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2007年 05月 21日

  KENNOSUKE CUP 2007

d0007653_10241837.jpg
我々の42ftのクルーザー『Hinano』艇、それはそれはた~くさんの賞を頂きました。
何がって、相模湾で行われた十九日のKENNOSUKE CUPレース(参加十四艇)です。
d0007653_10451963.jpg三浦半島の突先、小網代湾沖からヨーイドン、伊豆半島の首根っこ・伊東沖の手石島付近に張られた架空テープを目指すワンウェイ帆走28ML(約54k)です。
実はレース前日、船を房総・富浦から三浦半島の油壺に回航する際に、吉兆がありました。
ゴールデンウイークに東京湾を渡って富浦まで帆走してきた『しおかぜ』のantsuanさん。
HINANO』を訪れて、プレゼントを置いて帰られていたんです。
気が付くとラット(舵)の前にビニールの袋に包まれてチョコ~ンと。
女性陣が奪うようにして頂きました、有難うございます。
ゴム草履をかたどった可愛いストラップです。
幸先を暗示する賞だと思いません
レース前に思い掛けない賞を頂いちゃったのですから
d0007653_11125844.jpg他の賞を順不同で披露しますと、こんなでした。
参加艇最大の合計十二人が乗艇したことへのご褒美として▼重かったで賞です。
定員一杯でのレース参加は初めてのことですが、ご覧下さい(⇨ ⇨)ごった返しています。
次の賞は親分・林賢之輔氏の趣味に相違ないと想像しています。
四人もの女性が乗艇していたことで▼さぞや五月蝿かったで賞なんてえのも・・・・・。
クルーに二十六歳と二十一歳の姉弟が乗っていて、▼最年少クルー賞にも該当です。
賞はもうひとつありましたけど、どのような名称の賞だったのか・・・・・。
確か▼缶ビール一ダースが付いていたことを覚えているんですが・・・・・。  
そうそう、肝心の成績はと言うと、総合六位、KANNOSUKE部門四位でした。
ここでも表彰を受けましたから、賞は合計五つです。
優勝した60ftの『喜久洋』よりも、二位の『第一花丸』よりも、参加艇の何処よりも貰ったモノ多かったですね。 
大きな声で報告したくはありませんけれど・・・・・。
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レースを終えてゴールに到着した直後の『HINANO』は、難民船(↑↑)さながらの満艦飾です。
寒冷前線の通過にともなって、レース当日は突風、落雷、高波、雹(ヒョウ)を伴う降雨と、何でもありの予想だったのです。
幸いなことに、雹もカミナリも降雨も外れて呉れましたけど、13メートルの強風と高波を頭からかぶって、パンツの中までビッショリです。
おまけに風がゴールから吹いてくる真昇りのレースになりましたから、タックに次ぐタック、風を背負って向かってくる性悪波に叩かれ叩かれの悪戦苦闘です。 
伊豆航路の高速船が高波に突っ込んでケガ人二十七人を出した当日でしたもの。
HINANO』もジブの縁の部分を裂き(→→)、荒天の中でインナージブと付け替える余計な作業をしなければならなかったのです。
そんな強風ビュウビュウの海上に、帯状の無風帯が出来るのですから自然は不思議です。
Hinano』はこの無風帯に掴まり、舵が利かずに20分ほど潮に押されて逆戻り。
舳先を油壺に向けてしまいました。
こいつに一時間も掴まった艇もあり、素早く横切った艇も出て、無風帯が勝負の分岐点になりました。
一、二、三位と六位の『Hinano』。
林賢之輔親分設計艇が総合上位を独占したのは、荒天に強い林艇の安全性を物語るものでしょうか。
レース前日の富浦からの回航時は、海がもっと荒れましたから、『Hinano』は二日間濡れネズミ。
ま、降雨時の帆走よりは嫌ではないけれど。
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by molamola-manbow | 2007-05-21 08:13 | ヨット
2007年 01月 22日

