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2012年 08月 08日

再びゴンチャローフの日本渡航記

二週間ほど前の東京新聞夕刊(↓ ↓)に、サンクトペテルブルグ(ロシア)の海事博物館に所蔵されてる絵画二枚が掲載された。
『安政の大地震』(一八五四年十一月)の際に、伊豆半島の突端・下田港で津波に遭遇したロシアの開国使節団の将校さんが作者、専門の絵師ではありません。
ゴンチャローフの日本渡航記』には、津波の話はない。
ゴンチャローフが陸路モスクワへと帰った後の出来事になる。
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『太平の眠りを醒ます上喜撰(蒸気船)たった四杯(隻)で夜も寝られず』の落首は、一八五三年七月に浦賀に来航したアメリカのペリー提督。
d0007653_6424318.jpgロシアもペリーに遅れること半年、やはり四隻の艇を率いて長崎に来航し、江戸幕府と下田で開国交渉中に津波遭遇する。
ロシアはこの時、三隻を下田で失い、かろうじて沈没を免れた一隻も、修理のために西伊豆の付け根・戸田(へた)村へと曳航中に沈んでしまう。
この時の地震と津波の被害は、九州から四国、近畿、東海、関東と、ほぼ太平洋岸全域に及んで、江戸の街も火の海(→ →)と化しました。
浜岡原発のある静岡県御前崎も、モロに津波の被害を受けます

ロシアと日本が国境線を定めたのもこの時ですよ。
『択捉島(えとろふとう)以西を日本領土とする』とする条約、「忘れたわけじゃああるめ~」と、声を大にして言いたいね。
船を失ったロシア使節団は兵員を含めると五百人強。
彼らは江戸幕府が西伊豆・戸田(へだ)村で建造した『君沢型』のスクーナー船『ヘダ号』などでロシアに帰る。
国境線を定め、船一隻をプレゼントまでしたのに・・・・・。
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by molamola-manbow | 2012-08-08 08:24 | カテゴリー外


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