこども達は一斉に川から岸へと上がりました。
上がって、目を真ん丸に見開いたままからだを硬直させ、十数人が等間隔で川岸に整列です。
おとなを呼びに行くとか、そこいらに幾らでも落ちている竹竿や棒切れを拾い上げて差し出すとかの知恵は回りません。
溺れているわたくし以上にパニクっている様子です。
そのパニクっている岸辺のこども達を見ながら、「早く誰か呼んでくれないと、オレ、死んじゃうじゃないか」と、"冷静に考える"もう一人のわたしがいました。
「ワンワン」吠える音の記憶はありませんが、突然草むらの陰から『カル』が飛び出して来て、茫然自失のこども達の回りを、訴え掛ける様子で駆け回り始めたのが見えました。
目を覚ませ!
だれかおとなを呼びに行け!
と、吠え掛け(もう一度書きますが音の記憶はまったくありません)、胸元に飛びついても、全員硬直からとけません。
『カル』は忙しく駆け回っていましたが、意を決したように、川の中へとジャンプしました。
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by molamola-manbow | 2005-12-13 14:13 | 犬・猫・蛙に動植物 | Trackback | Comments(2)
2005年 12月 10日

『カル』という犬の話   その3

昭和20年春、終戦の年にわたしは小学校に入学しました。
入学後、どのくらいの期間学校に通ったのか、一週間だったのか、一ヶ月だったのか・・・・・。
この間の記憶がわたくしには欠落しています。
入学して間もなく、高熱を発して寝込むことになり、そのまま休学してしまうのです。
本当のところを申しますと、病気は夏前に快癒したので復学は可能でした。
しかし、「一年間休ませろ。戦時教育などさせる必要はない」とオヤジが言い出し、昭和20年の半分を、わたしは遊び呆けて過ごすことになります。
休学はさせたものの、遊び相手が就学前のガキ(わたし自身ガキでしたが・・・)ばかりになってしまったのを、オヤジは不憫に思ったのでしょう。
d0007653_385491.jpg町の郊外を流れる川内(せんだい)川の支流にわたしを連れ出し、対岸(20~25mほど)に泳ぎ着けるようになるまで、泳ぎを教えて呉れました。
とっても恥ずかしい水練でした。
心象風景として描いた絵では、こどもたちに小洒落たセパレート水着などを着けさせましたが、当時のガキどもの水遊びは、一部の女の子がパンツを履いていたぐらいで真っ裸で泳ぐのが普通でした。
フンドシは中学生になって初めて六尺を付けたものだったのです。
オヤジは素っ裸で教えました。
両手を持たれて、バタ足の練習をさせられると目の前でブラブラするんですから、こどもといえども目のやり場に困ります。
対岸は隣町への街道でしたから、人も通れば荷馬車も通ります。
ブラブラさせながら対岸の知人と大声の会話を始めるに至っては・・・・・。
手綱事件以来、互いに没交渉となってしまっていた『カル』も、オヤジが出掛ける時には先になり、後ろになりして付き従います。
水練にも必ず付いてきて、川べりに寝そべって前足に鼻先を乗せ、その鼻先越しの上目遣いで私のバタ足練習を眺めていました。
わたしのことを小馬鹿にした顔に見えるんですよね~っ!
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by molamola-manbow | 2005-12-10 12:05 | 犬・猫・蛙に動植物 | Trackback | Comments(1)
2005年 12月 09日

『カル』という名の犬の話    その2

犬に付ける手綱のことを、最近はリードなんて洒落た名前で呼びますけど、10mほどにもスルスルッと伸びるあれって、自転車愛好家にはとっては怖いものです。
あの伸びたり、縮んだりするリードを持って、飼い主が犬とは反対側を歩いていたりするんですから。
犬の姿が見えているのなら兎も角、生垣にでも潜り込んでしまっていたら、スピードを落とすことなく通ってしまいます。
わたくしも何回か危ない思いをしてますから、あっちこっちで事故は起きてると思いますねえ。
d0007653_18262655.jpg
こども時代を過ごした鹿児島では、犬に手綱を付けて歩く姿を見ること自体がマレでした。
雉撃ちに出掛ける小父さんたちが、ハヤル猟犬を制御するために、止むを得ず荒縄で縛る。
こんな時ぐらいでしょうか。
犬たちは山野を駆け回って遊ぶこども以上に、自由気ままに過ごしていました。
『カル』なんて、数日間の家出はしょっちゅうでした。
町中の犬の序列も決まっていて、犬と犬が鉢合わせてしも、噛み合いの喧嘩となることはありません。
どちらかの犬が直ぐに腹を見せ、もう片方が上に乗って優位を示せば一幕目の終わりです。
角を回ると二幕目が始まり、今度は先ほどの上位犬がひれ伏します。
『カル』の仰向けにひっくり返った姿は見たことがありませんでしたから、犬社会では上位ランクにあったのだと。

待ちわびていた秋田犬の『トク』が、輸送の途中の行方不明、あるいは引越し屋の横領(両親は着物など、値の張る荷物だけが届かないのをみて、こちらだろうと推測しておりました)で到着しないと判った時、『トク』の手綱を持ち出しました。
鹿児島に引っ越してからも、同じように玄関の柱に吊るされた『トク』の手綱は、こどもの手には余るような太さです。
こいつを『カル』に付けて、町中を引き回して見よう!と考えたのです。
四歳(五歳になっていたかも・・・・)のガキでも、見栄を張りたいんですねえ。
吠え声を聞いたことのなかった『カル』が、このときばかりは毛を逆立ててうなりました。
わたしの泣き声に、オヤジが飛び出してきても、『カル』の鼻筋の皴は消えません。
オヤジは一応、厳しく『カル』を叱りましたが、私が持っている手綱を見て状況は理解したようです。
鼻筋の皴が消えると、そのまま家の中に引っ込んでしまいました。
わたしの泣き声は続いておりましたけれど、もう、家の中からは物音ひとつしません。
『カル』はクルリと背を向けて去って行きます。
犬に負けた惨めなわたしだけが取り残されました。
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by molamola-manbow | 2005-12-09 12:51 | 犬・猫・蛙に動植物 | Trackback | Comments(0)