2010年 12月 07日
灘の生一本、ソイツの出来たて三十樽を上方から江戸へ。 その一番乗りを競った江戸時代の番船(千石船)レースの中で、最高記録を叩き出したとされる一七九十年(寛政二年)のタイムに、異なるふたつの記録があることが分かった。 ▼片や『酒肴奇譚』(小泉武夫著)の五日間、▼こなた出典は『和船』(石井謙治著)の五十八時間、かなりの違いです。 調べてみました。 といっても、古文書をあされる伝手は無いし、目の前に資料が有っても読み解く眼力もない。 パソコンのキーボードに該当単語を打ち込んで、ヒットした記載を読み比べただけですが・・・・・。 多かったのは、「五十八時間」説を含めて▼こなたの『和船』に軍配は挙がった。 ▼方や呑み助ですから、船に詳しい▼こなたを信用する方が筋道は通ります。 でも、イギリスのサー・ノックス・ジョンソン郷がシングルハンドで大西洋を初めて横断した一九六十年代以降、ヨットマンは二百マイル突破をデイラン(一日に稼ぐ距離)記録の目標にして長い間挑戦してきた。 鳥羽パールレースの記録、百八十マイルを現在は二十四時間ほどで走るけど、第一回(一九六〇年)の記録は九十時間を越えている。 東京湾口から八丈島まで、アビームの風に恵まれて走ったmaanbowの体験でも、百三十三マイルを十八時間。 喫水が浅くて、キールを持たない平底の不安定な千石船で兵庫・西宮沖から品川沖まで。 その七百マイルを五十八時間とは、「少しばかり早過ぎやしないかな~」と疑問を持っちゃう。 ただし、合計七艇で争われた一七九〇年のレース、「出走艇全てがなだれをうつてゴールした」との記述がある。 黒潮の流れ、列島沿岸間近まで接近して流れていたのかも知れませんね~。 スタート日時は十一月の六日ですから現在の十月初旬。 今年の黒潮も例年に無く接岸しながら流れてましたけど、流れに乗ったのなら、もっと岸近くをうねっていたに違いない。 風は横帆の真後ろから吹き付ける追っ手の季節だし・・・・・。
by molamola-manbow
| 2010-12-07 08:39
| ヨット
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