新春セーリング

22日付けの白石康次郎BLOG にマクノート彗星(McNaught)とオーロラが一緒に映った特ダネ写真が掲載されてます。幻想的ですよ~


d0007653_2126285.jpg御目に掛かったことは御座いませんが、想像を掻き立てられる写真(→→)です。
ナニって、海の無法者のことで御座います。
マラッカ海峡のセマ~イ地形を利用し、二十一世紀の今なお略奪行為を繰り返している海賊たち。
あの方々も、きっとこの様なイデタチで登場なさるのではないかと・・・・・。
   ・・・・・・・・・・・・・・・
降雨、強風予報を、晴れオンナと晴れオトコ二人の"三本の矢"で、見事曇天にまで回復させた二十一日、セーリングクルーザー『Hinano』は、房総半島の富浦から、対岸三浦半島の油壺を目指しました。
manbowにとっては、これが新春の出初式
波間をウサギがピョンピョンし、北風ビュービュー吹きすさぶ、それはそれは寒い、さむ~いクルージングでしたが、凍えてばかりもいられませんでした。 d0007653_21281069.jpg ピーンという金属音を残して、メインセールを操作するリードの止め具(シャックル)が折れ飛んだ(←←)のです。
セールはまるで手綱を引き千切った牡牛です。
暴れに暴れ始めました。
慌てました(manbow)けど、慌てませんでした(skipper)ね~。
すぐに船首を風上に立ててセールを安定させた上で、ブームエンドから二箇所のアイに、『ハの字』にロープを張る応急処置です。
同乗の『月波』のskipperさんも的確に動き、アクシデントをその場だけのトラブルにとどめて、メインもジブもフルセールで目的地へと急ぎます。
HINANOの主治医は目的地の油壺に居るんですから
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何ごとも無かったかの様に船を舫ったあとのご褒美はこれ(→→)。
「一度食当(食事当番)がやりたい」と願い出たmanbow唯一の後輩の自家製ピクルス付き特製カレーだ。
他に鏡餅をカチ割ったお汁粉(skipper作)とムラサキ芋のプリンもどき(manbow唯一の後輩を船に誘ったOGの作)が加わり、なかなか豪華な?昼食となりました。
カレーとお汁粉はミスマッチ
いえいえ、そんなことはなくて、両方とも美味しく頂けましたよ。

[IMAGE|d0007653_21314361.jpg|200701/22/53/|right|317|190#]釣り糸を垂れる(←←)のは、特製カレーの制作者にしてmanbowの後輩・IHちゃん。
船泊して修理を待つ間の初めてのボート釣りの成果は、ビクの網目から逃走した一匹を含めて、真ハゼ六匹。
五人家族だと言いますから、天婦羅一匹づつと、計算は合うお土産です。

後輩だけへの内緒話
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by molamola-manbow | 2007-01-22 21:43 | ヨット
2006年 12月 28日

Hinanoと共に往く年来る年

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d0007653_2046162.jpgTahiti語で「妙齢のムスメさん」を意味するヨット『Hinano』と一緒に海を楽しんだ一年も、二十七、二十八の両日が最後となりました。
二日間とも、雲ひとつない快晴です。
初日などは気温が21度まで上昇し、ニュースでは「十月上旬の暖かさ」だと報じていました。
でもね~、台風並の低気圧が駆け足で日本列島上空を駆け抜けたために、海上は大時化です。
背の高いコンテナ船などは、今にも横倒しになりそうなほど船体を傾けて白波の彼方を航行して往きます。
そんな訳で、『Hinano』の艫綱は一度も解かれることなく、港に係留したままで終わりました。
少し残念ではありましたけど、自然を相手のお遊びです。
こんなことは何時だって起こりうるし、そもそも今回集まった主たる目的は、ヨットに松を飾ることにあったのです。
一年間の感謝を込め、来年も宜しくと『Hinano』にお願いする
地元の漁船がそうするように、スターンに青竹を高々と立てて、ラットには松飾りを
キャビンには小さいながら鏡餅も供えました。
新しい年を迎える準備は、これで完了です。

新春早々の初詣クルーズは、大島・波浮を目指すことになるかもしれません。
房総の突端・富浦からは4~5時間の行程。
クルーの皆さん、奮って参加しましょう
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by molamola-manbow | 2006-12-28 20:39 | ヨット
2006年 12月 03日

道草クルーズ三日間!

