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2015年 08月 30日

  Mona Manazuru

            沖合に長く伸びるのは伊豆半島で、左側にチョコットが初島の影です。
          晴れていれば相模湾に蓋をする形で沖合に浮かぶ大島の姿も飛び込んできます。
            真鶴半島西岸の、そんな断崖の上にある『お林展望公園』でのひとコマ。
                でも、靴など履いてフラダンスは踊らないですよね。
                つまり、彼女らは出番を控えて練習中なので御座います。
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       『 M a n a  M a n a z u r u 』と題した昨日の" ハワイアンの夕べ"はコンナ感じ(⇩ ⇩)。
             観衆の視線の先ではお揃いのムームー姿でフラダンス中(右端)です。
                      脇にはバンドも出ていました。
              ゴロ~ンと横になっても気分の良さそうな芝生の観客席もグ~です。
              でもでも、最高の舞台は海を背にした練習会場の方なんだよな~。
            マイクや照明の延長コードが必要だとか、理由はあるんでしょうけどね~。
                  『 M a n a 』とはハワイ語曰くの超自然的な力。
             「自然から、もっとパワーを貰わんかい!」の宴で御座いました。
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                  一週間ほど北国に出ますので、少々お休みいたします










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by molamola-manbow | 2015-08-30 09:40 | 今度は地元真鶴
2015年 08月 29日

  簀立(すだて)漁

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海ほたる経由で東京湾を渡り木更津が近づくと、海に突き刺さった何本もの竹竿の列が目に飛び込んでくる。
長く並ぶ竹竿の列の終点は、周囲をマ~ルく囲んだ同じ竹竿の円となっている。
定置網漁の小型版、江戸の昔から続いている簀立(すだて)漁の網、障害物に沿って泳ぐ魚の習性を利用した漁のひとつで、潮が満ちている時間帯に魚を網へと誘導し、干潮になって逃げられなくなった所を捕らえます。
遠浅の広がりを持つ地域では、全国何処ででも行われていた漁が簀立であったらしい。
昨今はほとんどが観光漁になっておりますが・・・・・。

人間が追い込むこともなく、魚の方から勝手に網に入って来てくれるこの漁法、"日本古来”と言う訳じゃあないらしい。
ハワイ諸島には合計449か所(1973年調べ)もの簀立があった様です。
サンゴを積み上げて魚道を造り、その入り口を閉じることで干潮時に魚をとらえる。
写真(⇩ ⇩)はミクロネシア連邦の西端、巨大な石貨で名高いヤップ島の簀立漁光景。
竹製の簀立はニューギニア、ボルネオの海岸部でも使われていますから、我ら全て皆兄弟、黒潮文化圏の一員です。

                      『ハワイ・南太平洋の謎』(秋道智弥著・光文社文庫)から。
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by molamola-manbow | 2015-08-29 10:20 | 読書
2015年 08月 28日

  近代の実験クルーズ

                 目的地は 3 0 0 0キロ彼方の沖縄・海洋博、サタワル島(⇩ ⇩)から渡って来た。
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               大海原を往く航海カヌーを調べていて、ぶつかった事例(⇩ ⇩)、年代順に並べてみました。

▼ 借用 カヌー     1 9 4 6 年 5 月 1 3 日~ 2 9 日間   比国・ポリリョ~屋久島  西田定一軍曹ら兵九人
   ( 約 1 0 メートル )

▼ チェチェメニ      1 9 7 5 年 10 月 1 日~ 4 4 日間  サタワル~沖縄      サタワル島民六人
   ( 7 メートル・カタマラン )

▼ 双胴カヌー野性 Ⅱ 号  1 9 7 7 年 5 月 1 6 日~ 4 4 日間  比国・アパリ港~鹿児島   角川春夫隊長ら十一人
     ( 復元?双胴カヌー )

▼ 竹 筏 ・ヤ ム号    1 9 7 7 年 5 月 3 0 日~ 3 3 日間  比国・アパリ港~鹿児島   小原啓艇長ら七人
   ( 1 1 メートルの竹を束ねた筏 )

▼ 海人丸        2 0 0 0 年 6 月 5 日~ 5 6 日間   沖縄~愛知万博会場     荒木汰久治艇長ら十四人
    ( 合成サバニ )

