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2006年 08月 30日

  銀ブラなしの銀ブラ

太田有紀さんの『フェルト展』を観に行こうと、ショートパンツから長ズボンに履き替えた。
たったこれだけで、ドドーッと汗が出てきて、あわてて扇風機の正面へ。
きょうはことのほか残暑が厳しい。
しばらくじーっと風にあたっていたのだけど、汗は引きそうもないので、またショーツに履き替えてしまった。
「きょうは止めとこう」と決めて、玄関のドアを開ける前に挫折、・・・・・・したのが昨日のお話し
d0007653_172705.jpg
で、一日経った本当のきょう(三十日)、日差しが蔭って、その分だけ凌ぎやすくなったので、銀座まで出掛けてきた。
七丁目に用事があるのに、銀座線の新橋では降りずに、一つ先まで。
都心は久しぶりだから、銀ブラがしたかった訳です。
でも、ウインドウショッピングなどしながら、銀座をブラブラすることを銀ブラと称したのではないようですね、本来は!
明治の末、当時のモダンボーイ、北原白秋、高村光太郎、吉井勇らが「どうだい、きょうは銀ブラする?」などと言ってたのは、銀座のカフェーでブラジルコーヒーを飲むこと。
これが語源であるといいます。
一杯三銭だったようですよ。

d0007653_16452092.jpgそうでした、太田有紀さんのハンドメイドフェルト展でした。
小さなギャラリーに、可愛く、カワイク、そしていかにもあったかそうに、手製のフェルトの小物が飾られていました。
「こんなのを作って下さい」な~んて、図を描いて怪しい注文までしてきちゃいました。
「できましたよ~」の連絡がきたら、blogにアップするつもりですが、それまでは内緒にしときまっす。
帰りは有楽町から丸の内線で。
飲み屋のオープンまでには四時間強。
そんなには時間は潰せないので、"ワタシの新宿"を、なななんと、素通りです。
昨日の挫折といい今日の新宿素通りといい歳を取ったということですね~。
                                                         ソニービルの水槽(⇧ ⇧)
       ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・            

明治時代のモボたち、北原さんや高村さんの味わったコーヒーは、ブレンドではなくて本当にブラジル・サントスの単品だったのでしょうか
ちょっと疑問ですね。

コーヒーの値段は
   明治後期(1910 年~)   3
   大正後期(1921 年~)  10
   昭和20年(1945 年)    5
   東京五輪 (1964 年)   80
   札幌五輪 (1972 年)  150
現在わたしは日に一度、自宅近くのEXCELSIORで『本日のコーヒー、ミディアムサイズ』を飲んでいる。
値段は300 円。
ベラボーに高いコーヒーを飲まされたのは銀座7丁目あたりにあった美人喫茶。
『マグノリア』とか『カトリーヌ』とか、そんな名前の店だったけど、一杯700 円もとられた。
1950 年代の半ば、まだ高校生だったから、随分ませてたことになる。
夏休みの民宿一泊の値段と、ほぼ同じ。
スッゲーと、換算してみて今さらながら仰天!!である。
                                     コーヒーの値段調べは『値段の風俗史』(週刊朝日編)。
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by molamola-manbow | 2006-08-30 17:07 | ホビー | Trackback | Comments(8)
2006年 08月 26日

豚海豚の S y n c h r o J a m p

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夏の海で削り始めた二連のイルカ(↑↑)が出来上がった。
随分太っているので、名付けて『豚海豚』

イルカの仲間には淡水に棲む種類が居て、ガンジス河イルカとか、揚子江河イルカとか、アマゾン河イルカ、メコン河イルカなどと呼ばれている。
漢字で書くと『河海豚』

フグの仲間にも淡水に棲んでるヤツがいる。
普通は『淡水河豚』と呼んでるけど、『河河豚』ともいう。

中国語をそのまま充てちゃってこうなった訳だけど、イルカは『海和尚』とも書くらしい。
古事記には『入鹿魚』(イルカウヲ)と表記、『伊流可』の字も充てたらしい。
d0007653_9311323.jpg入り江によく入ってくるので『イルエ』から『イルカ』へ、など語源説はいろいろ。