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三浦半島の突先・油壺湾で『Hinano』のもやいが解かれたのは、先月二十九日の早朝、八時半をほんの少し廻った頃(↑↑)でしたでしょうか。
目指すは東京湾口の対岸、房総半島の富浦港です。
のんびり走って三時間ほど、風に恵まれれば二時間で着いてしまう距離です。
そのおよそ15海里を、『Hinano』は道草に道草を重ねて三日間を掛けるクルーズにしてしまいました。
d0007653_1244824.jpg林賢之輔さん設計による42フィートのセーリングクルーザー『Hinano』は、96年三月、オークランド(NZ)のリガード造船所で進水しました。
つまり、誕生して十一年目に入ったことになります。
齢を重ねますと不具合も出てきます。
特に電気系統に故障が生じ始めたのでドッグ入りし、今回はリハビリを終えて母港に帰るためのクルーズでした。
船底もついでに塗り直しましたからピッカピカ(←←)、滑るように走ります。
どうも、この滑るように走る気持のよさが良くなかったようなのです。
道草クルーズは、こんな風に進行して行きました。                         
乗員はたった二人、オーナースキッパーとmanbowです。
「走るね~。この走り、Hinanoもこのまま直接帰りたがっていないね」d0007653_12185562.jpg
 
「うん、もっと走りたいようだね」
「風も富浦には向いていないね~」
「うん、富浦には向いていない。保田方向を向いている」
で、『Hinano』は舳先の向きを保田へと修正。
夕日(→→)を保田のポンツーンで眺めることになっちゃったのです。
内緒話をしますとね。
「燃料満タン、清水満タン、このまま小笠原までだって走れる」
などとスキッパーは言い出したんですよ。
manbowが「外せない用事が二日にあるから」と言い出さなかったら・・・・・。
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d0007653_12291637.jpg保田には漁協経営の『ばんやの湯』という温泉があります。
生憎従業員の慰安旅行にぶつかって温泉がお休みだったので、「湯につからぬまま帰れるか~!」と息巻いてもう一泊。
保田の初日はホウボウ鍋(↑↑)に舌鼓、二日目は漁師さんから太刀魚(←←)の差し入れを頂いて刺身と塩焼きに。
そのほか定置網で揚がったミミ烏賊?ダツ、マゴチ、小鯵(いずれも美味)などなどを、地付きのトンビ、カモメ、カラスと競争で拾い集めて食卓へ。
そうやって食い繋いだ三日間でもありました。
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二十九日午前八時半に油壺を発ち、千葉・富浦港への回航を始めて、任務終了は師走初日の日の出直後(→→)。
直線距離15海里(1海里は1,852m)に、三日間を掛ける回航任務、無事終了で~す。

そうそう、美女の見送りもありましたっけ
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by molamola-manbow | 2006-12-03 10:58 | ヨット
2006年 11月 16日

船のドッグ入りは人間ドッグより先輩だ~!

ドッグ入りする『Hinano』に付き添って、房総・富浦港から三浦の油壺まで、東京湾を横断してきました。
もう十一月も半ば過ぎですから、小春日和とは言わないのでしょうけれど、一枚脱ぎ、二枚脱ぎ、とうとう長袖の下着にライフジャケットという軽装へ。
それでも何の違和感も無いポカポカ陽気ですから、ちょっと異常です。
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d0007653_21552879.jpg油壺に入港した『Hinano』は主治医の手で直ちに揚陸されました。
水中を走る二本のレールに乗っかっている船台の上にヨットを導き、ヨットと船台の間に木製の楔を打ち込みながら引き上げてゆく熟練のワザは、何度見ても飽きません。
この『油壺ボートサービス』の揚陸用のスロープは、第二次世界大戦で特殊潜水艇が使用していたものを、そのまま転用しているんだそうです。
深い木々に覆われた崖下には、通称人間魚雷を隠した洞窟が今も口を開けています。
母港・富浦で『Hinano』をガードして呉れている大房岬にも同じ用途に使った洞窟があります。
あれからまだ六十年ほど、決して遠い過去ではありません。
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by molamola-manbow | 2006-11-16 22:01 | ヨット
2006年 10月 21日

  ヨット『 H i n a n o 』の不思議備品

                          この夏、『 H i n a n o 』のクルーがまたひとり、定年退職しました。
d0007653_815514.jpg「毎日が日曜日になるから」
と、三味線を習い始めています。
彼、定年に備えて茶の湯にも手をつけておりましたから、毎日が日曜日でも、退屈することはなさそうです
でも、『 H i n a n o 』のオーナーの考えは違いました。
「習い性がそんなに早く抜けるはずはない」
などと申しまして、ご覧のようなつり革を設置して定年祝いとしました。
「満員電車が懐かしくなったら、こいつにぶらさがりながら週刊誌でも読んでくれ」と言葉を添えて 
d0007653_817662.jpgいいですね~、このユーモア。
つり革を備えたヨットなんて、恐らく『 H i n a n o 』一艇だけでしょう。
大小様々なクルーザーがずらりと並ぶ油壺周辺のヨットハーバーでも、見たことがありません。
訪れた他艇のクルーも「何です、これ」と、必ず訊いてきますもの。