           ◇          ◇          ◇          ◇
 
               「朝鮮半島経由で列島に住み着いただけじゃあないはずだ」
            そんな胸の奥底から突き上げる心の叫び が皆さんの動機であったに違いない。
                  日本列島の沿岸を洗う巨大、強烈な黒潮の流れ。
       台風、真冬の季節風を避ける時期を選べば、「赤道直下からでも運んでくれるんだな~」と改めて。
      西田定一軍曹が現地借用したカヌーは、両サイドにアウトリガーを付けたトリマラン型であったらしい。
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by molamola-manbow | 2015-08-28 10:25 | ヨット
2015年 08月 26日

  もう一度双胴船・KaimiLoa

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昭和 1 0 年代のアタマ、 1 9 3 7 年に 1 4 か月を掛けてハワイから喜望峰経由でフランスに渡った双胴船の仔細を知りたくて、パソコンの中を探し回りましたが・・・・・。
残っている写真は全容(⇧ ⇧)、建造中(⇩ ⇩)ぐらいでしかありませんでした。
クルーは二人、スキッパーのエリック・ド・ビショップ・スキッパー(後方)とタティ、それに子犬が一匹、全長 3 9 フィートの艇だったと言うぐらい。
中国・ジャンクに類似の竹骨の帆、かなり大量の竹竿を積み込んでハワイを出帆して行きました。
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                     二艇を横並びにしてくっつけた結合部分がこちら(⇩ ⇩)です。
                      横木三本を使って結合させている様に見えますが・・・・・。
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K a i m i L o a のクルー二人は中国で建造したジャンクでハワイに着いた。
というよりも、飢え死に寸前で岩礁に乗り上げる遭難事故からの奇跡的な生還でした。
見知らぬ船で遭難したフランス人、これが大々的なニュースとなります。
おまけに完治すると同時に双胴船の建築を始めて、再び海に戻ろうとしている。
これが関心を呼んで完成に近づくにつれて建造現場に人だかりし始める。
新聞が連日の様に取り上げ始めるの大騒ぎが始まります。
そんな訳で、数々の写真やニュースが残っているものと思ったのですが・・・・・。
凱旋したフランスでも大々的に報じられたのですが・・・・・。

昭和 2 8 年に法政大学出版局から出版された K a i m i L o a の航海記、注釈をもっと増やした再版が出たら、メチャ売れるのじゃあないかな~。
コンナ時代の航海記(⇩ ⇩)、島の名前が当時の呼称と違うのか、地図を探してもそんな島が無かったり、航路を辿るだけでも大変ですが、とっても面白いんです。

                         赤線は日本の委託統治領(除くサイパン)
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by molamola-manbow | 2015-08-26 09:49 | ヨット
2015年 08月 22日

  双胴船・KaimiLoa

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「こんなの買ったよ~」と、数行だけ紹介したことがある。
その古本屋さんで見付けて即買いした『カイミロア』(エリック・ド・ビショップ著=法政大学出版)を、ヤフオフ徘徊中にもう一冊見つけて、こちらも即買いしちゃいました。
昭和 2 8 年発刊の書、製本も紙の質もとっても悪い。
ベッド脇から滑り落としただけで背表紙との接合部分が割れて、ページ毎にバラバラになりかねない状態になっちゃいました。
「コイツ、面白いから読め」とか、「蔵書に加えたら」などと、キャビンの一角を船関係の本で埋めているヨットマンに差し上げる訳には、これじゃあいけません。
最初の一冊をひどい状況にしちゃった理由は、他にもあります。

d0007653_9444893.jpg総航海日数を 2 5 0 日と計算したイラスト図(➡)、 1 9 3 7 (昭和 1 2 年)年 3 月 7 日にホノルルを出て、母国フランスの地中海の港町・カンヌに帰着したのが 1 9 3 8 年(同 1 3 年) 5 月 2 0 日ですので、 1 4 か月も波に揺られていたことになるのです。
「何処から割り出した 2 5 0 日なんだろう?!」などと。
最初の寄港地・フトゥナが何処だかも判らないままですし・・・・・。
そんなこんな、時代背景とかを調べ回っていて壊れても行きました。

