2007年 12月 26日
師走も押迫って、新年を少しばかり改まって迎えようかいな~と。 「ウ~ン、その決意や良し」でしかなかった。 本棚を整理中に少しばかり眼を引く本を見つけてすぐに頓挫だ。 ま、明日も明後日も、さらにもう少し余裕はあるから、部屋の後片付けは後回し。 三重と関係の深い人たちの思いの詰まった『伊勢路を語る』と、伊勢名物『赤福のこと』の二冊。 あの赤福本舗が昭和四十六年(一九七一年)、創業二百六十年を記念して作った二冊ペアーの私家本である。 本文と口絵写真の印刷が別、製本、制作も別々依頼していて、活字、装飾が綺麗きれい。 内トビラには写真印刷だろう。 山口誓子の 巣燕も 覚めゐて四時に 竈焚く な~んて肉筆と見まごう句が入ってて、序まで寄せている。 凝ってます。 左はバタヤンこと♪大利根月夜の田端義夫、下はハッケヨイの春日野清隆(横綱・栃錦)、当時理事長だったでしょうか。 『伊勢路を語る』の方は文を寄せた方々を近藤日出造が似顔絵で、『赤福のこと』では挿絵を担当している。 ウ~ン、札幌五輪の前年の出版か~。 こんな本があること知らなかったな~と思いつつ、「有ったとしても不思議じゃないかも知れないな~」 鹿児島生まれの父は、伊勢から嫁を貰った。 manbowにとっての母親、その母が赤福の遠~い親戚に当るのだ。 母親が生きていた頃は細々とした付き合いがあったようだけど、母が亡くなって三十ン年になり、いまではその付き合いも霧散している。 でも、二冊の私家本を作った時代は健在だったから、私家本バラ撒きリストの中に加わっていたとしても何の不思議もない。 そんなことを思いつつ、まずは『赤福のこと』から読み進むことに。 屋号の『赤福』、「赤心・慶福」から二字を頂いたということ、すぐに出てきた。 同時に「これは社是であって、小豆あんこが赤いことと、ふっくらしたお餅そのものに福の意味があったので、開業当時からそのように呼ばれ、この通り名が商品名になった」などとソモソモの由来も。 伊勢参りで賑わった当時のお土産、①伊勢暦②伊勢紙の煙草入れ③万金丹の三つだったとか。 「フ~ン、万金丹は越中富山の薬売りの専売特許じゃなかったんだ~」 赤福と同業の餅屋も多く、『返馬(へんば)餅』、『二軒茶屋餅』は今でも盛業中(発刊当時)とある。 食べたことないから、こちらの方に触手は動かされるし、柿渋を塗った紙製品も手にしたい。 以下、お宮参りに名を借りた廓通いのこと、砂糖がなくなった戦争末期のこと、etcが御伽噺さながらの語り口調で綴られる。 株式会社化(昭和二十九年)され、高校から慶応で学んだ十代目が社長に就任(三十五年)して名鉄メルサ出店を皮切りにした全国展開へ。 一大飛躍が今年の不祥事の根(たぶん)となるのだから皮肉だ。
by molamola-manbow
| 2007-12-26 06:39
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