東京湾口でおよそ六百頭ものイルカの大群と出遭った幸せ者が身近に三人もいる。
この春のことだ。
チクショウ!!
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by molamola-manbow | 2006-08-26 12:08 | ホビー | Trackback | Comments(22)
2006年 08月 24日

フェルト展

『太田有紀ハンドメイドフェルト展』が東京・銀座で始まる。
  ▼期日  8月29日(火)~9月3日(日)
  ▼会場  ギャラリー『S.c.o.t.t』 (銀座7-7-1、幸伸ビルB-1)
  ▼電話  03-3573-3733
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むかし、ラグビーの公式ジャージーは純毛でした。
どんなに大きく、余裕を持たせて作っても、洗濯を繰り返すことで縮み、少々大袈裟に述べるならフェルト状となる。
着るのにも脱ぐのにも一苦労しなければならなかった。
大きく作るから最初はブカブカ、その後は縮んでツンツルテン。
中学、高校、大学と十年間ラグビーを楽しんだけれど、ジャージーがからだにピッタリだった記憶がない。
ブカブカから次第次第に縮んで行くのだから、その課程でベストサイズとなることもあった筈なのに・・・・・。
そんな訳で、フェルトには良い印象を持ってなかった。
彼女・太田有紀さんの作品を観るまで。
フェルトが面白い素材だということを知る。
どんな形にでも成形できること。
発色が綺麗で、自由に染められること。
屋根、壁、敷物・・・・、小屋だって作れること・・・・・。

生成りの淡く、暖かい色使いが太田有紀さんのブランド『NICO』の特徴だ。
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by molamola-manbow | 2006-08-24 22:56 | ホビー | Trackback | Comments(11)
2006年 08月 23日

  亀の子束子で悶絶!

カラダを洗うのに、亀の子束子(タワシ)を愛用している。
特別な亀の子束子ではない。
d0007653_87925.jpg台所の隅っこに転がっている、鍋、釜の底をゴシゴシと磨くアレ、百円ショップなどでは、三個束にして売ってるヤツです。
使い始めたのは学生時代。
風呂場でラグビーのスパイクを洗ったついでに、その束子でからだを洗っちゃったのがキッカケでした。
最初は多少痛みを感じましたけれど、三回ほど使ううちに慣れ、その刺激が大層気持ちいいものへと変わって"マイ・タワシ"を持つまでに。
つまりわたくし、半世紀以上も日々精進し、腕を磨き、カラダを磨いて居る訳です!!
その愛用の束子、一心同体の束子、おのれ磨きの束子に裏切られる事件が起きました。   
いつものように束子に石鹸をタップリ塗って(たらして)、まず頭の天辺からゴシゴシと。
次は顔です。
そうなんですよ、ごつい顔ですから、ここも鍋底を磨くように、束子でゴシゴシするんです。
続いて上半身に移ります。
「生き馬の目を抜くお江戸で生き抜くにゃあ、己を磨かにゃ」
とかなんとか言いながら、ではありませんでしたが、とにかく力いっぱいゴシゴシと!!!!、です。
どのようにしたらそうなるのか、いまだに判りかねますけれど、モノの弾みとは恐ろしい!!
男性の乳首なんて、マッチ棒の先ほどしかないのに、そのマッチ棒の先が束子の金具(←)に引っ掛かったんです。
道を渡る時は右左を、泊まった旅館では非常階段を、物陰は避けて通る・・・・・。
そんな危機管理能力抜群の御仁であっても、男性の乳首が束子のマ~ルイ金具に引っ掛かる危機まで気をつけない。
危機管理能力に乏しいわたくしなんざあ論外ですから、上から下に、右から左にと力任せにゴシゴシと。
d0007653_86212.jpgその最中の出来事ですから、先っぽがもげた、引き千切られた、と感じたほどの痛みだったんですよ~。
裏切られた腹いせに、束子には「もうお前は金輪際使わないズック靴磨きに格下げしてやる!」と言ってやりました。
そして、新しi亀の子束子を買った。
首の長いすっぽん型の白いヤツです。

