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2010年 01月 31日

刺青の語源 Tattow

d0007653_19492345.jpg文字を持たなかった民族でしたから、教えられた言葉をアルファベットで綴ったことになります。

時は一七六九年、場所はタヒチ、そこでの刺青の習慣を、『tattow』と綴ってヨーロッパに伝えたのはジェームス・クック(英国)だといいます。
乗船・エンデバー号を、カヌーで囲んで出迎えた全員が全員、刺青を施していた訳ではないでしょう。
刺青は権力の象徴とか、冨の象徴でしたから、船囲んだ人々の刺青は限られた範囲に施されていたに違いありませんが、偉くなると顔面はもとより、前身を刺青で埋めていたようです。
きっと腰抜かさんばかりに仰天したでしょうね~。
tattow』は『tattoo』と綴りを替えて今日に。
現在のタヒチ語、刺青は『tatau』と綴られるのだそうです。

d0007653_940196.jpg国立博物館の土偶展(二月二十一日まで)にも顔面に刺青を施した人物埴輪
きっとポリネシアンは渡って来てますね~。

八十年代の頭、四十日ほどをアオテアロア(ニュージーランド)で過し、オークランドからバスで全島を回る機会を持った。
もう、顔面にまで刺青を施すマオリは見掛けなくなっていたが、両手、両足を刺青で埋めたマオリの長老に聞いたことがある。
「この刺青には先祖の歴史が書かれている。代々の先祖の名、大事な出来事をたどって行ける」。
見た目は幾何学模様の羅列のようだから、飾りにしか見えませんでしたが、文字を持たないポリネシアンの、立派な文字だったことになります。

触ってはならないモノを意味するtaboo、これもタヒチ語のtabu(tapuとも表記)が語源だったとは・・・・・。

              Jeanne Valet調べは面白い。
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by molamola-manbow | 2010-01-31 10:09 | 潜り・磯釣り・海 | Trackback | Comments(0)
2010年 01月 30日

代々木上原の喫茶店

新宿からの帰り、無性にコーヒーが飲みたくなって、「確か一軒、あそこにあったな~」と、代々木上原に途中下車です。
見つけるのに少し迷ったから随分久しぶりのお店。
お客さんは誰も居なくて、マスターはカウンターから陽だまりの窓際に移って新聞広げてた。

d0007653_14102228.jpg卒業の年、気付いたら就職試験は大半が終わってて、周りもみ~んな入社先が内定してた。
見かねた体育会系運動部の先輩の世話で、横浜のコーヒー屋に入って豆のイロハ、焙煎などもやってたから人並み以上の知識はある。
「人間の五感、捨てたモノじゃないぞ」と思ったのもこの時。
毎日十杯、二十杯を飲んで、常にブレンドの比率変えて味を試していると、豆それぞれの特徴が判って、ブレンドの割合をほぼ正確に指摘できるようになる。
舌は今じゃ錆付いちゃって、何と何が入っているか、豆の種類当てるのだって定かじゃないに違いないが、やはり美味しいコーヒーには眼が無い。

やってましたね~、ひとりで切盛りのマスター。
ここ、ペーパードりップのお店だけど、缶カラから何枚もドりップ用紙出して、灯りに向けて透かして見て、出来るだけ目の揃った紙を選んで淹れて呉れた。
用紙の目が綺麗に透けて均一なのと、そうでない不揃いなの、たったコレだけでも味に違いが出てくる。
そこまで繊細なものかどうか、喫茶店業界でかつて言われていたことが正しいかどうかは知らないけれど、「お主、デキルな」と、チョット嬉しくなります。

で、マスターのお眼鏡に叶わなかったドリップ用紙はどうするのだろう?とか、ネルの袋たくさん作って淹れた方が紙よりは美味しいし、経済的だろうに、な~んて考えは横にやって、「お代わり、もう一杯」。
お店の名前を覚えたことはない。
小田急線上りホーム側のガード際、T字路の角っ子でつつましく開いてる。
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by molamola-manbow | 2010-01-30 09:18 | カテゴリー外 | Trackback | Comments(0)
2010年 01月 29日

恐竜の色判明

d0007653_8484996.jpg全身を小鳥のような短い羽毛で覆った小型恐竜『シノサウロプテリクス(中華恐竜)』の程度のいい羽の化石が中国・遼寧省(りょうねいしょう)で多数みつかり、その分析から"恐竜の色"をほぼ確定したとイギリスの科学誌ネイチャーにあった。
白亜紀前半(約一億四千五百年~一億年前)に生存してた七面鳥程度の大きさの肉食恐竜。
鳥類の恐竜紀元説の元となった恐竜の一派です。
ネイチャーでは背中に行くにつれて色が濃くなる赤味を帯びたオレンジ色(赤褐色)をし、尻尾には同色の濃淡で縞模様、ないしはドット模様があったとある(→→)。

