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2014年 01月 07日

   神々の集う島で 完

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神津島を離れるの日(四日)、荒れ狂っていた海は何事もなかったかのように凪いだ。
こちら側は弓状の白砂の広がりに、夏にはパラソルの花が咲いた多湖湾の今。
かつての白砂は天上山(標高600m 弱)から流れ下る瓦礫によって、埋め尽くされようとしてました。

その時の流れを、「たかだか四半世紀しか時間は経っていないのに」と思っちゃったのが今回の神津島釣行でした。
日本の歴史を過去に向かって一気に二万年ほども遡らせたのは、群馬のアマチュア考古学者・相沢忠洋さん。
存在しなかったはずの日本の石器時代を、昭和21年(1946年)に群馬・岩宿で見つけた相沢さんのヤジリが解き明かして行ったのですよね~。
その石器時代に伊豆半島の先端からでも170km も遠く離れた神津島へと人は渡った。
結構あちこちから採れてた「黒曜石じゃあダメ」って~んで、わざわざ‶日本一″の神津島産を求めて、黒潮の流れを横切った海の民が居たんです。
ヤジリ材、ナイフ材として、石器の時代の黒曜石ほど威力を発揮した有用不可欠な石はなかった。
往復の手段は丸木舟です。
どれほど高価な宝石だったのでしょう?
石器時代のダイヤモンド、そいつは神津島でも恩馳産の黒曜石、との評価だったようです。

島に滞在中も頭から離れなかったのはこの人の冒険行
そしてまた、サーフボードで八丈島~神奈川・葉山を渡ったこの人でした。。
氷河期にあった日本列島、海が仮に100m 後退してたとすると、緑までが陸地になって、利島以南、神津島までの四島はくっついていたことになる。
だとしても渦巻き吠える黒潮は、今だって手強い世界一の急流です。

同じ神津島産でも、島の西側に浮かぶ恩馳岩礁産をベストとした黒曜石。
大物狙いの釣り師憧れの岩礁帯の過去と現在、次は心して竿を出さねばいけません。
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by molamola-manbow | 2014-01-07 11:38 | 潜り・磯釣り・海 | Trackback | Comments(0)
2011年 07月 01日

  祖先が辿った 黒潮の道

d0007653_9584755.jpg    蟹のハサミ、クラブクロウに風を受け

         黒潮輝く海を行く

  両サイドに竹束のアウトリガーの浮き付けて

        仲良く並んだ三角は

 『縄文号』(6.8m)と、『バクール号』(11m

        黒瀬川の異名持つ

   強い流れのその先の石垣島へと揺られ行く

                                       4,000kmもの彼方から

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ヨット用語で云うトリマランの本体、中央部の丸木舟用の大木を切り出す斧、そして繰り抜くためのノミ(鑿)は、砂跌集めから始めて古来のタタラ製法で粗鉄を作るところから。
(石器の時代だから、これでも不満なのですが・・・・・)
クラブクロウも布ではなくて植物の葉っぱを編んで出来てる。
張り出した横木にアウトリガーを繋ぐ際も、植物の蔓を用いた。
ただの一本もクギやビョウを使わずに、防水塗料も石灰とアブラをこね、昔も用いたであろう塗料で仕上げた。

氷河期には大陸であったと云われているスンダランド(現在のボルネオ、ニューギニア一帯)から大海に乗り出して、東はハワイ、イースター、西はマダガスカルまで拡散した海洋民族ポリネシアン。
彼らが用いたであろう小舟を現代用具を一切使わずに作り上げて、「ニッポンにも絶対に来てるよな~」を実践したのが『縄文号』と『バクール号』のコンセプトです。
ゴールの沖縄・石垣島到着(今月十三日)とインドネシア・スラウェシ島出発(一昨年四月)、朝日新聞だけが伝えてくれました。

d0007653_8311058.jpgコレ、関野吉晴さん(62)一個人の冒険行です。
ポリネシアンの太平洋拡散は「南米大陸から」と推理して、ペルーから実験漂流に乗り出したノルウェイの学者・ヘイエルダールの葦舟『コンティキ号』とか『ラー号』の冒険。
学校図書館の常備本、今だってありますよね、あのヘイエルダールさんと同じです。
関野さんの凄いのは、この"黒潮の道"の実践の前段階でも、物凄い冒険をしてること。
フジTVでシリーズ放映された『グレートジャーニー』です。
通り一遍的な作りではあったけど、「それでも凄かった、物凄かった」