不思議なモノはギャレーの前のこいつ(➡ ➡)もです。
社団法人東京都食品衛生協会が発行するこの札が、千葉・富浦を母港とする船にあるのはオカシイけれど、「なんじゃ、こりゃあ」の可笑しさの方が先にくる。
食品衛生責任者の余津都紀子さんは、ポンツーンに住まうムール貝などで中毒者を出したら、罰せられるのでしょうか
ことしは二度ほど、ムール貝を採取していただきましたが、幸い中毒者は出ていない。
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by molamola-manbow | 2006-10-21 08:28 | ヨット
2006年 09月 22日

お台場クルーズ

d0007653_21425311.jpg「何をバカなことをしてるんだ」
などと、ささやく声が頭の何処かでしない訳ではない。
九州全域で大きな被害を出した台風13号が、衰えることなく日本海を北上中の十八日、日の出と同時に房総半島の突先から船を出し、舳先を東京湾奥のお台場へ。
雲は低く垂れ込め、舳先の前方では、スコールの様な激しい雨が海面を叩きながら渡って行くのが遠望出来る。
そんな中を五十マイル、およそ七時間かけて帆走を始めた男が四人
濡れネズミは覚悟のクルーズだから、全員重装備のいでたちだ。
日の出と同時に舫いを解くには、当然のことながら前日からの船泊まり。
そこまでして船を出した目的は・・・・・。
お台場で、マストの天辺にギリシャ国旗を掲げたい(→→)、ただこの一点でしかなかった。
「一体、何のために?」。
それは『DECKSS東京ビーチ』三階ホールで開催中のギリシャフェアに華を添えるため。
同時開催の久我耕一エーゲ海写真展を盛り上げるための掲揚なのである。
でもね~、お台場の人口ビーチを訪れた人の何人がマストの天辺の旗を、ギリシャ国旗だと判って呉れたのか
その中の何人が開催中のギリシャフェアと関連付けて考えてくれたのか・・・・・
このことを考えると、絶望的な数字しか浮かんではこない。

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北上中に出遭った豪華客船『飛鳥』。
客を乗せ、おまえ様方もギリシャフェア見学かい、ご苦労さん、てな感じですか。
白い船体が曇天の下でも綺麗でした。
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d0007653_22512987.jpgAMERICA'S CUP出場艇のセールのように見えるのは東京湾アクアラインの『風の塔』(↑↑←←)。
眺める角度によって、様々に形を変えます。
東京港に入ってくる船には絶好の目印でしょうね。
東京湾と東京港の丁度境界に位置する、と言えるのかも知れません。
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レインボウブリッジ到着です。
出船、入船に注意しながら、慎重に進みます。
ラットは元東京パイロット勤務、東京港の隅々まで知り尽くしております。
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レインボウブリッジを背景にした似たような写真でも二日目はこの余裕。
緊張感が抜けちゃってます。d0007653_2242825.jpg                                                                           


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レインボウブリッジの真下(↑↑)を行く。
泊地を『船の博物館』脇の船たまり、浜離宮内の『旧銀座ヨット倶楽部』(↑↑)と、転々としながらお台場で過ごした四日間が終わり、また七時間を掛けて船を母港へ。
そしてクルーは内房線で出発点・東京へとトンボ返りだ。
その車中、誰かがシミジミ言いましたっけ。
「俺達、何やってんだろうね
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他にも沢山文句を言いました。
「臭っせ~」だの
「汚ったね~」だの
「まるでドブ川だね~」な~んて。
水深計に目を配り、往来激しい出船入船を警戒し、ヘドロに閉口しながらの投抜錨
それでもクルーの総意は「また来ようぜ」なのだから、遊びの世界は判らない。
最後の写真、優雅に浮かんでいるようでも、ファンベルト切れを起こし、テンダーを下ろして買いに走った直後なのです。
臭くて、汚くて、まるでドブ川の様な汚水を、全身にた~くさん浴びながらのおつかいでした。
        ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
大正七年に鉄道が開通するまで、房総・富浦名産のビワは、樽(ン・・・・・?、ビヤダル?)に詰められ、押送船(オショクリブネ)と呼ばれた二枚帆、八丁櫓の船で日本橋まで運ばれたといいます。
順風だとその所要時間は八時間。
今回の所要時間(七時間)と余り変わらないスピードだったことに気付きビックリ!!
押送船、速かったんですね~。
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by molamola-manbow | 2006-09-22 08:43 | ヨット
2006年 08月 20日

