2008年 11月 20日
環状七号線から西に折れて、赤堤通りが北沢川緑道と交差する『経堂赤堤団地』辺り。 マンションと駐車場に囲まれた一角に、家一軒が建ちそうなコの字型の緑のスペースを見つけた。 奥に石碑がひとつ、『牛魂碑』とある。 記憶は牧場の文字でただちに甦った。 小学校の図画の時間、画板ぶらさげ牛を描きに連れてこられた。 随分下った青年期、住宅の波が押し寄せて牧場は縮小され、換わって端っこに肉専門のレストランがオープンした。 医者から「肉はまかりならん」とストップを掛けられたオヤジ、散歩と称してはウチを抜け出し、内緒でステーキ食っていた。 知らぬはお袋だけだったろう。 今は暗渠の北沢川へとダラダラ下る広い丘陵に、ホルスタインがのんびり寝そべる神宮球場(一万二千平方m)ほどの乳牛牧場でした。 川の対岸も広々としたザリガニワンサの葦原湿地、夏休みなど一日遊んでも飽きない自然の宝庫だったのに・・・・・。 丘は削られ、湿地に放り込まれ、マンションが建ち、住宅が建ち、スーパーが建ち、臭いとか汚いとか。 そうやって水が消え、自然がなくなり、子供の遊び場は失われ、何の石碑だか判らない人たちの町ひとつが生まれた。 「明治時代から続いた由緒ある牧場」とは物知りの話、昭和の六十年辺りまでは牛が草食んでいたとか。 日本に牛乳飲む習慣のない時代にできたとは、全国的にみてもハシリのような牧場だったと思うんだけど、二十三区に牧場はムリなんだろうな~。 『四谷軒』の名前は初めて知った。 オイラ達の中では『経堂牧場』
by molamola-manbow
| 2008-11-20 07:16
| 地元・経堂
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