でもね~、硬さが足りないんですよね~。
痛みの記憶が和らいだなら、格下げを解くやもしれません。
悶絶する思いの痛さを体験してもです。

束子使いの同好の士、結構居るんですね~。
束子を乾布摩擦の布の代わりとして使う『タワシ健康法』とか言うのまで。
俳優の高橋英樹もやってるらしい。
こちらの束子摩擦の方は石鹸塗りたくりより刺激は強い。
束子にトライするなら、石鹸塗りたくりが入門編だと思います。
ただ、「こんなこと続けている」と話したところ、
「歳をとったら肌に過剰な刺激は与えない方がいいんだ。手の平で優しく洗うのがベスト」と言われたこともあるので、推奨するつもりはない。
悶絶の痛みだって、あのワッカがある限り、また起こり得るし・・・・・。

  追加
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by molamola-manbow | 2006-08-23 08:23 | カテゴリー外 | Trackback | Comments(15)
2006年 08月 21日

♪♪ブイ・エイ・シー・エイ・テー・アイ・オー・エヌ  その3

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d0007653_8453123.jpg指折り数えてみたら、同じ海に通い続けて今年が丁度二十年目になっていました。
その記念の年に顔を揃えたメンバーは、最盛期のほぼ三分の一に過ぎないたった十人。
伊勢海老を餌にしても、アワビを針に付けても食い付かなくなってしまいました。
飲み明かしたこともシバシバの夜の楽しみも、いまでは十時過ぎにはお開き!!
海に入るのを怖がって親にしがみついて泣いていた就学前の少年少女たちも、親と遊ぶのを嫌がるようになって、一人減り、二人減り・・・・・。

若い血を何とかして注ぎ込まないと、消滅しかねない、夏恒例の伊豆の海になっております
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by molamola-manbow | 2006-08-21 08:38 | 潜り・磯釣り・海 | Trackback | Comments(9)
2006年 08月 20日

  ♪♪ ブイ・エイ・シー・エイ・テー・アイ・オー・エヌ  その2

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白・赤・黄色の三つの星は、紺碧の空と群青の海に横たわる島々を表しています。
白い星は海の民が培ってきた気高い M o r a l (道徳心)と R e a s o n (理性心)を。
赤い星は世界平和を願う燃ゆる情熱を。
黄色い星は平和と道理に基づく民族の精神的繁栄を示します。
夏休みセーリング( 8 月 1 2 日~ 1 6 日)を通じ、『 H i n a n o 』はこの海洋民族の"国旗"と共にありました。
さて、何処の国の国旗なのでしょうか?
滔滔と流れ行く黒潮の帯の中に浮かぶ多島国、日本ときわめて近い関係にある民族です。
施政権の返還を一年後に控えた一九七一年五月、琉球新報と沖縄タイムスに意見広告が掲載されました。

【我々は日本国国民として生きることを望んではいない!】

【かつて平和に生きてきた琉球民族の国家を再建し、海洋の民として生きることを望む!】

そうなんです。
『琉球共和国建国構想』に基づいて作られた、琉球の国旗なのです。

一八七一年(明治四年)の十二月、琉球の船が台湾南部で座礁し、乗組員五十四人が惨殺される事件が起きます。
琉球王はこの事件の解決策を、紀元六百年代から関係のあった中国(清朝)に求めるのではなくて、「何とかしてくれ」と、明治政府に訴えてきます。
d0007653_22504580.jpg日本の台湾出兵、これに対する中国の抗議、欧米諸国の干渉・・・・とかなりもめますが、中国側が大幅に譲歩する調印式(一八七四年十月)が天津で開かれ、中国側が琉球の遺族に金十万両の賠償金を支払うことで解決します。
琉球にとっての悲劇は、この時の調印文章。
琉球人を中国が日本国民と認め、明記したために国際的にも日本の国土と認められるようになり、琉球王は明治政府から年俸三万円と爵位、東京に屋敷を与えられ、一八七九年(明治十二年)の沖縄県の誕生へと移って行く。