  ♪♪ ブイ・エイ・シー・エイ・テー・アイ・オー・エヌ  その2

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白・赤・黄色の三つの星は、紺碧の空と群青の海に横たわる島々を表しています。
白い星は海の民が培ってきた気高い M o r a l (道徳心)と R e a s o n (理性心)を。
赤い星は世界平和を願う燃ゆる情熱を。
黄色い星は平和と道理に基づく民族の精神的繁栄を示します。
夏休みセーリング( 8 月 1 2 日~ 1 6 日)を通じ、『 H i n a n o 』はこの海洋民族の"国旗"と共にありました。
さて、何処の国の国旗なのでしょうか?
滔滔と流れ行く黒潮の帯の中に浮かぶ多島国、日本ときわめて近い関係にある民族です。
施政権の返還を一年後に控えた一九七一年五月、琉球新報と沖縄タイムスに意見広告が掲載されました。

【我々は日本国国民として生きることを望んではいない!】

【かつて平和に生きてきた琉球民族の国家を再建し、海洋の民として生きることを望む!】

そうなんです。
『琉球共和国建国構想』に基づいて作られた、琉球の国旗なのです。

一八七一年(明治四年)の十二月、琉球の船が台湾南部で座礁し、乗組員五十四人が惨殺される事件が起きます。
琉球王はこの事件の解決策を、紀元六百年代から関係のあった中国(清朝)に求めるのではなくて、「何とかしてくれ」と、明治政府に訴えてきます。
d0007653_22504580.jpg日本の台湾出兵、これに対する中国の抗議、欧米諸国の干渉・・・・とかなりもめますが、中国側が大幅に譲歩する調印式(一八七四年十月)が天津で開かれ、中国側が琉球の遺族に金十万両の賠償金を支払うことで解決します。
琉球にとっての悲劇は、この時の調印文章。
琉球人を中国が日本国民と認め、明記したために国際的にも日本の国土と認められるようになり、琉球王は明治政府から年俸三万円と爵位、東京に屋敷を与えられ、一八七九年(明治十二年)の沖縄県の誕生へと移って行く。

サトウキビ農園主とスティーブンス公使が結託し、表敬訪問中の巡洋艦ボストン号の海兵隊でイオラニ宮殿を占拠、リリオカラニ女王を人質にとったアメリカがハワイを乗っ取ったのが一八九八年。
琉球の独立運動はハワイの独立運動と連携し、静かに息づいています。
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by molamola-manbow | 2006-08-20 20:24 | ヨット
2006年 08月 17日

  ♪♪ ブイ・エイ・シー・エイ・テー・アイ・オー・エヌ

d0007653_21361998.jpgヨット『 H i n a n o 』の仲間内では、『組長』などという大層大仰なニックネームで呼ばれてはいるけれど、その実クルーの中では一番の新参者。
そんな m a n b o w にも、嬉しいことにアゴで使える後輩が出来るかも知れない雲行きがただよい始めました。
アラブの難民船さながらの、何とも怪しげな風体のクルーに囲まれながら、ラット(舵)を握らせて貰ってキャピキャピしている女性(⇨ ⇨)が、その待ちに待った後輩候補です。 おんとし二十六歳。
H i n a n o 』の平均年齢をグググーンと引き下げて呉れる若手の登場は、夏休みクルーズ最大の収穫でした。
物怖じしない積極性と好奇心、性格の明るさと酔いへの強さ、そして大飯食らい・・・・・・。
若い女性のクルー候補、実は春先にも一人現れたんです。
同じ富浦を母港にしているモータークルーザー『 V o i c e 』の紹介で・・・・・・。
でも面接にあたったのがスキッパーとわたくし m a n b o w
二人とも大和民族の民とは思えない風貌をしておりますし、スキッパーが「組長、組長」と私を呼ぶのに恐れをなして(多分)、一度も船に乗らないまま連絡が途絶えてしまいました。