恐竜の色、コイツに関しては一体何色をしてたのか、全く解明できていないナゾのナゾだったんですよね~。

毒を持つ生き物の中には「オイラを喰らうと死んじゃうよ~」をアピールするために、派手な格好した種もいるけど、その他大勢、目立っちゃあ見つかり易くて捕まるし、獲物捕まえるにも不便だから周囲の環境に合わせて隠れやすく生きようとする。
目立つヤロウは短命に終わるから、メルビルの年経た白鯨『モービィ・ディック』なんて~のも有り得ない話・・・・・。
そう考えると、恐竜の色も自ずと限定されるのでしょうが、模型とか像を観て何時も思うのは「もっとハデハデに、ミズタマ模様とか縞模様の恐竜を作った方が夢は広がる」。
今回、ドット模様が判明したことで、そんな恐竜、ドット作られるかも。
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by molamola-manbow | 2010-01-29 10:26 | 犬・猫・蛙に動植物 | Trackback | Comments(0)
2010年 01月 28日

早春の花

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「久々の雨」予想は覆って、気持ちが悪いほど生暖かい朝。
ニンゲンさまと違って動植物は正直だ。
「あと二日かな~」と思ってたのに、眼が覚めると眼一杯開いちゃって、張り裂けんばかり。
この花で思い出すのは伊豆半島東端の白い灯台・爪木崎。
野芝埋め尽くした水仙と青い海に白波が騒いで、「天国とはこんなところかな~」と。
伊豆急開通(一九六一年)の前年に早春と夏、二度訪れる機会があって、半島に惚れた象徴のひとつだったのに、ド~ッと押し掛けた二本足、アッと言う間に汚しちゃった。
昭和の半ば過ぎまで、一日三本ほどのバス便と、伊東から船に揺られて訪れるしかなかった土地だったから、下田に入るには一日掛かり。
人情含めてパラダイスでした。

早春飾るこちらは、つぼみの勝るほころび始めが可憐の旬
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by molamola-manbow | 2010-01-28 10:04 | 犬・猫・蛙に動植物 | Trackback | Comments(0)
2010年 01月 27日

大圏航路上を二ヶ月

「今回の調査海域は北太平洋」と聞いたから、猛烈に荒れる海を想像してたけど、もう少し南、大圏航路上を日本から北米大陸の西岸まで、いい天候に恵まれて漂っていたらしい。
水産庁のマグロ資源調査船に乗って二ヶ月間を海上で過してきた女傑の帰京報告会、たった三人で聴くのはもったいないような内容を、昨夜は豪徳寺のお蕎麦屋さん『あめこや』に席を設けてたっぷり。
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大圏航路とは、目的地まで太平洋上に真っ直ぐ線を引き、その上を行くのではなくて、黒潮の流れに船を乗せ、北上してからは偏西風に後押しされながら北米へと渡る楕円の曲線のようなコース。
この経済コースは信長時代の一五六五年に見つかった。
しばらくするとスペイン・ガリオン船によるアカプルコ(メキシコ西岸)ールソン(フィリピン)間の定期船も走り始めた。
メキシコの銀を東南アジアの香料、生糸に変える交易。
Jeanne Valetさん調べていて、つい最近知った知識ですけど・・・・・。

咸臨丸で太平洋を渡った(一八六〇年)勝海舟に、「太平洋を渡った日本人はオイラが最初よ」な~んて豪語があるけれど、スペイン・ガレオン航路の確立で、十七世紀の前半にはアカプルコやペルーのリマに日本人街もあったようです。
ルソン、タイの日本人街から、数多くの日本人が己の意志で太平洋を渡っていたんですね~。

その大圏航路上で二ヶ月間、獲ったばかりのマグロにタグ付けたり、胃袋開いて「何喰ってるのかな~」調べたり、耳の中の石から年齢割り出したり・・・・・。
驚いたのは耳石からは何年何月何日生まれ、つまり月日まで判るようになったのだといいます。
d0007653_1227547.jpg「あのね、manbowさん、アカマンボウが大量に掛るのよ」
「オウオウ、何処かで大層旨いと聞いた。どうなんだい?」
「そうね~、あまり印象はね~」
獲ることが目的の船じゃあないから、元気な魚はマグロも外道も、元気ならドンドン放す。
お土産に頂いたカジキのツノ、正確には上あごの吻は厄介者、針に掛ると、延縄を滅多矢鱈にこんがらがらせて、ナガ~イ延縄はいっぺんにおしゃかになっちゃうのだとか、「ネエネエ、どうだったの?、男社会の中の紅一点でしょ、いいオトコいた?」な~んて。
一緒に話聴いてた女性からは別角度の質問が飛んだり。
四時間ほど長っ尻してしまいました。