およそ七百万年を掛けて▼猿⇒▼類人猿⇒▼人へと進化したホモサビエンスが、生まれ故郷のアフリカを出て南アメリカの最南端・ナバリノ島まで拡散して行った、そのスタートは十ニ万年前
関野さんはコノ人類の旅をナバリナ島からタンザニアのゴールまで、徒歩と自転車で逆にたどった。
スタート一九九三年~ゴール二〇〇二年、足掛け十年の旅です。

外科医、大学教授、冒険家・・・・・。
資金を作っては途中中断の旅先に戻り、また先へと歩む。
今回の黒潮の道も、フィリピン~台湾~そして沖縄と、そうやって続けた。
アフリカを出た人類も、スンダランドを出たポリネシアンも、定住してはまた先へと進む。
きっと関野さんと同じ行動を繰り返したはずですね。

「コレハ何だったのだろう?」の冒険はコチラ、世界で一番凄いヒト・関野吉晴さんのblogはコチラ
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by molamola-manbow | 2011-07-01 07:43 | ヨット | Trackback | Comments(0)
2010年 10月 21日

  考古学者・篠遠喜彦が輝いて見えちゃった

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副題(石器時代の遠洋航海者たち)に惹かれて購入した『ポリネシア人』(片山一道著、京都・胴朋社刊)、投げ出したくなるのを我慢して読んだ。
南洋考古学の第一人者・篠遠喜彦博士(ハワイ・ビショップ博物館)がファヒネ島(ソサエティー諸島)の湿地から掘り出した古代カヌーの舷側板は、『HOKULEA's』の復元を可能にした重要な発見だった。
ポリネシアンはどの様な船で太平洋を制覇して行ったのか、そいつを見つけたんです。
このことをたった二行で片付けています。
曰く、「僥倖というものはあるものである。まさに僥倖としかいえない状況で、待望の一隻の大型カヌーが発掘されたのである」
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ホテル建設だか、テニスコート造成だかの現場の近くから出たのは事実である。
現場責任者から「クジラの骨が出たよ」と連絡があったのも事実だ。
でも、カヌー発掘には試掘穴をあちこちに穿ち、一年間余りをかけたんですよ。
フィールドワークには現地語習得が必須条件だと悟り、ポリネシア語の勉強から始めて、「地面ばかり掘り返している変なオジサン」となり、ポリネシア全域で『タオテ・シノト』(篠遠博士)と呼ばれるようになる。
こうした信頼関係なくして現場責任者から連絡など入らない。
『僥倖』の二字なんかで片付けられる発見じゃないんだ。

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ポリネシアンの身体的特徴表すための表( ⇦ ⇦ )も載ってた。
どの島の平均身長も m a n b o w より低くって、測定したのは明治かい?、江戸時代かい?と考えちゃう数字の羅列なんだけど、何処探しても測定年が書かれていない間抜けな表。
類い稀なポリネシアンの身体能力、コイツを理解しているのは人類学者なんかじゃなくてラガーマンだろうな~と思っちゃいますね。
真っ黒な衣装に身を包み、世界一の名をほしいままにしてきたニュージーランドの白人チーム・オールブラックスだって、要所にマオリのプレーヤーを配さなれば真底強いナショナルチームは作れない。
フィジー、トンガ、西サモア・・・・・、競技歴が浅くって、プレーヤー人口も薄い薄い国々なのに、いまや世界の強豪国です。
次のワールドカップが太平洋のど真ん中に渡ったとしても、少しも驚かない実力を蓄えてしまった。
脚が長くって、上半身はガッチリと逞しくって、『大男、知恵はからだに回りかね』と違って、俊敏この上ない動きもできるのがポリネシアンなんです。
文中には「そこら中に大男、大女がうようよ」とあるのに、益々表とは合わない。
高温気候が災いして骨の化石が残りづらい。
稲作に不向きな島のつながりだから、器としての土器の伝承がすたれ、葉っぱなどをお皿代わりに使うようになって行く。

