2014年 05月 30日
現在は『あらいぶ』に名前は替わっておりますが、エントリーするだけで優勝候補に名が挙がる艇とクルーでした。 三重県鳥羽から江の島沖を目指す『鳥羽パール・レース』の二連覇を含め、候補にふさわしい成績を残し続けて、豪名は東南アジア周辺にまで及んだ。 ‶より軽く”を目指したレース艇じゃあ、ありません。 堅牢なヨットを作る林賢之輔デザイナーの傑作艇、Hayashi 34ft の後ろにPlus1Custom と付く。 スキッパーは左から三番目の男性、クルーからは『ユさん』と呼ばれておりますが、オイラは名前の一字を取って『祐さん』。 手を振っておいでの祐さんの奥方が右腕でした。 2人で国内外の外洋レースを荒らし回わるうちに、奥方には伝説が生まれた。 「一度ラットを握ったら、もう離さない!、絶対に離さない!!」 「家内は吉田亀三郎翁と同じ八幡浜(愛媛)の出だよ」 その伝説の奥方の実家に関して、こんなmail が祐さんから舞い込んだのです。 これだけでも「オオッ」なのですが、「母方の大叔父は打瀬船でアメリカに渡った一人なんだそうだよ」と言うのです。 大叔父の名は田淵朝吉、六隻のどの打瀬船で太平洋に挑んだのか、詳しい話は一世紀も前の出来事なので判らないのですが、名前を頼りに探って行くと・・・・・。 大正4 年に伊豆大島経由でカナダの西海岸・ケチカンに上陸した琴平丸に、田淵朝秋の名を見つけた。 十八歳の若さで琴平丸の梶を任された若者です。 30 年ほど前にはNHKの新日本紀行で取り上げられたこともあるらしい。 祐さんいわく、「灯台守に気に入られて、一人だけ上手くかくまわれたものの、皆と行動を共にしたいと出頭して、一緒に強制送還となったようだ」 ヨット仲間に早速、御注進~んです。 その反応は、すべからく「血は受け継がれますね~!」 打瀬船の概略図
by molamola-manbow
| 2014-05-30 11:22
| ヨット
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