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by molamola-manbow | 2010-01-27 11:50 | 潜り・磯釣り・海 | Trackback | Comments(2)
2010年 01月 26日

チャリンコ・クルーズのルーツ

先の同窓会、中学も同じクラスだった四人が隅っこに椅子寄せ合った。
ロクな会話している訳じゃないけど盛り上がって「そういやアン時のメンバー揃ったな~」と言い出した。
忘れてました~。
中学一年の夏休みです。
「言いだしっぺはオマエだ」ということになりましたが、「自転車で軽井沢に行こう」となって総勢六人、昼休みになるとイロイロ計画を練って、夏休みと同時に飛び出したのです。
d0007653_1433658.jpg出発前日に友達の家(成城)に集合して、庭にテント張って早朝の旅立ちに備えます。
コースは飯能に出て今の299号線に道をとる。
正丸峠~秩父~十国峠を経由し、小海線にぶつかったら北上して碓氷峠とは逆方向の小諸から軽井沢へ。
そんなコース計画でした。
manbowはいいよ、スポーツサイクル乗ってたろう。オイラ婦人用のチャリンコだったんだ」と、初めて聞くような話も出た。
確かにギア付きのロード車は二台、他の四台は普通の自転車、ウチ一台はママチャリだったと言うのです。

飯能から正丸峠へ。
その途中で日が暮れた第一夜のテントの中で、「どうする?、これからズ~ッと登りだぞ」。
舗装なんて名ばかりの山道を、荷物満載のママチャリはこたえます。

テントも重いズック製の時代だし、カンテラ、飯ごう、その他イロイロ、荷物は多かった。
で、衆議は「やめよう」で一致しちゃって、翌日は飯能までUターン、八高線で自転車茅ヶ崎に送っちゃって電車の中で全員眠りこけた。
茅ヶ崎の海岸ではテント張って、何処にも行かずに一週間ほど泳いで、寝て・・・・・。
遊び疲れたカンカン照りの国道1号線、チャリンコは行きと帰りの二日間だけ。

初志を貫くな~んて夢のまた夢、意志薄弱な性質はこの時に培われたんですね~。
アハハの青春時代
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by molamola-manbow | 2010-01-26 14:07 | 自転車 | Trackback | Comments(2)
2010年 01月 25日

半世紀を越えて

同窓会の通知を貰って、高校時代のクラスは四十人プラスアルファーだったことを知った。
その四十人のクラスが六つ。
手紙は「学年合同の同窓会をやるから参加しろ」と言っていた。
出席の有無を問う日が二日ほど過ぎた頃に電話が入った。
「オメ~の顔、見たいらしいぞ~」
「オンナか~?」
「そうだ。オトコがオメ~に会いたいなんて、考えるかよ~」
バカですね~、同じように年とってるのだから、それが学園のヒロインだったとしてもオバ~ちゃんだ。
でも、「行く~、ユクユク、出席にしといてくれ」
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で、昨日は有楽町・電気ビルの天辺、皇居外苑見渡せる『外国特派員記者協会』で六クラス合同の同窓会を開いた。
manbow は集まった百十数人の中のひとり。
友達見つけた第一声は「誰だ、こんな場所借りやがるのは?、居酒屋でじゅうぶんだろう!」
犯人のオンナの子教えられて、「なるほどね~」。

manbow さん、久しぶり~。逢いたかったワ~」な~んてオンナの子も居なかったけど、同窓会は病み付きになるほど面白かった。
半世紀以上も前の卒業以来、一度も顔を合わせていなくても、顔見ただけでポ~ンと名前が出てくるんだから不思議です。
d0007653_20271545.jpg最初は判らなくて適等に相槌打っていたヤツでも、表情緩めた笑い顔の目尻のシワから、ヒョイと名前が浮かんだりして、「変わりやがった~」。
ま、胸に名前ぶら下げた同窓会だから、そいつ見れば誰が誰だか全員判るんだけど・・・・・。
何故か皆さん、いいことは覚えてないから、その悪さ語り合って、「あん時きゃ、もうひとりいたろう」な~んてことには、すぐに横から「そいつは、〇〇だよ」。
ガキに戻りました~、料理なんぞ不味くても、一向に構わない。
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by molamola-manbow | 2010-01-25 08:49 | カテゴリー外 | Trackback | Comments(3)
2010年 01月 24日