サトウキビ農園主とスティーブンス公使が結託し、表敬訪問中の巡洋艦ボストン号の海兵隊でイオラニ宮殿を占拠、リリオカラニ女王を人質にとったアメリカがハワイを乗っ取ったのが一八九八年。
琉球の独立運動はハワイの独立運動と連携し、静かに息づいています。
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by molamola-manbow | 2006-08-20 20:24 | ヨット | Trackback | Comments(8)
2006年 08月 17日

  ♪♪ ブイ・エイ・シー・エイ・テー・アイ・オー・エヌ

d0007653_21361998.jpgヨット『 H i n a n o 』の仲間内では、『組長』などという大層大仰なニックネームで呼ばれてはいるけれど、その実クルーの中では一番の新参者。
そんな m a n b o w にも、嬉しいことにアゴで使える後輩が出来るかも知れない雲行きがただよい始めました。
アラブの難民船さながらの、何とも怪しげな風体のクルーに囲まれながら、ラット(舵)を握らせて貰ってキャピキャピしている女性(⇨ ⇨)が、その待ちに待った後輩候補です。 おんとし二十六歳。
H i n a n o 』の平均年齢をグググーンと引き下げて呉れる若手の登場は、夏休みクルーズ最大の収穫でした。
物怖じしない積極性と好奇心、性格の明るさと酔いへの強さ、そして大飯食らい・・・・・・。
若い女性のクルー候補、実は春先にも一人現れたんです。
同じ富浦を母港にしているモータークルーザー『 V o i c e 』の紹介で・・・・・・。
でも面接にあたったのがスキッパーとわたくし m a n b o w
二人とも大和民族の民とは思えない風貌をしておりますし、スキッパーが「組長、組長」と私を呼ぶのに恐れをなして(多分)、一度も船に乗らないまま連絡が途絶えてしまいました。

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d0007653_9365096.jpgd0007653_236498.jpgそんなこともあるので、おんとし二十六歳のクルー候補がちゃんと居ついて呉れるかどうか。
まだ 1 0 0 % 確実かどうかは未知な部分も残りますけれど、ニコニコしながら「ネエネエ、クミチョー」と、呼び掛けてくる表情に、今度こそウソは無かろうと考えおる次第なのです。
花火は木更津のヨット『 K o k o l o 』に招待され、富浦から東京湾を北上して観た『港祭り』のメーンイベント。
アクアラインの開通で観光客が素通りするようになり、シャッター通りが増えたと聞いていましたが、軒を接して並んだ屋台が三千軒。
すさまじいエネルギーを感じました。
木更津って、"ポンポコポンのポン"の狸の証誠寺のお膝元だったんですね~。
そしてヤクザなハマコーの!!
夏休みには何時も西伊豆に足を伸ばすとか、伊豆の七島の式根島あたりまで出掛けていた『 H i n a n o 』 
でも、近場でのんびりクルーズするのもいいものでした。
富浦湾もお隣り館山湾も、勝手知ったる庭ですから、アンカーを打って船底を掃除し、泳ぎ、潜り、釣りが出来ます。
天候が悪くなれば母港に逃げ込んで風雨をやりすごすことも。
乗下船も容易なために入れ替わり立ち代り、沢山のメンバーでクルーズを楽しむことも出来ます。
珍しい船にも出会いました。
有人海底探査艇として 6 , 5 0 0 m まで潜った世界記録を持つ『しんかい 6 5 0 0 』の母船・『かいよう』を間近で観たこと。
下駄のような形がなんともユニーク。
乗員は芳紀二十六歳のお嬢さんの手を振る挨拶には笑顔で振り返してくれましたけれど、我々には・・・・・。
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by molamola-manbow | 2006-08-17 20:00 | ヨット | Trackback | Comments(19)
2006年 08月 10日