全地球の三分の一占める太平洋の隅々まで、ポリネシアンがどのような方法で進出していったのか。
その解明を困難にしてるのは、遺跡、出土品が極めて乏しいためなのだけど、そいつに光明見つけたのも篠遠博士だった。
クジラの骨や貝殻で作られた釣り針の形状から、拡散の道筋と年代までを解明して行った。
千三百年代までに最後に残されたイースター、ハワイ、ニュージーランドまで、双胴カヌーで制覇した年代を解き明かしたんです。
筆者の片山一道さん、これにもイチャモンつけてて、二つの図( ⇩ ⇩ )を載せている。
左が篠遠博士らが解明した拡散図、マルケサスが放射状に散る分疑点、中継点になったとしている。
右はイチャモン図なんだけど、拡散図を単に曖昧にしたようにしか見えません。
しかも"最新の仮説"は、コノ不確かな図一枚、当然掲載すべき反論文が無いんだ。

文字を持たなかった民族が子孫に伝え残す手段、そいつは口承であり、神話、伝説の類いしかない。
だから、奇妙な神話でも、そいつの裏側を読むことが必要なんじゃないのかなあ。
と、思うんだけど、「彼らの神は口承伝説の中でかろうじて生きているに過ぎない」で片付けちゃってる。
『南太平洋のバイキング』とか、『石器時代のスーパーマン』とか、『ミステリー・アイランド』とか、形容詞ばかりをタ~クサン散りばめた本。

邪馬台国は何処にあったのか
d0007653_1437851.jpgd0007653_10421795.jpg九州説と畿内説で喧々諤々の東大と京大は有名だけど、日本の考古学界は妬み、嫉みの巣窟なのかも知れません。
「日本に旧石器時代は無い」とされていた学会に爆弾落とした、アマチュア考古学者の群馬・岩宿遺跡の発見は戦後間もなくのことだった。
連絡受けた明大によって、数年後には立派な報告書が出るのだけど、発見者・相沢忠洋さんの名前は捨て置かれた。
相沢忠洋さんの名前が世間に知られるようになるのは吉川栄治賞受賞(昭和四十二年)以降。
二十年ほども学会から無視されつづけるんだ。
十年ほど前に起きた東北旧石器研究所副理事長・藤村新一の石器捏造事件だって、嫉み、妬みの裏返し。
脚光浴びたいがために、自分で埋めた石器を、自分で発掘してたんですよね~。
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by molamola-manbow | 2010-10-21 08:00 | 読書 | Trackback | Comments(0)
2010年 09月 22日

  クルー逃亡、航海頓挫!

d0007653_16294467.jpgチョット心配、かなり心配」だと思っていたインドネシアの復元古代カヌー『マジャパヒト・スピリッツ』号、とんでもないことになっていた。
日本目指す帆走クルーズの出発式(ジャカルタ=七月四日)のあと、ブルネイ経由でマニラ(八月四日)に入港するまではとりあえず順調だった。
性能未知の復元古代帆船操って、一ヶ月でおよそ三千キロ走破です。
ところが、マニラからピクリとも動かなくなった。
モタモタしてたら、台風シーズンに入っちゃいます。
「チョット心配、かなり心配」だと停船の理由を調べてみると・・・・・。
いまでも疑問が多くてよく判らないのだけど、結論言うと「日本までのクルーズは来春に延期」です。
「どうして?」の訳は「インドネシア・クルーが全員逃げちゃったから」。
スキッパー(海軍大尉)含めて消えたのです。