チャリンコと徒歩

d0007653_1728652.jpgJRの三鷹駅から下連雀の山本有三記念館を訪ねた日、帰りは予定通りに井の頭公園経由で吉祥寺駅へと向かっていた。
井の頭公園の中で、「まてよ、井の頭線のもう一駅先までは公園の中みたいなものだ」。
その井の頭公園駅の近くまできて、またも「まてよ」。
「すぐ近くに、気になる骨董屋があったはずだ」と、駅通り越して更に歩くことに。
神田川に沿って走っている道だから、緩やかに曲がっていて先までは見通せない。
「あの角辺りだったな」と、行き着いた先に店はなくて、また道はウネウネと曲がっていて、「次の曲がり角だったか~」。
その連続、「おかしいな~」と首ひねりつつ曲がり角繰り返して、ようやくたどり着いたら店は定休日です。

三駅目の三鷹台まで先に進んだ方が駅は近いかな~とも思ったものの、また「まてよ」。
チャリンコ・クルーズの際に推し量った距離と徒歩の距離、かなりの誤差があったので、冒険おかさずにUターンです。
距離にすると総計でも六キロ程度だけど、ガックリ加味して後半は草臥れました~。
空いた電車に座って、どちらに向かう方がベターだったのか、もう一度考えたけど、よく判らない。

チャリンコでは気付かずに素通りしてた山本有三博物館を徒歩で見付け、あらぬ距離を歩かされた後半。
ま、相殺ですか。
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by molamola-manbow | 2010-01-24 10:31 | カテゴリー外 | Trackback | Comments(0)
2010年 01月 23日

武蔵野の街角で

d0007653_8555497.jpg「夏の参院選もコノ人で行くんかい?!」
と思っちゃいました。
もう、新聞にも、テレビにも、井戸端会議の話題にもならなくなっちゃったから、「エ~ッ、誰だったっけ~?」な~んて若者も出てきそうだけど、井の頭公園近くの街角ではシッカリ生きてました。
何処も破けたところはないし、白いところは真っ白だし、緑はミドリ、赤はアカ、張られたばかりの様にさえ見える。
この辺りがジバンなのでしょうか、横のイトウ何某議員、落っこっちゃいましたね~。
剥がす気力も失せたの?、責任力出しな、ビリッと!
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by molamola-manbow | 2010-01-23 09:25 | カテゴリー外 | Trackback | Comments(1)
2010年 01月 22日

路傍の石

用事を済ませて、JRの三鷹駅に向かいながら「線路の向こうに出れば玉川用水が流れているはずだ」と頭の中に地図描いた。
玉川用水はすぐに見つかった。
川筋伝って井の頭公園まで歩いていて、途中で吸い込まれたちゃったのは山本有三記念館。
このところご無沙汰してるけど、この辺りもチャリンコ・クルーズの守備範囲、地図を描けたのもそのためだが、記念館の存在には気付きませんでした。
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建物自体が文化財的面持ち。
大正末期の建造だと知って、驚き尚更の欧風洋館では、山本有三の前の持ち主、建造主の清田龍三郎を含めた建物そのものの歴史展などが催されていた。
昭和十一年(一九三六年)に山本有三が買い求め、進駐軍に接収されるまでのおよそ十年をここで過した。
『路傍の石』もここで書き上げたとある。
北側の小さな玄関を入ると、暖炉を持った南側に開けた大きな応接間、内部も趣味の良い建物です。

「オイオイ、ほんと~かよう~」もありましたね~。
門の前にデ~ンと据えられた十人掛かりでも持ち上がりそうもない大きな石(↓↓)。
説明文によると山本有三が「この大きな石を道端に見つけ、裏庭に運んだと伝えられている。作品の名に因み、いつしか"路傍の石"と呼ばれるようになった」と。

『路傍の石』は、踏につけられても、蹴飛ばされても、逞しく生きて行く主人公・吾一少年の姿を、道端の名も無い石ころになぞってつけた作品名じゃあないのかな~。
建物の寄贈を受けた三鷹市の創作でしょうね~。
真っ白に塗りたくった門壁も建物とはそぐわないから、元のたたずまいとは違うはずだ。
ま、単にオイラの印象だけど。
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by molamola-manbow | 2010-01-22 11:48 | カテゴリー外 | Trackback | Comments(2)