一字違えば大いに違う こちら大和撫子田中麻紀子さん

d0007653_11582362.jpg
大学を卒業して勤め始めた外資系医療器メーカーを二十四歳の時に辞めてしまう。
「本当に情熱を傾けて取り組めるモノを捜そう」
一年間限定の休養をとり、手始めにバハマまでイルカに会いに出掛ける。
『KAZI』誌9月号に掲載されている写真を眺めながら、「この顔、何処かで会ってるぞ」と感じた疑問は、バハマとイルカで解けた。
イルカと仲良く泳ぐための泳法を習いに、ちょくちょく顔を出していた『ドルフィンスイム・スクール』(作山孝司主宰)に、際立って上手い女性ダイバーが・・・・・・数人。
その中のひとりじゃないか~・・・・・と。
ヒトの顔と名前を覚えるのは大の苦手にしている。
新宿・東急ハンズのX型に交差するエスカレーター、昇ってくる武田鉄也と顔が合い、「誰だっけ、誰だっけ。知ってるヒトだけど思い出せな~い」と慌てたすえに、「とりあえず挨拶しとけ」とすれ違いざまにお辞儀をしてしまった経験まで。
怪訝な顔をされましたね~、このときは。
こんなこともあるから、断言は出来ないけれど、美人だけは例外的に覚えるから間違いはない筈。
彼女、田中麻紀子さんは、その自分探しのイルカの海で、行く道を見つけちゃうんですね~。
船に暮らしてイルカの居る場所に移動し、ダイビングをしながら世界中を回る。
わたしの理想はこれだ~!!と。
すぐにダイビングのインストラクターの資格をとる。
操船を学ぶためにニュージーランドに渡る。
そうしてアメリカとイギリスのヨットマスターの称号を取り、ヨットを知って五、六年間で世界の海を回ってしまいます。
現在の彼女の仕事、三十歳にして日本女性第一号の『ヨットプロマスター』。
香港返還の年(一九九七年)に日本にも来航したイギリスの王室ヨット『Royal Britannia』。
この種の豪華ヨットにクルーとして乗り込み、報酬を得る仕事です。
海国・イギリスの王室ヨットが、操船を他国のクルーに委ねることはないでしょうけど、これからの世の中、金持ちは突出して行きます。
語学に秀で、船に精通し、イルカと遊べ、、気配りの行き届く"大和撫子プロクルー"、需要は高まるに違いありません。
見初められ、腕を見込まれ、世界の大金持ちと結婚し、マキシボートのオーナーになってイルカ~も。
ねえ、イルカ好きの麻紀子ちゃん!!
笑顔満開が彼女のblog
「好きなことだけしていて、いいのだろうか・・・・・」と、かなり悩んだ様子が窺えます。
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by molamola-manbow | 2006-08-10 11:59 | ヨット | Trackback | Comments(6)
2006年 08月 09日

残暑お見舞い

写真集を頂きました。
サインまで頂いて呉れています。
友人知人に「オレは海が好きだ~!!」と周知徹底しておくと、たまにこの様な良いことも起こります。
本の題名は中村征夫写真展海中2万7000時間の旅
東京・恵比寿の東京都写真美術館で、いま、本の題名と同じ写真展(九月十八日まで)をやっているから、会場でしか手に入らない写真集らしい。
d0007653_1081433.jpg
生物の写真は本棚から何回引っ張り出して見ても、その都度楽しめて飽きない。
そんなステキな写真ですから紹介したくてうずうずしますが、写真家の写真を無断掲載できませんので、何の変哲のない海中写真でお茶を濁すことに・・・・・。
防水機能付き、カメラ付き、携帯電話での試し撮り。
これでも残暑お見舞いのつもりです。
                      (堂々と大家の写真と並べるなんざあ、いい度胸=蔭の声)
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by molamola-manbow | 2006-08-09 09:54 | 潜り・磯釣り・海 | Trackback | Comments(14)
2006年 08月 05日