「翌日は沖縄への旅立ち」(八月十三日予定)と決まったその前日、船はモヌケのカラになっていたんだといいます。
日本人クルーのひとり、海洋冒険家見習いさんblogを読んでも、モヌケのカラになった理由は判らない。
在フィリピンのインドネシア大使館がクルー全員(海洋民族バショー族)を本国に帰国させちゃった理由も判らない。

バスコダガマ、コロンブスが活躍した大航海時代のクルーは無頼集団、逃亡は日常茶飯事でした。
今回の『マジャパヒト・スピリット』は、曲りなりにも日本とインドネシアの二国プロジェクト・・・・・。
日本側の窓口が口閉ざしたままなのもおかしい。
地球温暖化が航海中止の理由とはね~。

どのような展開たどるのでしょう?
十三世紀から三百年近くも栄え、倭寇の来襲を撃退したともいわれる王国の古代船を復元し、東南アジア諸国を回る意義・・・・・。
根本理由が理解されていないクルーズに前途はない、と思える逃亡劇です。
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by molamola-manbow | 2010-09-22 06:27 | ヨット | Trackback | Comments(0)
2010年 09月 01日

海を行き来した古代人を想う

地球学の本を開くと、日本列島の形成は三千万年前なんだそうだ。
人類の方はず~つと、とてつもなく下っておよそ七百万年前にアフリカに誕生した。
これでも今世紀に入って二百万年ほど延びたんだ。
二十世紀までは「お猿さんの仲間から枝分かれしたのは五百万年前」とありましたから。
アフリカで生まれた人類の祖先が故郷を飛び出して、偉大なる旅"グレートジャニー"を始める歴史はこの中のたった十八万年ほどでしかない。
日本列島に住み着くようになるのは、多く見積もっても五万年ほどの歴史だろうか・・・・・。

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最近の研究によると、海面が一番下がった氷河期最盛期にも、日本列島は大陸の何処ともつながっていなかったらしい。
人類のグレートジャニーが始まって以降の時代を言ってるのですが・・・・・。
という事は、日本列島に渡った古代人、海に浮かぶ乗り物を使ってやってきた訳です。
凄いですよね~。
列島の沿岸洗う黒潮の流れ、技術の進んだ近代の船にも手強い相手なんだ。
そんな海に漕ぎ出して、少々時代が下った旧石器時代には神津島産の良質黒曜石が、信越、東北、東海地方の各地に運ばれて、ヤジリやナイフ、手斧(ちょうな)などに加工されていた。
今から一万年ほども前のことです。
神津島まで漕ぎ渡って、黒曜石を積み込んで、また黒潮の海を漕ぎ渡っていたことになります。

今年の夏、手漕ぎの一人乗りアウトリガーカヌーで八丈島から神奈川・葉山の海岸まで、およそ二百キロを二十三時間強をかけて渡ったヒトがいる。
第一段階は昨年八月、サーフボードの上に立ってパドルを漕ぐ、『スタンディング・パドル・ボード』で大島~葉山間六十五キロを漕ぎ渡った。

長崎県生まれの海洋冒険家・デユーク金子さん(四十七)。
最終目標は「葉山から小笠原へ、六人乗りの大型アウトリガーカヌーで渡ること」だと言います。
およそ一千一百キロの冒険計画は、来年の八月に予定されている。

八丈島の民族資料館に掲げられた黒曜石の伝達ルート眺めながら、古代に心が飛びました。
大勢のデユーク金子さんが居たんです。
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by molamola-manbow | 2010-09-01 07:17 | 潜り・磯釣り・海 | Trackback | Comments(0)
2010年 08月 06日