ハーケンクロイツがドイツ国旗となり、ユダヤ人の公民権をはく奪するのが 1 9 3 5 年(昭和1 1 年)です。
1 9 3 7 年(昭和 1 3 年)には日本軍と中国軍が衝突する盧溝橋事件が起こります。
欧州でもアジアでも第二次世界大戦への軍靴の音が高まり始めたそんな時代に、古代ポリネシアンの遠洋カヌーに類似した双胴船で地球を半周してみせたのが著者です。

ノルウェーの人類学者ヘイエルダールの「ポリネシア人は南米から西に向かった」説(コン・ティキ号の冒険で有名)を覆す為に、竹で作った筏「タヒチヌイ」でタヒチからチリへの実験航海中に著者は遭難死( 1 9 5 6 年だったかな)します。
若き日のフランシス・コーワンの師匠であり、『 K a i m i L o a 』はその後の双胴カヌー『 T a h i t i N u i』、『 H o k u l e a 's 』に繋がって行く。

双胴船のハワイ語『 K a i m i L o a 』を分解すると K A は冠詞で I M I は探すを意味する動詞で、 L O A は遠くを意味する。
古代のポリネシアンが海洋に船を出した志と同じくする、「水平線の向こうには何があるんだろう?、探しちゃえ」号、つまり『探検家』。

                       ホノルル・ビショップ博物館所蔵の双胴カヌー
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by molamola-manbow | 2015-08-22 10:54 | ヨット
2015年 08月 19日

  食前食後

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下駄を突っ掛けて縁側から外へ。
持ち出す道具は七輪マッチ
中には丸めた古新聞とが鎮座していて、マッチの火を待っていた。
真ん丸だったり、真四角だったり、家庭によって形は違った焼き網に、バタバタとあおぐ団扇も必需品でした。
乗っける魚は秋刀魚、尻尾と頭がはみ出すほどにデカかった。
そしてモウモウと立ち昇る煙


一瞥をくらえただけでソッポ。
そんな猫の姿を思い描きつつ平らげた。
店主に「お上手ですね~」などと褒められたりして。
網で大量に掬い獲るためか、昨今の秋刀魚は内臓に細かいウロコを吸い込んじゃって食えたものじゃあなくなってる。
そのジャリッと感がなくて、久し振りに苦みが売りの内臓まで。
真鶴駅前の小さな居酒屋さん『富士』で喰らった"家庭の味"です。

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by molamola-manbow | 2015-08-19 08:05 | 酒・宴会・料理
2015年 08月 18日

  ゴルフボールのディンプル

d0007653_948574.jpgゴルフボールの表面を覆う浅くて小さな窪み、『ディンプル』と言うんだそうだ。
「フ~ン」とうなずくオイラに気を良くして、うんちくを語ること語る事。
久し振りに逢った友人曰く「この窪みの数に、イロイロと違いが出て来るようになったのは、ほんの十年ほど前から。長い間3 3 6 ヘコミと決まっていたんだ」などと。
もう一度、「ふ~ん」

遊び道具一式を日長一日他人に担がせて、ボールを打つ度に一本だけ抜き出させてバシ~ン。
そんな遊びなどしたくないから、ゴルフには手を出さない。
餌がなくなったら、竿を渡して餌を付け直して貰う。
そんなの、釣りじゃないものね。

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などと思いつつ、友人のゴルフ談議に耳を傾けた。
面白かったのは「新しいボールより、傷だらけの古いボールの方が飛距離が伸びたコト、コイツがディンプルの始まりなんだ」とする歴史。
初速スピードとか、空気抵抗とか、揚力などなど、物理の問題は友人もサッパリ。
しかし、表面ツルツルよりもデコボコしていた方が回転力が高まり、飛距離にほぼ倍の差が出るんだなんてね~。

新しいボールが買えない貧乏貴族の、真っ黒に汚れた古いボールの飛距離の伸びに驚いて、仲間が調べ始めたのがディンプルの切っ掛けだね。
現在ではディンプルは形、深さ、数も様々、プロは己に合致したディンプル数(形も)のボールを使っているらしい。

つまり、ゴルフには認定玉が無いって事です。
ラウンド前にボールを調べて、「お前さんのヤツはディンプル数が 3 3 6 個より多い」などと、いちいち数えちゃあいられないし、ゴルフの建前は不正のない『紳士のスポーツ』が売りですものね。

新幹線とか、飛行機の機体にディンプルが穿たれる時代、来るのかな~?
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by molamola-manbow | 2015-08-18 12:33 | カテゴリー外
2015年 08月 17日