  『ジャングルの子』から 想いはタスマニアンタイガーへ

繊細な感情を眼に宿した美しいドイツ人女性・ザビーネ・キュークラー(34)の『ジャングルの子』(早川書房)を読んだ。
世界で二番目に大きな島、ニューギニアのインドネシア領西パプア(イリアンジャヤ)で、1978年に発見された新しい部族『ファユ族』。
彼らの言語を研究するために密林に分け入った両親にくっついて、五歳のザビーネも二つ違いの姉と弟とともに奥地へと入って行く。
『ジャングルの子』は石器時代同様の生活を続ける『ファユ族』と過ごしたザビーネの、五歳からの十二年間をつづった半生記である。
d0007653_1516311.jpg「こいつは是非読まねば」と、私をすぐに本屋に走らせたblogがこちら
本の内容に関しては、失礼してそちらに丸投げを許して頂くとして、一気読みをしながらも「ひょっとすると次のページに・・・・・」と、行間に捜し求めた文言があった。
英語表記では『TasmanianTiger』(Thylacine)。
現地の言葉で『Annginfuthan』(森の犬)。

袋オオカミと訳している肉食の有袋類・タスマニアンタイガーは、タスマニアの動物園で飼育されていた最後の一頭(メス)が1936年に死に、公的には地球上から姿を消した動物であるとされている。
しかし、生存説は根強く残り、しばしば目撃談がニュースとなってきた。
千種に近いパプア・メラネシア系の部族がジャングルの奥深くに隠れて暮らし、ザビーネが十二年間をともにした『ファユ族』以外にも未発見の部族がいるだろ、と推測されているニューギニアで、特にタスマニアンタイガーの目撃例は多い(・・・・・とされている)。
そうしたタスマニアンタイガーの生存説を信じ、生け捕りに出掛けた冒険野郎
そんな知人が近くに二人もいたことが、ザビーネの『ジャングルの子』を、別の視点からも読み進ませた。
知人の一人はロッククライマーの藤原一考。
彼は2003年の春、セーリングクルーザー『Hinano』(久我耕一艇長)で、絶海の屹立尖塔・嫂婦岩(そうふいわ)に挑んだ際の登山隊の指揮官。
もうひとりは学校の後輩にあたる歌手の峠恵子

d0007653_948470.jpgこのふたり、2001年の春、全長9mのヨット『チャウ丸』で西パプアの都市ジャヤプラを目指し、ゴムボートでマンベラモ河を最上流部のドホまで溯上、悪戦苦闘の捕獲作戦を繰り広げる。
峠恵子の『ニューギニア水平垂直航海記』(小学館)にこの間の事情は詳しく、藤原の報告書(当初の計画から、どんどん離れて行くところが凄いのだ)を観ることも出来る。

『ファユ族』の土地で十二年間を暮らしながら、森の犬・アンジンフータンについての記述が一行も出てこない『ジャングルの子』を、どう解釈したらいいのだろうか
本当に生息しているのなら、ザビーネが触れないはずはない。
読後にそのように考えたのだけど・・・・・。
『生きていたタスマニアンタイガー
『生きていたアンジンフータン
そんなニュースが世界を駆け巡る夢、これだけはどうしても捨て難い!!

キーホルダーを裏っ返して見ると・・・・
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by molamola-manbow | 2006-08-05 00:27 | ヨット | Trackback | Comments(6)