チョット心配 かなり心配

インドネシアのジャカルタを出港後(先月四日)、音信不通の情況にあった復元・古代船・『スピリット・マジャパヒト』号から、たった二行だけど報告があったようです。
d0007653_6595685.jpg現在マジャパヒト大航海の船はインドネシアを出発後ブルネイを経由してマニラへ来ております
とりあえずは「よかった、よかった」だけど、この報告は気になります。
沖縄・日高島経由の目的地は日本。
この調子でクルーズされると、台風シーズン真っ只中に突入しちゃう。
進水式(六月二十四日)から十日チョボチョボでクルーズに出発(七月四日)しちゃったコトも大いに気掛かりだったし・・・・・。
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十三、四世紀に南シナ海、インド洋沿岸で活躍した古代船、その復元にはポルブドール遺跡(八、九世紀に勃興)のレリーフが唯一無二的参考資料だったと言われています。

そんな図面無しの古代船を復元して、ほとんど試験航海なし。
海に浮かんで十一日目にはクルーズに出ちゃった。
木造船の木材同士が膨張仕合って、浸水が無くなる様になるには、どのくらいの期間が必要なのでしょう?
たった二行の、余りにも素っ気無い報告は、前途への危惧を持っちゃう報告でもある。
取り越し苦労なら、いいのだけど・・・・・。
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by molamola-manbow | 2010-08-06 08:08 | ヨット | Trackback | Comments(0)
2010年 07月 15日

近くまで北上しいる筈・・・・・?

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「もう、海に浮かんでもいい筈だけど」と述べたら、その翌日(六月二十四日)に進水式(↑↑)が行われ、今月四日にはジャカルタで出発式(→→)でした。
いま、沖縄を目指して南シナ海を北上中ですから、間もなく最初の寄港地・日高島(沖縄)到着のニュースが入ってきそうです。
十三世紀にインドネシア・ジャワ島付近で興り、徳川幕府ほどの長きに渡って隆盛をきわめたマジャパヒト王国の、ダブルアウトリガーを持つ復元カヌーです。
長さ二十メートル、幅四メートルのコイツで、ヨーロッパの船が足を踏み入れて来るまでインド洋沿岸をマダガスカル島辺りまで交易圏に治めていたといわれている。
大きく取り上げているのはコチラ
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by molamola-manbow | 2010-07-15 09:19 | ヨット | Trackback | Comments(0)
2010年 06月 23日

こちらインドネシアの復元・古代船

d0007653_8331275.jpg上海万博のジャパンウイークに合わせて、日本から東支那海を渡った復元・遣唐使船に、「何だよ~、鉄船かよ~」
おまけに「中国製」と知って、昨日は少しガックリしたけれど、インドネシアでは純木造の大型帆船が完成間近にある。
遣唐使の時代(七~八世紀)から時は下って、鎌倉時代後期~室町時代に入った十三~十四世紀に、ジャワ島で栄えて東は琉球、西はマダガスカル島までの西太平洋岸とインド洋を貿易圏に納めたジャワ・マジャパヒト王国の船、元寇の略奪を許さなかった王国だと言われている。
鉄釘は一本も使っていない。
根気よく木材を火であぶり、曲線を作りながらの組み立て・・・・・。
d0007653_8463777.jpgもう、海に浮かんでいてもいいハズなのに、工期は遅れに遅れを重ねているものの、伝統の造船技法を使った組み立ては、「負けたな~」の思い。
アウトリガーを両舷に張り出したダブルアウトリガーの船。
そのアウトリガーに竹の束を使っているのがミソで、復元・遣唐使船にも竹の束が結わえつけられておりました。
二枚の帆の形状も、遣唐使船(←←)と瓜二つのようだ。

上海万博の後、沖縄を経て日本各地を訪問する計画。
日本側の受け入れ態勢、沖縄を除くとあまり進んでいないようなのが心配だけど・・・・・。
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by molamola-manbow | 2010-06-23 09:00 | ヨット | Trackback | Comments(0)
2010年 06月 22日

