2007年 11月 01日
携帯電話の中の画像を整理していたら、東京湾の鮭が出てきた。 ヨットの台風養生を名目に房総を訪れた時の映像だから、富浦漁協の定置網に紛れ込んだ一匹である。 漁協の話によると、鮭の回帰時期がやってくると、「時折り網に掛る」んだそうだ。 考えさせられる話です。 『多摩川に鮭を甦らせよう』とかなんとか。 不思議なお題目を唱えて子供たちを巻き込み、マスコミにはやし立てられ、得意満面で放流を始めたのは八十年代の頭頃でしたでしょうか。 甦らせるもなにも、多摩川で鮭漁が行われてきた形跡は、縄文の時代からない。 学説としても鮭の回帰は利根川が南限とされ、多摩川河口・大森貝塚からもシャケの骨は出た形跡がない。 鮭の母川回帰率は、ほぼ百パーセントだから、四年間を生き長らえて太平洋を旅した放流鮭は、多摩川に帰ることを第一義に努力する。 放流を始めて六、七年後のことだったと記憶するけど、多摩川での目撃談も現れて、またまたマスコミは大々的にとりあげた。 でも、遡上した鮭が産卵した事例はゼロだし、全ての雌は抱卵したまま息絶えて見つかるんだ。 こちらの方は報道しません。 パートナーを見つけるのが極めて難しいのか、産床が無いのか・・・・・・。 難しい理由は判らないけど、生き物天国に違いなかった縄文の時代から遡上しなかった原因、他にもあるはずだから、思い付きだけでやることじゃあないんだ。 ブラックバスとかブルーギル、考えもなしに放流しちゃった事例と、合い通じるものがありますネ~。 回帰率十パーセントを誇り、日本のシャケ需要を一手に賄っている道東・標津町の孵化放流は別として、東北各県の漁獲量(回帰率)は放流稚魚の二パーセントから三パーセント。 寒干しで有名な新潟・村上でも八百万匹を放流している。 多摩川の鮭は三十万匹程度を上限に、いまじゃ三分の一まで減少だ。 苦労して生き残り、コドモを作りに戻って来ても産卵できない河に、スズメの涙のシャケ流す・・・・・。 東京湾そのものが他とは違います。 湾の奥底までたどり着くのも苦労な上に、それこそ漁港の数ほども林立する定置網を潜り抜けねばならない。 多摩川を遡上する鮭の姿を夢見る。 一見ロマンに思えますけど、生息環境無視の試みに過ぎない。 捕獲された鮭の性別、日時、場所等の提出を求める。 この程度のこともしていない訳だから、何時まで経っても放流の正否は不明、何か好い事してるんだと、勘違いしてるだけなんだ。
by molamola-manbow
| 2007-11-01 10:08
| 犬・猫・蛙に動植物
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