  久方の雨・・・・・

目覚めると雨、何とも清々しい気持ちでベッドを抜け出した。
からだ中にサラサラ感があって、30度を切るとどの位涼しいものなのかを実感し、「愛いヤツじゃ」などと、嫌いな雨を讃える朝となりました。
その雨を避けるために逃げ込んできたのでしょう。
マンションの解放廊下の壁に張り付いていた今朝のお客さんです(⇩ ⇩)。
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目覚めると同時、歯を磨くより先にカメラ片手にドアを開けるようになったのは、コイツが切っ掛けでした。
三日と置かずにまたペアで現れて「オマエさんは先日も来ろう。今度は相棒が違うじゃね~か」。
そんな訳で、「今度はどんな珍客と会えるだろう」が楽しみになりまして、早朝の解放廊下探訪が日課になっております。
普段は10匹程度が常にうごめくコガネムシとか、引っ繰り返って断末魔のアブラゼミ達・・・・・。
日々毎日、珍客に出くわす訳では御座いませんが、もう少し、朝の日課は続くことになるでしょう。
背後はコンナ景色(⇩ ⇩)、旧の真鶴道路が一本走っているだけですので、珍客到来にはまだまだ期待が持てる。
一番は、元気なコイツの来訪でしょうか。
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by molamola-manbow | 2015-08-17 10:07 | 犬・猫・蛙に動植物
2015年 08月 14日

  木六竹八塀十郎

畳み一畳分ほどの金属桶の中には、こね捲くった泥がた~くさん。
そいつを左手の板切れの上に掬い取っては、壁際に進んで鏝(こて)で塗りたくって行く。
鋭意泥壁製造中の左官屋さんに出合うなんて、昨今ではマンにひとつの出来事ですよ。
カメラ持参じゃあなかったこと、悔やみましたね~。
外壁を泥で塗り固めた家。
これだって滅多に出合いません。

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立ち止まってしばし観察して、オイラの知ってる土壁造りと材料が異なることにも気づいた。
廃屋(⇧ ⇧)じゃあなくて、建造中のお家のコトです。
井桁に組んだ土壁の下地と申しますか、土台と申しますか・・・・・。
その材料は細竹だったり、割竹だったりしたものでしたが、細い割木で井桁は組まれておりました。
「荒縄じゃあなくって、棕櫚縄で結んであったな~」とも。
金属桶の泥をこねる器具も鍬じゃあなくで、台所で見掛ける三枚羽の攪拌機の大型版に変わってました。
土の中に加えるざく切りの藁葛(わらくず)も入っていません。

『きろくたけはちへいじゅうろう』、表題の読み方です。
材木屋さん、あるいは大工さん辺りの業界用語だと思いますが、完全死語ですね。
数字は月を表し、木を伐り出すのは六月がいい、竹は育ちきった八月がいい、土壁作りは空気が乾燥した十月がいい。
そんな意味であるらしい。
変なことばを思い出したのも、マンに一つの土壁作りと出合ったから。
湿気、匂いを吸収するし、冬暖かくて夏涼しいなど、利点は多いのに消えつつあります。

世田谷・赤堤のコノお家(⇩ ⇩)も石灰で上塗りした土壁のお家だったような・・・・・?

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by molamola-manbow | 2015-08-14 09:59 | カテゴリー外
2015年 08月 13日

  蒲  鉾  

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カマボコの「本来の姿はチクワ型だったんだ~」ですね。
サカナのすり身を細竹に巻き付けて火であぶる。
焼き上がったら竹からスポンと抜いて、一丁出来上がり。
杉板などにこねあげて作る板カマボコよりは簡単にできるな~と思っちゃいます。
木材の資源保護、列島中で大暴れしてる竹の駆逐のためにも、チクワ型に戻すのはいいかもしれない。
などと考えちゃう一枚になりました。

小田急線が早川を渡って小田原に近づいてくると、豊かな水を連想させる駅名が続きます。
車窓に飛び込んでくる小川の綺麗なことと言ったらの『富水』、『蛍田』。
かなり住宅が立て込んできていますが、昭和の30年代までは一面の水田が広がっていました。
そんな神奈川県の〝水郷″の一角で見かけた蒲の穂、鉾にも見えます。


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by molamola-manbow | 2015-08-13 10:15 | 犬・猫・蛙に動植物