復元・遣唐使船のナゾ

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ボストン美術館に納められているコノ画、七世紀に海を渡った遣唐使船を描いたものだといわれている。
瀬戸内海を経由して畿内から北九州に出て五島列島の青方とか福江まで行き、春の東北風を待って東支那海を渡っていたとされている。
渡航した回数、十数回から多くて二十回ほど、と言うのが定説。
平城遷都千三百年記念事業に遣唐使船の復元事業があって、奈良・東大寺の展示お披露目式は大々的に報じられた。
コノ東大寺の復元・遣唐使船と、上海万博のジャパン・ウイークに合わせ、往時と同じコースを辿って上海で披露された復元・遣唐使船は同じものなのでしょうか?
それとも、それぞれは別の船なのか・・・・・。
どうもよく判らないところに持ってきて、「間もなく完成・遣唐使船」なる中国・江蘇省発のニュースを図書館で見つけたのです。
となると三隻・・・・・? 
d0007653_7274375.jpg真実は半分だけ判った。
上海万博のジャパンウイークで披露された復元・遣唐使船は、中国の江蘇省で建造された後に日本に運ばれ、大阪港で盛大な出発式(五月八日)を行って瀬戸内ー北九州ー五島を経て上海に旅立って船だったのです。
鋼鉄で作って上に板張ったまがいモノ、中国製だとはハッキリ判らないよう曖昧な表現も使われていた。
「ニッポンで何故作らね~んだ。鉄船が登場するのは大航海時代の後だぞ
疑問は賃金その他の建造費が、一度日本に持ってくる運搬費を含めても安上がりなんでしょうね~。
鉄船だということを含めて、少しガックリです。

いまも奈良・東大寺に船が飾られてあれば、建造されたのは二隻、無ければただ今『遣中使』の最中の一隻だけということになる。
電話掛ければ一発で判ることだけど・・・・・。

東大寺で陳列準備中に撮られた遣唐使船のショット(↑↑)。
舷側に竹の束(?)がくくられているのが判る。
張り出してはいないけど、一種のアウトリガーを持っていたんですね。
ボストン美術館の画からは窺えないけど、面白い
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by molamola-manbow | 2010-06-22 09:10 | ヨット | Trackback | Comments(0)
2010年 04月 28日

  インドネシアの古代カヌー

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d0007653_7592766.jpg復元古代カヌーでインドネシアのジャワ島から、上海万博経由日本まで。
古代民族の拡散ルートを往く"海の道"クルーズがこの夏に計画されていて、女性限定で日本人クルーを探しているお話、以前にほんの数行載せた
その復元カヌーの完成予定日、来月十日だといいますから、お尻に火が付いている時期ですが、ジャワの船大工さんは実にノ~ンビリと仕事をしているようです。
女性クルーを募集中なのが「間に合うのかな~」と、少し心配なこのカヌー、北京では中日両国で同時建造された遣唐使船と合同で、セレモニーを行うことにもなっている。
十三~十五世紀にジャワで栄え、マラッカ海峡、スンダ海峡をも支配した『マジャパヒト王国』の交易カヌーを復元した船だといいます。
完成図をみると、船体の両舷に竹竿の束で作ったアウトリガーを突き出した全長二十メートル、幅四メートルのダブル・アウトリガー。
大きさは一昨年、ハワイから帆走してきたダブルカヌー『Hokule'a』に匹敵する。

全長八メートルのシングルカヌーを駆り、六名の勇士がミクロネシア連邦・サタワル島から沖縄に乗り込んできたのは、一九七五年の沖縄万博の時でした。
世界を仰天させた四十七日間、三千キロのクルーズです。
「オマエさんの知り合いに誰かいないかい?」と、声を掛けられても積極的になれなかったのは、沖縄万博に乗り込んできたこのカヌー、『チェチェメニ号』(↓↓)の小さな姿が頭をよぎったから。

比べるとちょっと安心の大きさですが、二本マストの帆の形では風上には進めそうもないし、極めて扱いにくそうな形のカヌーです。
インドネシアと日本マジャパヒト協会のプロジェクト。
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by molamola-manbow | 2010-04-28 06:46 | ヨット | Trackback | Comments(0)