d0007653_21401795.jpgd0007653_2138294.jpg
d0007653_9365096.jpgd0007653_236498.jpgそんなこともあるので、おんとし二十六歳のクルー候補がちゃんと居ついて呉れるかどうか。
まだ 1 0 0 % 確実かどうかは未知な部分も残りますけれど、ニコニコしながら「ネエネエ、クミチョー」と、呼び掛けてくる表情に、今度こそウソは無かろうと考えおる次第なのです。
花火は木更津のヨット『 K o k o l o 』に招待され、富浦から東京湾を北上して観た『港祭り』のメーンイベント。
アクアラインの開通で観光客が素通りするようになり、シャッター通りが増えたと聞いていましたが、軒を接して並んだ屋台が三千軒。
すさまじいエネルギーを感じました。
木更津って、"ポンポコポンのポン"の狸の証誠寺のお膝元だったんですね~。
そしてヤクザなハマコーの!!
夏休みには何時も西伊豆に足を伸ばすとか、伊豆の七島の式根島あたりまで出掛けていた『 H i n a n o 』 
でも、近場でのんびりクルーズするのもいいものでした。
富浦湾もお隣り館山湾も、勝手知ったる庭ですから、アンカーを打って船底を掃除し、泳ぎ、潜り、釣りが出来ます。
天候が悪くなれば母港に逃げ込んで風雨をやりすごすことも。
乗下船も容易なために入れ替わり立ち代り、沢山のメンバーでクルーズを楽しむことも出来ます。
珍しい船にも出会いました。
有人海底探査艇として 6 , 5 0 0 m まで潜った世界記録を持つ『しんかい 6 5 0 0 』の母船・『かいよう』を間近で観たこと。
下駄のような形がなんともユニーク。
乗員は芳紀二十六歳のお嬢さんの手を振る挨拶には笑顔で振り返してくれましたけれど、我々には・・・・・。
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by molamola-manbow | 2006-08-17 20:00 | ヨット
2006年 06月 26日

梅 雨 ?

d0007653_10244695.jpg周辺環境の整理・整頓・点検・補修、それから清掃
房総の富浦港に係留するヨット仲間の呼びかけに応じ、先週の土、日を勤労奉仕に充ててきました。
港の一角に立つトイレの清掃=写すのを忘れました。
堤防周辺の放置釣具(釣り針、糸など)の除去=手袋が邪魔でシャッターを押せません。
係留具の点検・補強=撮り損ないました。
船底をフジツボ、ムール貝(ムラサキイガイ)、海草で占拠され、重さで沈みそうなヨット(まさか!)の舫いの補修=武士の情けで公開するのを控えることにします。
合羽着用を覚悟の勤労奉仕でしたが、日本一の晴れ男を自負する私に加え、「オレだって」(スキッパー)、「ワタシも」(新しいクルーのフミエちゃん)の二人が集まれば梅雨空だって吹き飛ぼうというもの。働いた後には御褒美も用意されています。

雨天レースのKENNOSUKE CUP(5月27日)で使用したままのスピンネーカーのセール干しを兼ねて『Hinano』も館山湾へと繰り出しました。
二日目は雲が広がり(一枚目の写真)、下船して保田の『ばんやの湯』で汗を洗い流す頃に本降りとなりましたけど、梅雨の真っ最中に初日は青空でした。
応援に駆けつけて呉れた木更津のヨット『Kokolo』のオーナー夫妻も交えた総勢七人が、いよいよ夏本番の海を堪能しました。
d0007653_21233347.jpgそうそう、夏の海を堪能したのは、正確には七人プラス一匹でした。
館山湾上で舷側に飛来し、ずーっとこの調子(↓↓)で羽を休めておりましたっけ。
船底(Hinanoに非ず)から掻き落としたムール貝の、バター&にんにく焼酎蒸しも美味かった~

「見てみろよ、きっとあいつらガス欠だぜ
「高速道路でなんてえざまだ
な~んて会話、交わしたことありません
バカにしていたそのガス欠を、富浦からの帰途、やっちゃいました。
それも東京湾アクアラインの海底トンネルの中でです。
恥ずかしいですね~。
きけんですね~。
気をつけましょうね~。
およそ45分後、10リッターを頂いて、トンネルの出口へ。
すぐに駆けつけ、旗を振り続けてくれた道路公団のパトロールカーのみなさんありがとう。
ガソリンを届けてくれたJAFのみなさんありがとう。
ガス欠を犯したドライバーは「
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by molamola-manbow | 2006-06-26 07:26 | ヨット