2008年 04月 12日
住まいから歩いて十分と少し。 東急世田谷線・宮の坂駅前にこんもりと鎮守林を見せる『世田谷八幡』を訪れて、思わず頬が緩んでしまった。 『奉納 四十八貫六百』とか、『奉納 三十九貫三百』とか、達筆な旧字を表面に刻み込んだ力石。 村祭りの際には力自慢達に持ち上げられ、共に拍手喝さいを浴びたであろう名脇役、石の表面はツルッツルです。 そんな石、石、石が十個ほど、大切に保存されているではありませんか。 うかつなことに、こんなモノがあること、いまの今まで知りませんでした。 周辺各地、路地も小道も知り尽くしていた筈でも、盲点はあるんです。 小田急線の南側は悪ガキ時代の校区違い。 言うなれば別の組の縄張りであり、シマを荒らすのは任侠道に悖(もと)るから、通り過ぎることはあっても境内に入ること、なかったのです。 初めての境内に脇門から入って、帰りは正門から。 その帰りしな、また歩みはとまった。 三方を石組の観客席五、六段でマ~ルク囲んだ土俵まであったのです。 立て看板には、「秋の大祭では東京農大(相撲部)の奉納相撲も恒例です」などと。 おもしろそうだ、秋祭りには鉄則破ってシマ荒らしだ~と、決めました。 イエイエ、土俵に上がるのでは御座いません。 カネと何とやらにはさっぱりの『イの字』ですので・・・・・。 忠臣蔵の悪役ともつながるけれど、行き来なくなった遠い親戚かな。 世田谷八幡を建立したのは、清和源氏の流れを組む世田谷・吉良家。 豪徳寺のお隣には居城・世田谷城跡も公園として残っています。 そう言えば、井伊直弼を弔う豪徳寺と対峙する形で建つ世田谷・吉良家の菩提寺『勝光院』(↓↓)、敷地は豪徳寺の半分ほどだけど、たたずまいの軍配は断然勝光院に挙がります。
by molamola-manbow
| 2008-04-12 09:13
| 地元・経堂
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